陽の翳り(投げ銭)

この部屋に住み始めてどれだけの時間がたったのだろう。と頭をよぎった。

傾きかけた陽を目で追い、それから目をうつした部屋の中は薄暗く、世界を構成している様々な要素で満たされていた。紙に印刷されたもの、データファイルで受け取ったもの、それらの中に『要素』があり、床に積もり事実上失われたものもある。ハードディスク上に存在しているが、その所在を意識していなければ、床に積もっている紙に染みたインクと同じようなものだ。

音も立てず女が部屋に入ってきた。俺は傾き続ける陽を視界の隅に置いている。女は姿を見せずほとんど音も立てず、グラスの底に5ミリに満たない量のスコッチを注ぐと上唇に当てた。見ずともわかる。そしてグラスを回して俺にかける言葉を探している。上唇に残るアルコールの刺激は、彼女が俺に接するとき必要なのだ。これも『要素』なのかもしれない。

俺はそれらしくひとつの、地形に関する論文を手にとった。沢の形状、斜面の角度と方位、土の質、、、 水性昆虫の成長、そして羽化後の成虫の大きさ。いくつかの沢が比較されている。女は俺の分もグラスに注いでいたらしく、紙束を持つ手元近くに静かに置いた。女は静かにタブレットで世界のどこかへアクセスし、この国の戦乱の歴史についての資料をパソコンのフォルダに入れた。

戦乱? アクセスしてみるとすぐにわかった。戦乱から逃れた貴族や武士は山深く入り暮らし始めたが、そこで生き続けられたかどうかは土地が肥えていたかどうかに左右され、つまり羽化した成虫が大きいかどうかという結論に近いのだ。陽の翳りが俺たちを含む小さな世界を覆いだした。

女が口を開いた。「この研究に直接関わりはないでしょうけど、子供たちはお腹を空かせて泣いたでしょうね」なるほど。「それか、、」ん?「それか生まれてもすぐに死なせたか。こんどいっしょに民芸品屋に行ってみようか。ヒントがあるわ」

「歴史か。俺の学ぶべきこと?」

「歴史とか、区切っちゃダメ。それはしないで。『要素』を体で感じて。知ることで、心を震わせて」角度の低い陽光が燦爛している。「それができると判断したから我々はあなたを選んだの」あのとき、俺は死を選ぼうとしてたのに。

改めて論文を手に取る。しかし女は静かにそして優しく制した。「今日はもう終わりでいいんじゃない? 外へ出ましょう」女は僅かに機嫌の良さをその端正な顔立ちからこぼしている。

「いつもスコッチなの?」訊いてみた。「んー。他に飲みたい? ビール? そこまではあなたのことを調べてなかったわ。というより、選り好みのない人間だと判断してたの」陽が雲の陰から両手を広げている。

「それなら、そのうち飲みに行かない? ピルスナー? ヴァイス?」この話題は楽しそうだ。「ヴァイスの美味しいお店なら俺も知ってる」


河原を歩いた。ビールの話題が終わると特に話すこともなくなった。それでも女は楽しそうだ。そんな彼女を見るのははじめてだから、俺も嬉しかった。

下流の街に出た頃、陽は燃え、大地が沈み始めているようだった。世界の終わりか? 思わず口を突いた。「そう。近づいているのよ」女は静かに言った。


============終わり============

僕も投げ銭方式を取り入れてみます。もしよろしければ・・・。励みになりますよー。涙

今回は写真を眺め、それからちょっと思うところがあって文章にしました。それからそれからヴァイスは本当に好きです。普段はアルコールは飲まなくなったのですけどね。

その2書けました。

https://note.mu/agi/n/nda69a1959384

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