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【数理エッセイ(2)】 『位相の積分』

(写真は娘との合作で、特に意味のあるものではない。一描いたものを一緒に加工したが、とにかくピンクにするように注文された。下の方にある塗りつぶされた領域が、積分したくなる魅力を持っているかな、と)

 位相x(t)を時間tで1回微分したものが速度であり、2回微分したものが加速度である。これぐらいはイメージするのは難しくないだろう。さらに、3回微分、4回微分も、微分のイメージがつかめていればそれなりに理解することはできる。例えば加速度は速度の変化率であり、同様に加速度の変化率を考えれば、3回微分、4回微分の意味を見いだすことができる。いわば「加加速度」「加加加速度」「加加加加速度」……である。

 じゃあ、積分したらどうなるんだろう?と、私が高校生の頃、友人が言った。これは数学的センスを問う非常に面白い問題である。位相x(t)を時間tで積分したものは何を意味するか?私はそのとき答えを思いつき、以来、いろいろな人にこの質問をしている。これが答えられない人が多い。

 計算なら容易にできるという人が多い。試験に通るのに必要な勉強が、そのような人しか生まないのはよくあることなのだ。理学部卒(数学科ではない)にこの質問を出したときさえも、「たとえば単振動ならゼロになるよ」などと言って、その人は充分な答えを出したつもりになっていた。彼は工学の研究をする人でもあったが、これまでの人生でその程度の理解で困ったことはないようだ。工学では計算力のほうが重要なのだろう。

 東大理学部卒の医者はあっさりと答えた。彼女は「え、そんなの簡単じゃん。その位相と時間の積だから、たとえばその位相の大きさに合わせて水を流したりすれば、その総量とかになるでしょ」と言った。
 そう。簡単、あたりまえなのである。考えるようなものではない。このあたりまえこそが、理解されていないものだ。

 数学的概念の本質を解る人がいかに少ないか、ということがよく解る。本質的理解の有無がこの問題によって問われるのであり、これは計算力や知識とはまったく別のものである。つまり、その場で考えてどうにかなるような問題ではなく、調べてもまず答えを出しようのない、かつてどれだけきちんと本質を捉えて学んだかが、さかのぼって評価されてしまう問題なのだ。

 本質を教育することは可能だろうか?少なくとも「難しい」というのが正しいところだろう。「型」を教えることは簡単だ。ナントカ式とかいう手順をマニュアル化した教え方さえある。そこまで極端ではなくても、つい型を教えがちであり、学ぶほうも「型」を学ぶ対象と捉えてしまう。また、それがいかにできているかで評価されがちだ。だが、ちょっとしたことで、型のメッキははがれる。
 
 では本質をつかんだ人は、良い教育を受けたのだろうか? それはあり得る。だが実際のところは、学習者のセンスが良いということのほうが多いのではないだろうか。つまり「解る人には解る」という、ある種教育はむなしいとでもいうような寂しい結論である。

 いや、暴論かもしれぬ。だから私はこの質問を人にしつづける。どのような人が答えを出せるのか。本質的理解をする能力は氏か育ちか?それはとても興味深い。

 ……のであるが、実は私は統計学的な結論を出す充分なnを得ていないのだ。いや、たしかに私の知り合いという範囲でたくさんの人には聞いてみた。みな大学受験で微分・積分は学んだ人々である。が……。
 今のところ正解者は、先ほど挙げた彼女一人だけなのだ。

Ver 1.0 2020/8/2

数理エッセイ1はこちら


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