なぜnoteをはじめたのか?古希を過ぎて新しいことに挑戦!パソコンのスキルアップ!健康オタクの知識の共有
なぜnoteをはじめたのか?
古希を過ぎて新しいことに挑戦
パソコンのスキルアップ
自分の経験を皆さん伝える
健康オタクの知識の共有
老後資金を副業で稼げるかな?
ということでnoteでの挑戦が始まりました。
このnoteで皆さんは何を手にできるか。
ずばり「 健康 」です。
病弱だった子供時代から様々なことを経て今に至るまで人生で、健康の大切さを痛感しています。
後遺症や古傷で痛みを抱えている身体ですが、それを克服する術を学んできました。
そのおかげで見た目は50代、医者や病院には無縁、健康な生活を手に入れました。
そんな私の経験とAIで集めたノウハウを皆様にお届けします。
さて、自己紹介です。
はじめまして。
古希を過ぎたケアマネです。
昭和26年(兎年)生まれ、3歳の頃から新宿区四谷で育ち、江戸時代の甲州街道の大木戸門の内側、大江戸の地で育ったことは、まさに歴史と伝統の中で生きてきた証です。
病弱な子供時代と初めてのスキーで骨折した高校時代
子供の頃は病弱で、毎日がちょっとした冒険でした。
特に高校3年の冬、初めてのスキーで見事に転倒し足を骨折、卒業式を欠席する羽目になったのは今でも笑い話です。
それからしばらくスキーからは遠ざかっていましたが、再びスキーの楽しさに目覚めるのは後の話です。
ダイビングとの出会いとネス湖の冒険
二十歳の頃、フランス人のジャック・クストーのテレビ番組を見て、ダイビングに魅了されました。
アルバイト代を全てつぎ込んで、週末は伊豆でダイビング三昧の日々。
ダイビングインストラクターに推されましたが、楽しみを失いたくない一心で辞退し、一段下のダイブマスターで遊んでいました。
しかし、そのダイビング技術が買われ、ネス湖探検隊に参加することに。
スコットランドのネス湖畔で3ヶ月間過ごし、ネス湖に潜ったり、ホテルのバーで本場のスコッチを楽しんだりと、まさに夢のような時間を過ごしました。
その後、ロンドンで3ヶ月間暮らし、日常会話程度の英語も習得しました。
帰国後の冒険と介護の世界へ
帰国後、姫路にある潜水調査会社に就職し、港の工事や火力発電所の取水管に潜ったりと、様々なチャレンジを楽しみました。
特に、真っ暗な取水管に潜ったり、新しい機材を作ったりする経験は、まさに冒険そのものでした。
28歳頃までには、多くの経験を積みましたが、その後は比較的普通の生活を送るようになりました。
しかし、50歳の頃、認知症が始まった父親との同居をきっかけに介護の世界に足を突っ込み、現在に至ります。
ダイビングの継続とユニークな経験
潜水調査会社を退職後も、ダイビングは続けました。
日本や世界の一部地域でダイビングを楽しみ、特に姫路水族館のウミガメ大水槽での新しい機材のテスト中にウミガメに足ひれを噛まれたり、顔を突っつかれたりしたのは面白い経験でした。
潜水時間は約2,000時間に及び、楽しかったことも、死にかけたことも、すべてが良い思い出です。
スキーへの再挑戦と夫婦の楽しみ
骨折で卒業式を欠席して以来、約10年間はスキーを避けていましたが、その後再開し、50歳ごろからは妻(足が不自由なためチェアスキーで)と一緒に滑るようになりました。
我々のホームゲレンデは福島グランデコ・スキー場です。
新潟のスキー場がサービスの努力を感じられなくなったのに対し、福島は関東からの客が少なく、スキー場のサービスや設備に努力が感じられ、皆さんにもお勧めできます。
旅行の楽しみと読書の趣味
小さい頃から父親の商売(家具屋)の関係で旅行によく連れて行かれました。
初めての海外旅行は韓国のソウルで、公園の屋台でサナギを煎って売っている光景が記憶に残っています。
次の海外旅行は前述のネス湖でした。
旅行した外国の都市は数え切れないほどあり、一人旅で多くの冒険を楽しみました。
国内旅行も沖縄以外のすべての県を訪れ、観光地の外側を楽しむことが好きです。
例えば、「黒部ダム」の落ちない大岩や「竿燈まつり」の昼竿燈など、ユニークな視点で観光を楽しんでいます。
読書の楽しみと未来の挑戦
若い頃からSF小説が好きで、現在は「読む」のではなく「聴く読書」を楽しんでいます。
おすすめの「聴く読書法」は「オーディブル」です。通勤時に乱聴きし、多い時は月に20冊程度の本を聴きます。
いかがでしょうか?私の人生の一端をお楽しみいただけたなら幸いです。
これからも新しい挑戦と冒険を続けていきたいと思いますので、どうぞよろしく。