わたしはあの自転車カゴの蜘蛛ほど追い込まれてはいない
朝はいつも憂鬱である。朝のミーティング準備、鳴り響く現場からの電話、上司からのタスク確認、関係会社からの催促。同僚等からの横入り仕事。一体いくつ手があれば足りようか。転職は成功したものの私はどうやらそういう星の下に生まれているらしい。元々前職でも似たようなことは行っており、その業務経験を買われての転職だったが、正直なところこれでよかったのだろうかと思わない日が無い日々を過ごしているサラリーマンである。
事の発端は業務の引き継ぎであった。元より働き盛りの世代である私に対して能力を完全黙殺して部内で決まった言うなれば「部意」である。しかしながらこれをこなしきれば会社の中枢を担えるかもしれないという安易な考えがあったことは当時の私を浮かべれば完全には否定しきれなかった。
結局のところ引き受けてしまった。
それからは地獄の日々だった。マニュアルもクソもないただただ垂れ流しの指導の連続。納期があり、日中ではメモさえ取る暇もない中での一度聞いたことは聞くなという無理難題。どうすればこの状態から抜け出せるだろうかといつものように自己啓発本や仕事のハウツー本に縋ったが、中々成果が出ない。迷っている中で今までどのような形で問題に取り組んだ来たかを思い返してみた。ひたすら延々と自問自答の連続。そのような中で思い浮かんだのは、前職で知り合ったOさんとのやり取りである。
Oさんは私が赴任して程無く退職されたのだが、妙に波長が合い、(今思い返すと合わせてもらっていたのかもしれないが)忙しい中、脂っこい悩みや相談をぶつけても否定や何か怒るわけでもなく親身になっていただけた。どうして今まで連絡しなかったかというと、それは一重に遠い地で上手く行っているよという見栄である。我ながら面倒くさい人間であるが、今回ばかりは本当に行き詰まっていた。Lineを消してはまた書き、消してはまた書きその繰り返しがあり、Oさんへ思い切って送信してしまった。
「お元気ですか?今日お電話できませんか?」
少し時間が経ち、着信があった。
「仕事終わり次第大丈夫ですよ。たくやからはいつか連絡がある気がして…。たくや以外の前職の方々はブロックしたけどね」と。いっぱいいっぱいの状態なのに最後の一文に迂闊にも喜んでしまった。
定刻となりOさんに近況と考えていることを話し、いくつかの質問を受けた。Oさんからの総括としては「たくやは変わり者だから周りとギャップがある。また考え過ぎてしまうきらいがあり、それ故に生き辛いと思いこんでしまう事がある。ただ考える事自体は良い事なので、とにかく完璧主義にならず頭にある事をやってみる事と続けるが肝要。」というようなものだった。
大体の悩みの答えというのは自分の中にしかないことが多いと思うし、自分で決めないと後悔が残る。Oさんは安直にこうした方がいいというのではなく、ところどころで私に意見を求めるので自分で決めさせてくれるように振る舞ってくれる。素直になれない私の心の奥底の声を拾い上げて『頑張れ』と背中を押してくれるOさんには素直に感謝の2文字しかない。
それからというもの仕事にしてもプライベートにしても頭にあることをやれる範囲ではあるけれど、とにかく片っ端から行いながら日々を過ごしている。大きな衝突もあり、日々疲れているし、何より漫画や小説のようにこうした日常がガラッと変わるわけでは無いけれども何だか少しづつ前に進んでいるような気がした。
ある朝現場に向かう為、自転車に乗ろうとしたところ「ダイジョウブ??」後ろから声をかけられた。守衛さんだった。よほど私の顔というか後ろ姿が朝一の晴れやかな青空に似つかわしくない表情をしていたのだろう。「ありがとうございます。大丈夫です。」と一瞥して自転車に乗る時、違和感。蜘蛛が巣を張っていた。昨日夕にも同じ自転車に乗っていたが、そんな蜘蛛糸は無く、その量はもはやカゴからサドルにも達しようかというものだった。「蜘蛛にすらこんな仕打ちされるんですね。」独り言のように呟いた。
守衛さんは「生きるのにきっと必死だったんだろうね」と一言。7つの習慣の如く衝撃。最後の力を振り絞って夕方から朝にかけて作ったのだろう。きっと自分はまだあの自転車カゴの蜘蛛ほど追い込まれていない。私は今日も小さな虚勢だけ張って生きていく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?