#7 お金の本当の問題は格差じゃなく、断絶だという話。
「新しい時代のお金の教科書」が1話無料で読めるマガジン。前回は、「信用の外部化と地域的な拡大でお金は変遷してきた。」というメッセージでした。
今回は、お金の4つの問題をひもとき、お金への違和感が年々大きくなっていくその理由(編集後記、ここだけ有料)を書いてみたいと思います。
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「信用の外部化の度合い」と「地理的・社会的広がり」を軸として価値流通手段を整理すると、それぞれの手法について四つの要素とそれぞれの課題が浮かび上がってきます。
4つの課題とは、1.貨幣化(信用の外部化)に伴う信用のコントロールの課題(つまり近年の大規模な金融緩和における課題)、2.社会的基盤・文化的文脈を異にする共同体間における経済的価値の概念の合意形成上の課題、3.貨幣という数字によって取引されることによるそれぞれの財の文脈(歴史や物語)の喪失という課題、4.貨幣化を選択しない場合の合意コストの肥大化という課題です。これも少し難しいですね。簡単にそれぞれ説明していきましょう。
取引が成立しづらい──適合コスト
適合のコスト(図左下)とは、お互いの希望や欲望が一致せず、物と物を交換していると取引コストが高いということです。もう少しくだけた言い方をすると「Aさんが手放そうと思っている物はBさんが欲しがっている物である」という第一の一致と、「Bさんが手放そうと思っている物はAさんが欲しがっている物である」という第二の一致が同時に成り立つという状況は極めて難しいという課題です。このコストは、すでに述べたように信用ある貨幣を通して取引したり、ネットワーク上で個人や組織の信用を基盤としたつながりによって解消されてきました。
貨幣が安定しづらい──信用管理コスト
信用管理コスト(図左上)とは、あまりにも信用を外部化すると(お金を刷りすぎると)信用が担保されるのが難しくなるという課題です。リーマンショック以来、バブルが発生し、極端に貨幣の流通量が大きくなり、やがて崩壊するというサイクルが短くなっているということが通貨の安定性に負の影響を与えていることはみなさんも感じていることなのではないでしょうか。
価値の合意が困難──コミュニケーションコスト
コミュニケーションコスト(図右下)とは、お金を数字でやり取りするにあたって、物の価値というものは人によって全く違うため、価値の合意が困難であるということです。
文化によって〝価値〞は異なり、合意が取りづらいのです。もっと身近な例で言うと、ペットボトルの緑茶は私にとっては一〇〇円ですが、砂漠の真ん中の国では一〇〇円ではありません。本当は価値が違うにもかかわらず貨幣によって均一化されていくのがこの価値の合意というコストです。
『21世紀の貨幣論』(東洋経済新報社)でフェリックス・マーティンが用いている例を引用します。「記念建造物を保存するのは、それに歴史的な価値があるからである。絵画に感嘆するのは、絵に芸術的な価値があるからだ。うそをついたり、ものを盗んだりしないのは、そうすることに道徳的価値があるからだ。禁酒して、一日五回礼拝するのは、宗教的な価値があるからだ。祖母の安物の宝飾品を大切にとっておくのは、情緒的な価値があるからである」。これはどれも用途が限定された価値の概念です。
つまり、それぞれの領土の中では支配者でいられるが、そこから一歩出ると、治世はおよばないのです。馬の背の高さ、海の深さ、網の幅についての古い物理量の概念と同じで、情緒的な価値、芸術的な価値、宗教的な価値は、特定の活動の文脈で考え出された特定の意味を持つ概念です。情緒的な価値の国際標準など聞いたことありませんね。「社会的現実は村ごとにちがうだけでなく、人それぞれにも大なり小なりちがう。だから「蓼食う虫も好き好き」という言葉があるのだ」と言っています。
物語とつながりが切れる──文脈毀損コスト
