【落語の病跡学】 『近所の爺さん』
(写真はどうやら私らしい)
昨日、地震のことを考えていて、そういや落語に地震はあまり出てこないな、と思った。江戸に津波・台風もあったと思うが、出てこない。災害が描かれないのは、人が死ぬからだろう。(火事と喧嘩は江戸の華だから、火事はぎりぎり出てくるが)
談志師匠は中村勘九郎に「落語は人を殺さないから偉いんだ。歌舞伎は殺すだろう」と飲みの席で言ったという。悲惨な死は嗤えないから落語にならない。ダメ扱いされる人間は我々の仲間だから描くが、人殺しはダメな人じゃなくてむしろすごい人間だ。少なくとも一般人の仲間じゃない。となるとそれは講談の領域だ(毒婦ものとか)。やっぱ落語に似合わない。
『地震加藤』という落語がある。聞いたことはない。上方落語だ。
朝鮮出兵の際に秀吉公に嫌われた加藤清正は、それでも耐え忍び、地震の際に太閤の元に真っ先にかけつけたお陰で謹慎を解かれる。この清正公のエピソードをご隠居が、堪忍がきかなかったが為に主人の子供を殴った奉公人に語って聞かせ、「我慢が大事だ」と伝える…。
まあ歴史的にあやしい地震のエピソードはともかくとして、この人を諭す役、戒め役としての「横丁のご隠居さん」が本日のテーマである。
金持ちだから働かなくて済む若旦那。働くことをバカにしてさえいる与太郎。江戸の町人の中に見られる代表的なフリーライダーである。
これらに対して「すでに働いてきたから」ということで仕事から退くことを許される者がある。ご隠居さんである。
なぜかご隠居さんというのは男しかいない。一人暮らしのことが多いのに生活ができているのも不思議だ。八五郎たちに「本当は泥棒じゃないか」と噂されるのも無理はない。談志の『子ほめ』では
「私は若い頃、身を粉にして働いた。だから今は倅が米などを送ってきてくれる」
と言っていた。子は親の面倒を見るのが義務で、もっとも尊いことであった時代の話である。その良し悪しは置いておいて、年金なんてものがなくとも『孝行』という価値が機能し、社会がうまく回った。その中には、いっしょに暮らして養うというのでなく、仕送りで悠々自適に生活させる、という形もあったのであろう。(今は親と子が逆である)
潔く仕事の第一線から退くというのは健全なことだ。
老害というのは少しキツイ言葉だが、一部の能力がピークを迎えて落ちていくのは事実である。生産性を下げるという現実的問題があり、見苦しいという美徳の問題を意識する人もあるかもしれない。
それでも男性はとくに肉体面において、過去の栄光にしがみつく。この執着がこじれて、アルコールに依存するなどといった問題になることもある。
それがそうはならず、八五郎みたいなものが時々慕って尋ねては話し相手になってもらい、適度にからかい、相談をし、うるさがる、くらいの位置付けに落ち着いているのである。
「横丁のご隠居さん」というように「横丁の」がセットである。アメヤ横丁とかの横丁である。この横丁、イメージが湧きにくい。
横丁は本来「横町」と書く。厳密には横丁はべつの意味になるのだろうが、細かいことはよいとしよう。
まず江戸の街には表通りがある。ここには基本的に表店が並ぶ。だから商人しかいない。横町はその表通りを直角に横切る道沿いのことである。やはり表店が並ぶが、住居もあったということであろう。
ちなみに庶民が暮らす長屋は表通りの店の裏にある。裏長屋というのはそのせいだ。表通りから長屋に行くには、木戸をくぐる必要がある。まあ昼間は木戸も開いていたのだろうが、扉をくぐらぬと住宅街に入れぬというのは防犯上も都合がよろしい。
長屋とは、上には広がってはいないが、横に伸びた団地とでも考えるとよいのだろう。団地にも門があって、そこの住民でないと入りがたい空気がある。
ご隠居が横丁に住んでいるということは、さほど金には困っていないということだ。金がなければ長屋に住んで働いているはずだ。例えば「糊屋の婆さん」は金がない代表だ。だれでも作れるような洗濯糊を売って、それこそ糊口を凌いでいるのだから。
だからといって、屋敷を構えて暮らすほどには裕福でもない。
キャラクターとしては大家さんに似ている。私には演じ分けかたが判らない。役者に演じさせるなら、どっちがどっちを演ってもいいのかもしれない。大家とご隠居さんが同時に出てくる噺を知らない。
だがもしかしたら違うかもしれない。さすがに立場が違うというのは判る。年齢はどうだろう?若隠居というのもあるかもしれないが、そういうのは個人的な勝手なイメージでは明治っぽく、江戸のご隠居さんとは違う。とはいえ横丁のご隠居さんは、そんなに歳だろうか?
