人魚姫はホラーでしょ
恋愛物語とは、愛する側の物語である。追いかける者の物語とも言える。
物語作りの方程式のひとつに、ビッグ・クエスチョンを立てる、というのがある。ある問題がどう解決されるか、を主要なテーマにすれば物語が成立する、というものだ。恋愛物語にこれを当てはめるとビッグ・クエスチョンは「この恋は叶うのか? 否か?」である。
あとは話を膨らませるのに、クエスチョンをひっぱりつづければよい。恋愛物語では主人公が恋の成就を願うのであるから、ひたすら邪魔が入れば面白い物語になるのである。中でも究極の邪魔は、「恋自体が禁断のもの」であることである。『ロミオとジュリエット』なら親が敵対しているし、『野菊の墓』ならいとこ同士だ。恋が始まった時点でいばらの道なのである。
身分違いの恋というのも禁断の定番であるが、人魚姫の場合はいっそ種が違う。異類婚姻譚というのもよくある話であるが、あれはたいてい人間のほうの視点で描かれる。人魚姫は人魚視点であるところが珍しく、それゆえに試練多き恋の物語として成立している。
種の壁を魔法で乗り越えたと思えばコミュニケーションの手段を失い、さらにはライバルまで出現し、最後に人魚姫は、自分の命か、愛する人を殺すかの選択まで迫られる。
これなあ…
恋ったって、成功確率が低すぎな上に命までかかっている。こんなイカゲーム並みの恋愛ムリゲーをしていいのは、女王アリを求めて空に飛び立つ羽アリくらいなもんである。いくらなんでも命は大事でしょ? 海ん中なら安全に生られたんじゃないの?
人魚の姿が人間に似せて描かれているから、読んでいて感情移入してしまうけれど、人間が犬とかサルに恋をするようなものだからね?
「サルとつきあえるように手術してください」
「うーん、かなりお金がかかる上に、ちょっと障害が残りますよ?」
とか言われて、サルになる手術受ける? フツー。
どうも人魚だと美しく描かれすぎる。
冷静になろう。視点を変えよう。王子様側から見るとどうなるだろう?
え? 海岸で女性を助けて、気がついたらその子がいなくなっていたっていうだけの話になるって?
とんでもない。そんなものではすみませんよ。恋する乙女の盲目目線のせいで、物語は美化されすぎているんだから。恋される者にとって恋愛物語は、恋愛物語じゃあない。
ホラーでしょ。
船が嵐にあい、死にかけたときに、海の深くから現れた異形のもの ”アリエナイ” に遭遇する。そいつは自分を見て、なぜか襲いかかるのをやめて見逃してくれた。
だがそいつはひそかに人間のすがた変身して、城に侵入していたのであった。
自分が愛する人と結ばれんとするときに、異形のものは武器を持って自分を襲いかかり…
だが愛の力を駆使した壮絶な戦いの末に、異形のものは異臭を残して泡と消えたのであった。
人魚の顔を醜くし、視点を変えるだけで、『人魚姫』は『半魚人』になる。だが、物語構造はまったく同じなのだ。
うーん、このへんをもっとうまいことですなあ、人魚視点から描いても悲劇にならずハッピーエンドになるようにはどうしたらいいのか…
控えめすぎる女性の儚いストーリーだからいかんのだ。古い。幸せを掴むなら、肉食女子だ。アグリーベティーみたいに健康的な女子なら、女性からの応援も得られるよね。よし、少しふっくらさせよう。
なんてことを考えると…
『崖の上のポニョ』になりました。
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