論理的思考の放棄 【小説】 『壁パイ(前編)』
前回は見事に論理的思考の放棄にトライして、論理的思考の放棄の放棄をしてしまったわけであるが、あれからまたチャレンジしてみた。
すると、書ける書ける。ついにコツを掴んでしまったようで、とにかく手を止めることはない。どんどんするすると書けてしまい、2時間ちょっとで12枚以上、その間に謎解きカフェの謎まで解いてしまった。また、めちゃくちゃ腹が減るというのも本当で、たしかにこれは普段から飯を食っておく必要があるし、オレンジジュースを飲む必要はあるし、なんなら体も鍛えておかないと長時間は持たないだろうな、と思ってしまった次第である。しかもクオリティーがいつもの時間かけて文章を書くのよりもはるかに高く、誤字も少ないのである。なんか文体まで変わっている。
やった、俺は生まれ変わったんだ!と喜ぶのはまだ林先生。これがどれくらい続くかである。とにかくコツのようなものが必要で、手を止めて「うーん・・」なんてやっているともうダメなのである。巫女になるのだ。霊媒になるのだ。異世界からの、天からの啓示というものは空中を常に飛んでいて、それにチューニングしつづける必要があるのだ。
よっしゃ、ではここ(note)でまた試してみようじゃないか、ということで、小説を書いてみることにした。
時間はほぼ1時間。電車に乗るまでにマックで過ごす間に、果たして短編小説は完成するのか?その完成度はどうなのか?俺は天才なのか?
タイトルは『壁パイ』である。あえて推敲なしで書いてみよう。
* * *
壁パイだ。
俺の家の、壁というか塀に、ある日こつぜんと、ふたつのおっぱいが現れたのである。
どこからどう見てもおっぱいである。手頃な大きさといい、サイズといい、おっぱいそのものである。いやいやいや。違うかもしれない。それは俺をはめるために用意されたフェイクで、誰かがどこかで俺を見張っていて、なんだったらカメラなんかを回していて、俺をどうにかゆすろうとかなんとかあるかもしらんのである。
さて俺はここで男として、どう振る舞うかを決めなくてはならのである。これは我が家の、築六年にしてあと五十四年あるローンのある我が家の、ほかならぬ俺が所有する我が家の塀であるのだから、そこの上にあるものは俺のものである。うーむ。俺はいいことを頭の中で言った。つまるところこのほどよい形のおっぱいは、俺のおっぱいなのである。おお、してみると俺は、おっぱいを四つ持つ男なのである。
ならば、とここで振り向く。我が家の横を通る道路の側がこのおっぱいのある塀の側なのだが、その向かいには里中さんちがあって、そちらのお宅のトラ猫のポン太なんかがこちらを見ていて、里中さんちの二階の窓に反射した朝日を後光に従えながら「にゃあ」などと片足を舐めるついでに鳴くもんだから、この晴天の霹靂のごとき壁からおっぱいを前にしたどきどきと、「にゃあ」に対する驚きとが重なって、俺の動揺の波は増幅されてしまったのである。
必要以上に俺はポン太をにらみつけた後、あらためて壁パイと向き合った。
Dカップといったところだろう。いや、よくは知らんのであるが、この日本においては明らかに平均以上の大きさである。そのことをまず神に感謝した。乳首の具合とか乳輪の感じだとかいったのがまた標準的かそれ以上であって、俺の美的な感覚にもビンビン訴えてくるのである。
乳棒と壁の境目は、きれいにつながっており、そこに穴があって隙間があるだとか、溶接しそこねた跡があるなどということはまったくないのである。すなわちこれはなんらかの奇跡によって、誰かのおっぱいがここにワープしてしまっている、と考えるのが自然なのである。俺はこのSF的不条理を、あっさりと受け入れた。ある朝男が目覚めると壁からパイが生えていた、というのはまったく良い話ではないか。
誰かのおっぱい。そう考えた途端に、俺はにわかにその持ち主を想像することに専心した。誰のだ。若いのか?美人なのか?先程俺は日本においては平均以上だと考えたが、そもそも日本人のものなのか?これは俺にとって重要な問題である。おっぱいを凝視する。んんー、これは。若く見える。肌の張りが良い。産毛が生えている。とにかく生きている。
