【賢い人が謙虚な理由】
賢い人は断言をあまりしない、
謙虚な文章を書く傾向があると思っています。
これには、
断言をすると間違ったことを言ってしまいやすかったり誤解をされたりする可能性が高まるなど、様々な理由があると思っています。
例として、ここに1つの文章があります:
将来も、人間のイラストレーターは絶対に残る。
なぜなら、AIの生成した絵には人間の温もりがないから。
最近良く話題にのぼる、
生成AIとイラストレーター問題を例として挙げさせていただきました。
さて、この文章の問題点は3つあります。
①”将来”の具体的な年数が示されていないこと
②人間のイラストレーターが100パーセント残ると断言することは不可能であるのに断言されていること
③”AIの絵には人間の温もりがない”という主観がさも事実であるかのように語られていること
(それぞれの問題点の説明は割愛)
そんな問題点だらけの文章ですが、これを謙虚な文章に変えてみると…:
これからも人間のイラストレーターは残っていくんじゃないかな~と、
少し願望もありますが思います。
個人的には、人間の描いた絵にはAIの生成したものとは違う、
なにか温かみのようなものを感じるんですよね。
断言をなくし、あくまでも自分の感想だということにしたおかげで、
③の主観が事実として語られているという問題点が解消されました。
さらに、願望だということを追加したおかげで②の断言が解消されました。
このように、
断言を使わずにあくまでも自分の感想だということにすることで、
あとから考えが変わっても”あのときの自分はこう考えていた”ということにしやすく、
また婉曲的な文章になりやすいため読者の感情を煽りにくい、
誤解されて攻撃されるリスクも減らすことができるなど、
様々なメリットがあります。
ですが、デメリットとして、文章の説得力が失われる場合があります。
本当はこの記事の文章も言い切りの形にしてしまったほうが
説得力が増すのですが、言い逃れができなくなるのでやめておきます。
ちなみに、例の文章の問題点を完全に修正した文章はこちらになります:
人間のイラストレーターが描いた絵に人々が温もりを感じるような絵をAIが生成できるようになるまでは、
人間のイラストレーターの需要はあると思います。
その根拠は、現時点での画像生成AIがコンテキストを含む画像を生成することが難しく、
私がコンテキストを含む画像をそうでない画像より好んでいることから、コンテキストを含む画像の需要が少しでもあることがわかることです。
頭がよく見られたい方は、
ぜひとも謙虚な文章を書くことを心がけてみてください。
最後までお読み頂きありがとうございました。