2018年振り返りと音楽
12月31日の大晦日。
地元の広島に帰り、自分の実家と妻の実家を行ったり来たり。
昨日は恒例の餅つきをした。義父さんに少しだけ指導してもらったつき方は、義弟がしっかり受け継ぎ職人並みの手つき。
私は腰痛にも悩まされ相変わらずの屁っ放り腰だった。
本を読もうと重たい荷物を下げて帰省しても、なかなか落ち着いた時間が見つけられない。
移動の合間に、よく行っていたスタバでこれを書いている。
2018年は「変化」
松坂世代
個人的な2018年の振り返りをしたい。
1981世代。松坂はオールスーターファン投票1位になった。
その裏で村田と杉内が引退。梵は社会人野球の選手兼コーチ。
同世代がもがき苦しみ、何かを終わらたり、新たに始めたり。
高橋優の「虹」のPVは自分ごとのように、強く胸に刺さる。
ビジネス選手として、松坂世代として、自分に何ができるか、作れるか。
壁と暗闇の2月
KDDIウェブコミュニケーションズのデザイン部を任されて、クリエイティブチームを創っていたところから、新規事業のマネージャーに異動した。
世代に特化したECサービスで、勝手わからずも責任を背負い込み、本で書かれたそれっぽい小手先を提案しながら、新しい動きを作ろうとした。引っ張っていこうとした。
当然ながらメンバーには理解されず、信頼されず。
道筋を示すどころかチームのお荷物状態で、会議のメンバーから外され、オペレーションを夜な夜な一人で行う日々が続いた。
どうしてこうなったのか分からず毎日が苦しかった。会社に行くことが嫌で仕方なかった。
春にAviciiが死んだ。なんだか交錯する想いがどこのも到達することなく、ただ落ちては流れていくだけの月日だった。
救いの5月
仕事に追われながらも大切な家族との時間は作りたい。
そんなワガママを同世代の幼稚園パパママが叶えてくれた。
総勢7家族の大所帯で、ふもとっぱらのキャンプ。
大好きな富士山が視界に入りきらないくらいのスケールで広がり、刻々のその姿、色味が変わる。朝日の眩しく神々しい姿には心からうっとりとした。
子供や仕事の話、家庭の話を夜な夜な酒と共に語りあう。
胸の中にどす黒い重たいものがずっとあったけど、それが溶けて消えていく感覚がった。Radiohead を聴いていたそんな初夏。
非現実の7月
懐かしいはずの地元の景色が、濁流に飲まれ変わり果てた姿でテレビに写っていた。
西日本を襲った7月豪雨。
放送されている地名はまさに故郷。
よく知った橋が流され、小学校の通学路が川になっていた。
東京にいる自分にはできることは少なく、地元の友人や家族に連絡をとり安否を確認しながら正しい情報を調べ、伝えていく。
自分が通ってた道や訪れた場所が数々テレビで映る。酷い状況に落ち込み悲しくなる。
けど現地にいるのは自分じゃない。自分が凹んでる場合じゃない。
自分はやることやろうと仕事に集中しようとガムシャラだった。
しかしながら現場の状況は全く進展せず、マネージャー職としての業務も重なり疲弊しきっていた。記憶力が低下し、言葉が出てこない、思い出せない、MTGで意見がだせない。
自分の異常さが怖くなり、上司に状況を伝え相談した。
そこからが早かった。
次の日に異動。役職もなくなりただの社員に。
副社長付という直結で個人的な動きができる部署に変わった。
少し休めと言われ、職場からも数日離れた。
何をしようと考えた時、漠然と山に登りたいと思い立ち八ヶ岳へ。
出勤する方向とは反対の中央線。真っ青で吸い込まれそうな青空。緑の木々と岩肌を登る。全てが非現実で、けれど五感全力で感じるリアルで、シンプルに山を登ることだけに神経が集中していた。
行者小屋でテント泊をし、そこで仲良くなった若いデザイナーと一緒に翌日赤岳を目指す。
そこで見た眼下に広がる雲海と遥か遠くに見える山々の稜線は忘れることができない。
全力で命の危険を感じながら、山で知り合った仲間と助け合い、語り合う。
皆それぞれの人生の中で、今この瞬間を共に味わう喜びは変えがたいものになった。
大好きな野村訓市のラジオ「TRAVELLING WITHOUT MOVING」で知ったThe Avalanchesを良く聴いていた。
解放の9月
職場に復帰し、自分にフィットした業務を与えてもらえた。
ただずっとこのままでは不安で仕方ない。自分の可能性や存在価値、市場価値を再確認したくなり、転職活動を始める。
その活動の記録は別のnoteにまとめた。
わずか1ヶ月で内定をいただいた。
しかし失敗も数多くこの転職活動でまさに自分を省みることができたように思う。
得意なこと、不得意なこと、肌に合うこと、世界観、メンバー感、など。
新しい仕事を手に入れたこと以上に、自分自身を解放しさらけ出しながら本音で様々な人とコミュニケーションとれたことが何よりの財産であり、この9月に手に入れた自信となる。
また好きなフェスにも参加できたことも心の解放と勇気という大きなインパクトを与えてくれた。
SWEET LOVE SHOWER 2018
AIRJAM 2018
一新の11月
11月2日が最終出社日となり、4年11ヶ月お世話になったKWCを退職。
たくさんの方に助けてもらい励まされた。
一緒に仕事をしてくれたチームのみんな、肩肘張らず自分のペースで進むよう諭してくれた上司たち。ありがたい言葉をいただき、次へと進ませてくれた。改めて感謝いたします。
そこからほぼ1ヶ月分あった有休を消化する。
休日仕事で中々会えなかった親友と共に行った丹波山へトレラン、息子念願の新幹線「MAXとき」に乗り新潟旅行、新しくマンションを購入、リフォームと引っ越しを同時に開始、30kmの多摩川マラソン etc
そして、広島の祖父が逝去。
急遽の広島帰省。葬儀には参加できなかったため、仏壇へ手を合わせに行った。遅くなってゴメンね、と手を合わせると不思議と涙が止まらなくなった。遅いわと怒られて、会えなかった悲しみがやってきたように感じる。
親族も含め何か空虚な雰囲気になっていた。けれどだからこそやり方を改め、これまでの流れを断ち切り、新しく動き出そうとしていた。
じいちゃんがいなくなったからこそ、次の家族の在り方を探し始めたんだと思う。
そして私たち家族も4年半ほど過ごした家を離れ、新たに我が家を構える。
気持ちも体もまさに一新し、次のステージにある人生をスタートしていく。
挑戦の12月
ライフスタイルも一新し、職場も新しい就職先へ。
南青山にあるKWCから品川にあるISIDへ初出社。
Tシャル短パンで行っていた会社から、スーツ革靴のドレスコードがある会社となった。これまでの経験を買ってもらい、私もこの場で更なるステップアップを考えて挑戦をする。
実際は自らの行動が左右する、根気よく泥臭くも実直に物事を進めていくような仕事。小さな成功やタスクを積み上げ続け、信頼や協力を得ることが大切である。
クリエイティブ職の採用は希であれ、結局は人と人のつながりで丁寧に業務を遂行していく。感覚やデザイン性はまだその先にある。
肩肘張らず、ひとつずつ丁寧に、なんども繰り返して作り直していく。
その大切さを知った1年だった。
来年は結果と勝負の年。
それを積みあげて新しい視界を得る。
共にその景色を見る仲間を増やす。
2019年もよろしくお願いします。