電話の話かな
まあ、なんていうか、人に話しかけられやすい。またはそういう状況を作るのが得意なのかも知れない。自転車を抜き出してあげたり、魚釣りをしている少年に流れの読み方を教えてあげたり、電車の切符を買おうとして悩んでいる異国人のとなりに突っ立っていたり。前回ここに書いた痴漢されてた女の子の件も似たようなものかな。
長年、僕は人が嫌いだと言っていた時期があるが、実はある程度なら、好きだ。
しかしそこには一線が引かれている。例えばLINEでのやり取りは、普通の人のようにうまくはできない。理解が遅いし、どうしても自分からのレスポンスを何度も読み返してしまうからだ。自信がない。たぶん、暴力を受けて育ったことに起因しているのだと思う。言葉選びを間違うと酷いことになる。
前回のnoteを何度か読み返した。相手が女子高生で、幼さがあって、電車内での僕の行動によって信用していたのだろう。斜光が深く差し込むカフェの窓際で、深くか浅くか寝入っていた光景を思い出し、何度も反芻した。他の客がいなかった。すーっと光が引いてキッチンの奥を見ると店員が女子高生のために調光を落としてくれたようだ。窓から差し込む黄色い光が店内で色々なガラス製の雑貨にあたり、乱反射していた。
付き合ってた彼女のことを考えてた。やせ細っていた。鬱症状の酷い僕のことをいつも心配してくれていた。その上、仕事でいろいろ任され大変だと言っていた。彼女は僕の他に心を寄せ始めていた人がいた。そういうのは自由であろうと話し合っていたからよく話を聞いていた。3年以上付き合ってきて、別れることを考えると、ほんと、心が苦しかったけど、僕の状態のことをそれ以上心配させたくなかった。決心はついていた。でも言えないでいた。
そしてそのちょっと前に起こったことを思い出していた。学生の頃に知り合っていた西沢由紀という人物からの電話のことを思い出していた。
斜光が女子高生の顔に当たり始めていたから、店員に目を合わせてカーテンを半分閉めさせてもらったが、身を乗り出したとき寝息が聞こえず、少し心配した。まさかな、と思ったことを覚えている。
由紀。出会ったときのことはなんとなく覚えていた。群馬のどこかの歴史資料館だったか。覚えてないのは、その当時彼女が学生だったか、社会人だったか。とにかく彼女から電話が来たのだ。「ねぇ、最近眠れないでしょ? 近所の内科でいいから行ってみなよ。風邪をひいたときに行ったでしょ?」短く、唐突な内容の電話だった。
そしてしばらくして、由紀が言ったように、たぶん彼女の言葉がきっかけで駅の手前の内科に相談しに行った。風邪をひいて1回だけ行ったことのあるお医者だった。
だいぶ後の話だけど、10年以上たって障害年金を受けようと書類を揃えていたのだが、国民年金では2級からしか受け取れず、無理だろうなと半ば諦めていたのだが、由紀の言葉でお医者に行ったことを思い出し、その時は厚生年金だったため、もしかしたらと初診証明をお願いしたらなんとカルテが残っていた。5年で廃棄して良いものを残しておいてくれた。たった一度訪ね、鬱病ではなく不眠症としか診断されてなかったのに、なんと初診証明として認められたのも意外だった。
由紀とは社員をやめてから2年間くらい遊んだが、いつの間にか姿を消した。その間に携帯も変え、原因は忘れたがデータも失っていたため、今、連絡を取れない。当時、年金を受けるなんて考えもしてなかったし、後にこんな大切な存在になるとは思ってもみなかった。
やさしく、首に腕を回してくれる夢はたまにみるから、目がさめるとせつない。心の底から、夢が現実であれば、と願ってしまう。
「日記とか物語に名前使っていい?」
「何にでも使ってよ」
そんな会話があった。
仕事に通えなくなって、2ヶ月間の休職の間に彼女とは別れた。
斜光の向こうの暗がりで女子高生が目を開けていた。店員は読んでいた本を閉じ、目を合わせて灯りをつけるか?と。僕は静かに首を振った。
「学校にしっかり行ってもらいたい」苦しく重く無責任な言葉だった。彼女は細かく何度か頷き、再び目を閉じた。寝ぼけていたかな?とそのときは思った。
電話は二度と来なかった。そして会うこともなかった。