夏の終わり香
連休明けの月曜日、いてもたってもいられず外にでた。
自転車で下りながら感じる風はとても気持ちいい。雑誌で読んで気になってた古本屋を目指し世田谷まで。道のりは14km以上ありどうしようか迷いながらも昼休憩を使って移動した。その日は1日有給にするつもりが、先週末の残タスクが気になり、見たくもないメッセージを見てしまった挙句、結局午前中に作業をした。仕事は面白くないが、とにかく生産性と役割を意識してやれることをやりきりたい。そこから。
夏の終わりが香ってきた青空と立体感の強い入道雲を見ていると、部屋で一人パソコンに向かっていることが馬鹿らしくなった。
自宅から世田谷までは武蔵野台地を下って行くため終始くだり坂。
仕事道具とタオルをカバンに入れ、とりあえず自宅から飛び出した。
小学生が下校中、楽しそうに挨拶を交わす。道路工事の交通整理の人が頭を下げる。テニス帰りのマダムがたむろする。全く知らない地名の簡素な住宅街を抜け、京王線駅前の賑やかな繁華街を横目に、ひたすら南東へ。地図は見ず、感覚だけで適当に道を選ぶ。こんな旅が楽しい。
音楽は聴いてなかったけど、なんとなく折坂悠太の「朝顔」が頭の中で流れた。
1時間が経ち思ったより遠回りしてしまったようだ。近くにカフェはないか探し彷徨うと環八沿いのスタバを見つけた。席も空いていたためこちらで午後からの仕事をやっつけることにした。
店内は涼しく快適だったが、汗だくのTシャツ短パンでは流石に凍えてしまい、途中から外のテラスで作業。街の雑踏も部屋で一人孤独に作業することに比べると格段に心地よかった。
子供づれの母親、上客と商談する証券マン、試験勉強中の学生、クリエイティブフリーランスっぽいお兄さんお姉さん、様々。色んな人が同じ空間で混ざりながらも距離を保ちそれぞれの作業に没頭するのは懐かしさすらある。ここ数ヶ月で失ってしまった体験のひとつだ。
定時で切り上げ、目的地までの残り3.4kmをのんびり走った。夕方の世田谷は人も車も多く少し忙しない。大学の大きな校舎をすぎると目指してた本屋は、周辺に溶け込むようにそこにあった。
そこは表に小さな看板だけがあり、しかも駐車場を抜けた奥まった階段が入り口だった。お店は二階。趣ある外観の古びたアパートの一室という感じ。ドアは見た目以上に軽かった。
雑誌でインタビューを受けていた主人が「いらっしゃいませ」と笑顔で答えると、すぐに自分の作業に戻って行った。
店内は照明をかなり落とし、海外のラジオがそれなりの音量で流れていた。中央に鎮座した向かい合うソファーを囲うように本棚が壁を埋め尽くす。よく見るとレコードや雑貨、Tシャツからトートバックなど様々な商品が並ぶ。大人の玩具箱のよう。店長がインタビューで語っていた村上春樹のコーナーもあり、憧れの山小屋が描かれている「海辺のカフカ」も揃っていた。
他にもアート、フォトグラフ、文学、雑誌など様々なジャンルが並ぶ。「しまった。。」タイミング悪く現金が数百円しかなかったことに気づき、とりあえず文庫本をメインに探した。
手に取ったのは「卵を埋めない郭公」
1965年にジョン・ニコルズが発表した作品を村上春樹(村上柴田翻訳堂)が翻訳したもの。全く知らない作品だったけど真っ赤な表紙とモノクロ写真に惹かれて購入。レジに持っていくと丁寧に商品を手に取り紙袋に包んでくれた。
ドキドキしながらも、初めて来店したこと、雑誌で店主のインタビューを読んで興味を持ったこと、村上春樹の作品のこと、そんな話を短い単語で会話した。マスク越しの会話はなんだか想像力を意味なく掻き立てられるというか、表情がわからない分、リアクションや声色で読み取るしかない。妙な間が生まれる。また来ますと最後に残し、お店を後にした。なんとなく夢の中のような時間だった。
外に出ると強い西日が自転車に長い影を落としていた。さて、ここからまた10数kmを自転車で帰宅するわけだが、いったいどっちへ向かえばいいのかわからない。さすがに適当に迷いながら帰る元気はないので、Google先生の言いなりになるとする。ビルの合間に見える茜色の夕陽を眺めながらペダルを踏み込んだ。
なんだか少し肌寒かった。徐々に暗がる街中を必死で駆け抜ける。
そして今はくしゃみと鼻水が止まらない。効きすぎたクーラーで風邪をひいたようだ。