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巡禮セレクション 6

2017年02月19日


大祓祝詞

僕は、毎朝神前で禊祓の祝詞を唱えているのですが、
そのクライマックスには、こんなフレーズでシメているのです。

「諸々の禍事罪穢あらむをば
祓へ給ひ清め給へと白す事の由を
天津神 国津神 八百万神等共に聞しめせと
恐み恐みも白す」

つまり、全ての神々に罪穢れを祓ってもらうためにお願いしているのです。

「罪や穢れを祓う」
これが神道の奥義だと僕は理解しています。

しかし、穢れとは、仏教の影響による思想であり、日本を稲作を基本とした国家構築とその頂点に天皇をいだくための方策だということがわかってきました。
奈良時代以降の律令国家制定における国の政策です。
政治と宗教が密接に結びついているのは古代国家の習わしです。

罪、穢れを定義した中臣祓詞は、文武天皇時代に創作されました。
ここには、天津罪、国津罪が列挙されています。
それは、こう書かれています。

「天津罪とは 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を天津罪と宣別て

国津罪とは 生膚断死膚断 白人胡久美 己が母犯罪己が子犯罪 母と子と犯罪子と母と犯罪 畜犯罪 昆虫の災 高津神の災 高津鳥の災 畜仆し蟲物為罪 許々太久の罪出でむ」

天津罪とは、農業に関係している罪です。
ウィキには、こう解説しています。
「大祓では、『古事記』や『日本書紀』に記す素戔嗚尊が高天原で犯した行為であるゆえに、天津罪をわけるとされている。しかし、全て農耕を妨害する人為的な行為であることから、クニ成立以前の共同体社会以来の犯罪との説もある。」

「国津罪は病気・災害を含み、現在の観念では「罪」に当たらないものもある点に特徴があるが、一説に天変地異を人が罪を犯したことによって起こる現象と把え、人間が疵を負ったり疾患を被る(またこれによって死に至る)事や不適切な性的関係を結ぶ事によって、その人物の体から穢れが発生し、ひいては天変地異を引き起こす事になるためであると説明する。」

国津罪は、病気や性に関するタブーや災害を罪だと列挙しています。

ウィキでは、それぞれの罪を解説していますが、天津罪は稲作政策に対する犯罪と読めるし、国津罪は個人の生活の道徳的指針を定め、厄災を罪としています。

これらは、国民に対するルールでもあります。
国津罪に病気や厄災を罪としているのは、これはいつも起こりうることで、それを穢れのせいにすることにより、祓いの必要性を強調しているように思います。

なぜなら、もし天津罪だけならまじめに他人に迷惑をかけずに稲作をしている、或は稲作の邪魔をしていない人には、祓いが必要ないということになるからです。

大祓詞は、天孫族が正統な権利をもって国を支配することを謳っています。
祝詞とは、神に宣言するためのものです。

しかし、実際は、神を引き合いに出しながらもそれを聞いている人を対象としているものだと思います。
つまり、神の意志によって天皇はこの国を安寧に統治するものである、その為には、罪や穢れを祓う必要があると、逆にいうと、天津罪、国津罪を犯すことは国の統治に反逆するものだと知らしめているのだと思います。

もし、稲作対象の天津罪だけなら多くの人は、この宣言に無関心になるでしょう。
しかし、身近な病気や厄災が自分の穢れが原因だというのなら、より関心を持たないわけにはいきません。
だから、国民は神頼みをするしかないわけです。


祓を施せる神官の地位を高めることは、その頂点の天皇の地位を高めることです。
おそらく、天津罪や国津罪も穢れと共に律令国家制定における政策だったのだと思います。


しかし、いわゆる穢れと呼ばれた、不浄なものが付着しているために不幸が生じるという思想は、穢れ以前に存在していたことは確かだと思います。
僕がいままで何回かにわけて書いたことは、穢れという言葉やその定義は、奈良時代に創作されたということで、ネガティブな影響によって不幸を招くという思想はそれ以前、世界中で見られたようです。
ウィキの穢れの項には、こう書かれています。
「穢れまたは不浄に相当する観念は世界的に見られ、質・程度の差こそあれ多くの文化に存在し、宗教学的、文化人類学的に見て重要な概念である。」

つまり、厄災は神の怒りが原因であるということです。
故に、神の意志を聞く巫女の存在が必須だったのだと思います。

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