【ショートショート】 『コップ読書』
「ビョウテキメイテイ?」
精神科医に、私は聞き返した。
「ええ。悪酔いのひどいものです。幻視、いや錯視とはめずらしいケースですね。とにかくあなたの飲酒量は…」
妻が死んだ。「私の正体は…」という謎の言葉を残して。
独りになった私は、毎夜酒を飲むようになった。するとガラスコップに物語が浮かぶようになったのである。
ちょうど酒一杯を飲み干す間のショートストーリーであった。古今東西の人物の滑稽譚や悲喜劇である。
医者の忠告に背き、私は飲みつづけた。慰みに物語が手放せなかったのだ。
その夜もコップを眺めていると、ある女の物語が浮かび上がった。山でヘビに足を噛まれて男性に助けられ…あれ? 妻と私の出会いではないか。ある日女は故郷の役場を訪ね…
私は続きを読むのを辞めた。知らないほうがいいこともある。
酒を辞めよう。少し頼りすぎた。ではこれからどうしよう。
以来私は、コップに絵を描く作家になった。けっこう売れているんですよ。