文脈毀損コスト(図右上)とは、交換において生じる人間同士のつながりと、交換財の引き継ぐ物語(歴史)等の文脈を貨幣取引により毀損するコストです。ここで文脈とは、平たく言うと交換を通してできる人間同士でのつながりと、交換財が引き継ぐ物語または歴史のことです。そして、貨幣の本質的な問題は、実はここにあります。貨幣というのは数字で表します。価値というのは文脈を保全しているのであって、「誰が幾ら」としてしまうと、分断が起こってしまいます。
需要と供給で決まるのが一般的な価値概念です。
文脈があればあるほど、価値のあるものが伝わります。今世紀に必要なのはつながりと物語であり、文脈があればあるほど価値があるのです。徐々に周りの人や財と物語を作っていくことの大切さがわかります。
トマ・ピケティの書籍が流行し「資本主義の問題点は格差である」という考え方が通説となっていますが、私は資本主義の一番の問題は格差ではないと考えます。貨幣の本質的な問題は、格差ではなく文脈の毀損ではないかと思うのです。現代において、あらゆるものが最終形態として金融商品化されています。そこでは多くが株価という数字や記号で表現され、単純化されて、比べることができる形にすることで取引が可能になっています。しかしその金融商品の背景には、企業や人々の営みがあり固有の物語があります。それらは、数値で表現し比較できるものではないはずなのです。
本章では、貨幣というものがどういう風に変わってきたか、信用の裏付けを失くしながら、徐々にテクノロジーによって無国籍通貨の発行に向かっていく歴史について話しました。
〈まとめ〉
お金を構成するのは、「信用」と「汎用」です。
信用とは、「価値について説明が要らないこと」であり、価値=(専門性+確実性+親和性)/利己心で成立します。信用は価値の積み上げで形成されます。汎用とは、信用の適応範囲であり、広さ×深さで成り立っています。
シンプルに言い換えると前回と今回のメッセージは、信用と汎用を高めていこうということです。具体的には、貢献を通して価値を創造し、ネットワーク(業界)を横断してつながりをつくってゆく、ということです。お金の歴史からその未来を考えるとすべてが記帳されてゆく21世紀では隠し事はできません。信用は創るのに10年、失うのは10分です。
21世紀にやるべきことは、一時的な評価や一攫千金を得ることではなく、ネットワークを広げ、そのネットの網の中に信用を編みこんでゆくことなのです。
次回からは、国家、技術、社会、経済という大きな文脈の変化とお金の関連を見ていきます。信用は国家から個人へと母体が変化しているという点を見ていきましょう。
(本文:山口揚平「新しい時代のお金の教科書」)
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<編集後記>
今回のメッセージは、「貨幣の本質的な問題は、格差ではなく文脈の毀損である。」でした。
今回も、読んでくださってありがとうございました。次回(1/29)は、国家というより大きな文脈の変化を描写することでお金の変化を見てみます。
この観点からお金を見ていくと、「お金に対して違和感が大きくなってきたように感じる。」「お金が欲しいと思わなくなった…。」という感覚の正体が分かります。
衣類や食料など生活必需品のコストが下がっている今、人々が求めているのは生存欲求ではなく社会的要求です。
これは「つながりを感じる」「認められているように感じる」「居場所を感じる」などというような関係性を通して満たされる要求です。
そしてこれらの要求はお金で替えないし、お金で替えたとしても違和感がある。それはなぜでしょう?
この章でお伝えしたのは「お金とは、文脈を断絶するもの」という話でしたから…断絶してしまう道具を使って関係を得ようとするのは、遠回りであることに気づくのではないでしょうか?
最近の若者は「ほしいものがない」「お金を稼ぐことに興味がない!」と悟り世代のように言われることも多いのですが
若者は直感的に今自分が欲していることがお金によってはみたされないことを知っていて、お金ではないメディアを使ってほしいものを得ているだけ、なのですよね...。
編集後記:大西芽衣(ブルー・マーリン・パートナーズ)
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