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薬と注射の備忘録(2) 『「そんな薬は使ったことないし…」って尻込みしているのが医者だという話』

病気の妹を救うため、兄は冒険に出て秘境にたどり着き、伝説の花を手に入れて帰ってくる・・・。

そんなメルヘンはよくありそうだ。



薬と注射の備忘録を続ける。2回目は薬の話。

精神病(統合失調症等)の薬を抗精神病薬と言う。

最近の話をすれば、2019年にはロナセン(ブロナンセリン)と呼ばれる抗精神病薬の貼り薬が発売された。以前から「湿布で病気が治せればいいだろうな」と思っていたが、まさか実現する日が来るとは。それ以降にはラツーダ(ルラシドン)という抗精神病薬が発売されている。

このように次々と薬が開発され、今では使える抗精神病薬の種類がたくさんある。たくさんあるとどれが効くのか気になるところであるが、実はどれも飲めば効く。他の薬よりも効く、と呼べるのはクロザピン(クロザリル)と呼ばれる一剤だけであり、それは副作用が大きいために簡単に使える薬ではない。

人によってどれが効くというのは異なるが、それをさておけば、抗精神病薬はどれも効果があるのだから、あとは副作用が問題になる。薬を選ぶ決め手は副作用の種類であり、患者の生活の質を大きく変えるのも副作用の有無である。


ところで、どんなに効果があり副作用も少ない薬があったからといって、それが必要な患者の元に届くとは限らない。

例えば先に述べたラツーダは日本で開発された薬だが、海外で先に承認され多くの国で使われていたにも関わらず、国内での発売はずいぶんと遅れた。国内臨床試験が成功するまでに時間がかかったからである。レキサルティ(ブレクスピプラゾール)という薬も、舌下薬にするという工夫を経てようやく認可を受けられるほどの充分な成績を出すに至った。

今では多くの患者を治している薬も、日の目を見なかった可能性があるということだ。実際に闇に葬られた薬だってあるし、海外では使われているが日本では永久に使われないことになった薬もある。患者がそれらの薬にアクセスできる可能性はほぼない。


医者が新薬を使わないために患者がその薬にアクセスできない、ということもある。医者が新しい薬を試さない理由はいろいろあるが、そのひとつに「効かない」という勝手な思い込みを医者がしているから、というのがある。


医学的治験に従った医療、『エビデンス・ベイスド・メディスン』という言葉が流行ったのはほんの20年前だろう。だが医学的な「証拠」は、捏造せずとも薬剤メーカーに誘導され得るということを「エビデンス・バイアスド・メディスン」と揶揄しながら解き明かした論文が登場。その後研究発表時に、研究者はメーカーとの繋がりを開示する習慣ができあがる。

論文はあてにならないのであろうか?たしかに、メタ研究と呼ばれるもので「この薬は効く」という結果が出たとしても、必ずしも充分な効果があると言えないことがある。だからと言って「エビデンスなんて意味はない」と言っていいのだろうか?

エビデンスを参考にしないなら何を頼って治療するのか?研究結果は真理の飽くなき探求の末に得られるものだ。限界を見据えることは大切だが、価値ある結果はないがしろにしてよいものではない。「経験と直感があるから論文なんか読む必要はない」と言うのなら、「その医者が素人と違うという証拠」はどこにあるのだ?


ラツーダは副作用が少ないので、今アメリカでもっとも多く処方されている薬となっている。症状再燃を減少させ患者さんの生活の質を上げるのに大きな役割を果たしている。「効かなそうだし、これまでの薬で充分だ」と言い張る国内の医者は、もし海外で臨床をしていたらどういう評価を受けるであろう?


患者はこういうことをどれくらい知っているだろう?日本では薬剤メーカーが患者に宣伝をすることができない。競争原理による弊害が恐れられているのだろうが、医者が適切な治療に導く力がないのなら、コマーシャルによって購買意欲を煽るほうがよほどましなようにも思えるのだが。


なかなか病気が治らないという患者がいる一方、この世のどこかにはとても良い薬がある。科学が進んだ世になってなお、それらがめったに見つけられない秘境にある花のような扱いになっているのは嘆かわしい。人類を救うために知の冒険に出るのは研究者の役割だ。冒険者が一度手に入れた幻の花は、広く庶民の手の届くようにしなければ、研究・開発者も報われまい。


Ver 1.0 2022/02/06


第1回はこちら。


#薬
#エビデンスベイスドメディスン

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