老人というものをどう定めるかは、古くからも書物に書かれている。だがそういうものがアテになる保証はない。また、歴史の文献はしばしば政治の中心にいた武士という少数者のことを中心に書いていることがある。今私が知りたいのは町民のことであり、落語的なリアリティーであり、もっともらしい納得のいく「ご隠居」像である。
平均寿命が短い、ということも踏まえなくてはならない。だが、当時の平均余命を調べたところで、それが果たして正しく算出されているのかもあやしい。
また、幼くして亡くなる人は多かっただろうが、ある程度成人してしまえば、それほどみな早死にしたとも思えない。『子ほめ』で八っつぁんが、「九十歳の人はどう褒める?百歳の人は?」とご隠居に聞いている以上、それはリアリティーのある年齢のはずである。
とはいえ、元服は十代である。松尾芭蕉が翁と呼ばれたのは三十代だとも聞く。今よりは人が早く老い、死ぬ時代である。ご隠居さんの実年齢は、さほど高くはないかもしれない。身なりや容貌からは、老けて見えるかもしれない。関係ないが、サザエさんは24歳だそうだ。
年齢の考察はこれくらいを限界とするして、とりあえず、食うには困らない悠々自適な年配者を想定しておく。
…とここで思った。おそらくは近所ではいちばんの年寄りだ。厳密にいちばんでなくてもいい。落語にはごくたまに寝たきりの爺さんも出てくる。だが、八五郎が話をする達者な者、という中でのいちばんの年寄りである。そのほうが物語的にもすっきりする。
未開な村社会では、もっとも歳を取ったものが、村長となる。前線で体を張るのではなく、困ったことを解決するご意見番であり、尊敬の対象である。
あれについては、いつも思っていたが、2番目、3番目の老人っているんじゃないだろうか?教授がまだしばらく退官する年齢じゃないから、准教授は教授になる見込みがない、みたいな問題って、村社会ではないのだろうか?長生きできる人がわずかなら大丈夫なんだろうけれどね。
で、ご隠居さんというのは、ちょうど近所にひとりいるくらいの最長者ということではないか、と。江戸では未開社会よりもう少し人が長生きしているだろうから、年寄りの数も多いだろう。国というものができあがってもいるから、年寄りが受ける尊敬は、未開社会の長が受けるよりはずっと薄まってはいる。
年の功で、ものは知っている。学問をしていたとは限らないが、聞きかじったことは人よりも多いだろう。それなりの経験もしているから、知恵も相応にあるだろう。
書物や瓦があり、芸能も栄えていた時代ではあるが、今のようにテレビやインターネットがあるわけではない。八五郎がご隠居さんを尋ねる感覚は、ブログを読みに行く、くらいの感覚かもしれない。相互交流があるから、SNSか。
いや、リアルの方をネットで喩えるのがそもそも逆だ。だが、今の社会では、近所にいるというだけのつながりで、そのお宅に遊びに行くということはない。
してみると…。
こんなnoteを書いていると、尋ねてきてスキとかコメントをくれる方がいる。ああ、私こそが横丁のご隠居さんであったか。(あなたもね)
落語の考察はこちらもどうぞ。
こちらに出てくるのは大家のほう。