そのとき我が家の中から、「あんたー、どうしたの」と言う我が妻の声が聞こえた。一大事である。いや、一大事ではないかも知れぬが、少なくとも「どうしたの」の適切な回答だけは用意しておかねばならない。
「いやー、壁に落書きかと思ったけれども、そうではない」
じゃあなんなんだとツッコまれる余地のある答えである。これはいかん。いかんのだが、正直に言うと妻がとんでくる。いや、とんできてもやましいことはない。やましいのは俺の頭の中の出来事であって、俺は誰かのパイを盗んで塀に生えさせたわけではないし、まだ触ってもいない。
触る。そうだ、触る、だ。いや、見たときからそれしか考えてなかった。だが、これは触ってよい類のおっぱいなのか、触ってはいかん類のおっぱいなのかが分からない。あるいは右と左なら、どっちのおっぱいなら触って良いのかも、難問中の難問なのである。
…などといった逡巡に大きく後悔するはめになった。妻がサンダルをひっかけて、短パンにランニング姿で、表門から水を撒くついでに出てきてしまったのである。
「あら、なによ」
思わず俺は、表通りのほうに立つ妻から壁パイが死角になるように立ち塞ってしまったが、そこは女の勘。俺がキャバクラの名刺をうっかり持ち帰ったときに瞬時に気づかれるがごとくに、背中にあるなにかやましいものの存在にさっさと気づいてしまったのである。どけなと言わんばかりにつかつかと歩み寄られては、俺としては道を譲らんわけにもいかんのである。
「あら、なによ」
妻はまた同じセリフを言う。ありゃ、なんだ、と俺も今さら驚いてみせる。
「困ったなあ」
は、と妻は呆れるかのように鼻息を吐いた。いや、呆れられても困るのである。なぜならば俺は、なにも悪いことはしていないからである。なにも悪いことをしていないのであれば、少しでも隠そうとはしなければよかったのだが、それはもう遅いのである。
ばかじゃない、と、たぶん妻は言って家の中に戻っていった。たぶんそう言ったが、そう言わなかったかもしれない。俺にはちょっと聞き取れなかった。聞き取れないものは反論しようはなく、いや、壁は俺のものであり、俺はなにもしていないのであって被害者であって、なんだったらあれは俺のおっぱいなのであるという主張などは、到底する機会を与えられぬのであった。
そのまま俺は朝食を取り会社に出勤したが、壁パイのことは気がかりであった。なにせ突然現れたパイである。突然にまたいなくなってしまうということはあり得ることであって、その場合単に消えてしまうのから、落とし主が現れて見つけられるというのまで色々なパターンを想定したが、もっとも心配したのは、おれのおっぱいが盗まれてしまうことであった。果たしてあの壁と一体となったおっぱいは外すことが可能であろうか?うむ。わからない。わからないが、なんとなく難しいような気がした。無理にやると、血が出たりして、そのまま重傷を与えてしまうのではないだろうか。そうなると事だ。俺はおっぱいを護るために、出勤して1時間で早退を決心した。
そんな初日ではあったが、おっぱいはそこにありつづけた。おっぱいは依然おっぱいであった。幸いそこは通りが行き止まりになっていることもあって人があまり通らない。我が家の裏口がそちらにあるくらいで、里中さん家の裏口もまあそっちにあって、いや、その行き止まりの壁は木原さんの家の塀であるから、そこにも木戸があって、そう考えると人がやっぱり通るのかもしれないが、少なくともこの三家の人間以外の者が通るとすればそれは不審者でしかありえないのである。里中さんはすでに夫をなくしているし、木原さんのお宅は老人夫婦である。やはり壁パイは壁パイを必要としている俺の家の塀に現れたわけであって、俺はそれを有効利用させていただいていた。毎夜パジャマ姿で家を抜け出しては、そのおっぱいを揉みに行ったのである。
妻の目を盗むのが厄介ではあった。だからそのチャンスに恵まれない悲しい一夜もあるにはあったのであるが、事は浮気というわけではない。。。。
* * *
ここまでで1時間である。
やっぱバカだった。(でも続けます)