脚光を浴びない女
劇『脚光を浴びない女』。市民劇場に入会したので、10月例会として観た。
かなり面白かった。市民劇場に入会して良かった。
と言っても芝居であるからその感想を書き、おすすめしたところで読者が容易に観る機会を得られるものではないだろう。でもいいや。書く。ネタバレしすぎない(それでも少しする)程度に私の解釈を書いておくと・・
オープニングの電話シーン。相手は、主人公の父親の葬式に友人一同のひとりとして花を贈っている。だが相手には友人代表として花を贈った自覚はないらしい。それが象徴していた。テーマはアンビバレントだ。もっと言うと、反動形成だ。
登場するだれひとりとして本音に従わず、反対の行動をしてきた。一人の中学生を除いて。
芝居というものは、すべてのシーンがかけひきである。だが本音と裏腹に生きる者たち同士のかけひきは、表向き控えめである。これを直接本音で戦わせたとしても充分に面白いドラマになっただろう。だがその上を行く出来だ。
団地を出ない女。夫と別れない女。娘に実家に帰れと求めない女・・すべての「ない」は「たい」と言い換えられる。個々人の内部の対立のほうが激しく、濃密な時間が展開する。それが団地という器の崩壊の危機とともに、外へと爆発する。
さて、女達の芝居であったが、その裏には男たちがいる。彼らは何をしていたか?それを考えると深いものが見えてくる。
表層に囚われると残念な見方になってしまうが、この上ないリアリティに気づくと笑え、ゾッとします。