【小説(3)】 『シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムの休日』 #同じテーマで小説を書こう
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムってどう?」
アジトはメニューを閉じ、おしぼりで手を拭きながらそう口にした。
市職員のテニスサークルの納涼会。最近はコートが使用できず、飲み会だけが開催されている。居酒屋の個室で、七人の男女がテーブルを囲み、今注文を端末から送信し終えたところであった。
「シュピ・・?」
テンコが聞き返した。そうだろう。そんな単語、ふつう日常会話には登らない。いや、単語かどうかさえもあやしい。ともすれば文章かもしれない。長すぎる。何語なんだろう?
「こんな夜にはいいですよね。特に最近は暑いですし」
コトナちゃんも言った。え?話についていっている?
「ちょっとコトナちゃん。その、シュピなんとかって知って・・」
この文脈におかまいなしに、赤いハッピを着たどうせ隣に立っている大学の学生アルバイトであろう店員が「はい、ビールお持ちしましたー!」と引き戸を開けて入ってきた。
そう言われてもビールはあたしひとりだけで、あとはなんとかサワーとかなんとかハイとか、格好のためだけに飲むような飲み物が並んでいる。それらが各自に配られるまで会話を続けるべきではなさそうなビミョーな間が続き、店員が去った後でやっと息をついてあたしは質問の続きをする。
「ちょっとさ、さっきの・・」「じゃあ、乾杯の音頭を、コトナちゃん」
アジトとあたしの言葉がかぶり、勝手な仕切りではあるが流れから言ってアジトの言ったことが優先される。コトナちゃんは、あたしをさほど好意的でない目でほんの一瞬見た後、全員に向かって爽やかさ100%のスマイルで「じゃあ、かんぱーい!」と言ってのけた。
よし、儀式は終わった。あたしはテンコと目が会い、互いにうなずきあってから質問をする。
「あの、さっき言っていたシュピナ・・」
「そういやさ、ヨリン先輩が北海道で開業するってよ」
「ええーっ!」
アジトが明かした先輩のビッグニュースに、フォーカスが奪われた。保健師のヨリン先輩が東京を出ちゃうなんて、あたしだってびっくりするわ。
「本当ですか?」と真っ先にその正面を陣取っているコトナちゃんが反応し、他のシゲンとかハラオもそっちに注目している。テンコもあたしもそっちの話に耳を傾けてはいるが、シュピナイシューは未解決だ。これを解決しない限りは納得しないという点で、テンコとあたしは意気投合しているはずだ。はずなのだが、あたしとテンコはテーブルの端と端、互いに対角線上にいる。タッグを組むには不利な条件だ。テンコは弱天然系計算っ子のコトナちゃんの隣にいるから、攻めるなら彼女のほうがいい。だけど、そんな根性は見せるだろうか。
ただ、聞くまでもないのかもしれない。「ズンドコベロンチョ」と同じではないだろうか。アジトはありもしない言葉を適当に言って、あたしたちをかつごうとしていたのではないだろうか。タイミング悪く店員が早々に来てしまったから、そのネタで引っ張ることはできなかったというだけで。
コトナちゃんは知ったかぶりをしようと話に乗ったのだ。彼女のことだから、今まさに飲み物が来るから、周りから「シュピなんとかって何?」って質問されてもスルーできる、ってことまでは計算したんだ。なんてしたたかなんだ。だからあたしたちに食い下がられると困るというわけだ。
とはいえ「いいですよね」と言うぐらいならまだどうにもごまかせるのに、「こんな夜にはいいですよね。特に最近は暑いですし」はずいぶん攻めている。
そう思っていたら、テンコがひそかにスマートホンをいじっていた。検索しているのだろう。そもそも、そんな言葉がなければ、検索に引っかかってもこないのだが。
ふと思いついた。わかったぞ。アジトとコトナちゃんはできているんだ。それで、二人で暗号を使って、「今夜〇〇で××しよう」みたいなやらしいことを人前で言って、二人だけでわかって興奮しているんだ。いやらしい。
「ハハッ。それこそ、シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムじゃないですかあ」
「俺、好きなんだよな」
はあ?ここでまさかのシゲンとハラオの参戦?お前らも分かっているの?どう見たって暗い、テニスサークルには不似合いなオタク風の一年目のお前たちがぁぁ?
いや、驚いている場合ではない。話がシュピなんとかに戻ってきているのだ。これはすべてを明らかにするチャンスではないか。
「その、それ、意味が分かんな・・」
「おいしそうですよね」
まさかの、まさかのテンコである。こいつ、寝返ったな?いや、検索が無事成功したのか。よくあんな長い言葉を入力できたな。しかも調べが済んだ途端に、もう知っているふりかよ。やっぱ裏切り者だ。
あたしも検索する。シュピ・・いや、無理だ。覚えらんない。あたしだけが分からないー!
そのとき
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムいかがっすかー!」
と赤いハッピの店員が入ってきた。
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