数理小説(16) 『端数』
「どれどれ。優秀な新人を採用したが、彼はなにをやっているのだろう? はあ、残業ですか。であれば、感心です。でもなんとなく気になりますね」
「どうしたのかね副頭取くん」
「うわああ、頭取」
「おいおい、副頭取くん。おどろかないでくれたまえよ。なんだね、こんな終業後に。あやしいじゃないか。もしかして君は、何か不正でも……」
「シーッ、お静かに」
「なんだね。やはり後ろめたいことがあるのか。私も若い頃には使い込みとか、ミスをごまかしたとか身に覚えがあるよ。腹を割って正直に言いたまえ。悪いようには……」
「私は頭取とは違います。不正は大嫌いです」
「相変わらず失敬だな、君は」
「それよりも、(ヒソヒソと)あやしいのは私ではなく、あそこで一人黙々と働いているプライム君ですよ。新人の」
「残業をして熱心な青年じゃないか」
「副頭取としての勘が、なにやらあやしいと告げているのです」
「心配性の君らしい発想だねえ」
「なんせ、あんなに優秀なのに、うちの銀行に来てくれたというのがあやしいですからねえ」
「こら! 君が一押しで採用した子じゃないか」
「それよりお気づきになりませんか? 彼のモニターを見てください」
「よく見えないがね」
「なにやら顧客データに関するシステムをいじっているのではないかと思われまして」
「そりゃいじるだろう」
「データを調べるとかではなくてシステムですよ。我が銀行の心臓部です。万一それを変えてしまうというようなことをしていれば、それはとんでもないことですからね」
「ん?気を利かしてみんなの預金を増やしてあげようとしているとか?」
「資産運用のお金であったとしても、うちは投資の会社とは違いますからね。勝手に増やすのも適切な行為ではありません。ましてやそこからお金を抜いているというようなことがあれば……」
「まだそうと決まったわけではないな」
「まあそうですが」
「ふむ、それなら聞いてみることだな」
「不正をしていて、不正をしていますと正直に言う人はいませんよ」
「そうか。どうしたものかな」
「あ、なにか言っています」
「……まずアナログコンピューターを採用している以上、無理数を扱うことは必至。
だが人間が把握できるものには限界がある
その限界の中での誤差は、今は知りようがない。
ただし、単に端数を掠め取るようなことをしても、後から計算によって突き止められうる。
よって操作しても気づかれないのは、時間だ。
お金を卸す手続きの中には、隙間時間がある。
とくに、窓口での待ち時間はべらぼうに長い。
一方、電子的な手続きも、いくらでも時間短縮が可能だ。
隙間時間分の利子は、気づかれ得ない。
ここに、時間的端数詐欺が成立するぞ!」
「副頭取くん。意味がまったくわからないが」
「私にもよくわかりませんでしたが、もしかしたらと思うことがあります。昔スーパーマンの『電子の要塞』という映画で観たのですが、コンピューターに詳しい男が、他の職員の切り捨てられた給料の端数を、自分の口座に振り込むという詐欺を働くシーンがありました」
「君も、すごく古いことを覚えているものだねえ。端数を振り込むだって?」
「はい。小数点以下の細かい金額については四捨五入などせず、支払う側はたいてい切り捨てるものです」
「ふむ」
「その切り捨てられた額だけを盗めば、広く少しずつ掠め取ることになるので、気づかれにくい上に、結構な金額になります」
「つまりあれかね、副頭取君。うちの田舎ではうどん工場でうどんを作るとき、端っこの中途半端な麺ができるんで、地元のスーパーではそれを安く売っておったもんだが、あれをごっそりもらってしまうようなものか」
「そういうことですよ」
「うまいことをやるものだな。たしかにバレにくい」
「頭取。今がアナログコンピューターの時代であることをお忘れですか。端数を無限に扱うことができるんですよ。だれもがその端数にうるさくなっているんです。小数点以下無限に。無理数の範囲を扱うことができるのです」
「ごまかせないのかね」
「無理ですね。あ、立ち上がりました。出て行きました。確かめましょう」
「ふむふむこれが端末か。私も触ったことくらいならあるぞ」
「……うーん、なにやらいじった形跡はあるのですが、現時点でお金を抜いたとかはなさそうかと。でも不正がないとは言い切れません。今後取引があるときに端数が処理されるようなプログラムを組んだかもしれません。明日、確かめてみましょう」
「ということで明日になった。副頭取君、報告してくれたまえ」
「はい。どのお客様の預金も、利息を時間で計算して金額がピッタリ合いました。引かれた形跡はありません」
「なんか、ほんのちょっとだけ数字をいじったとかはないかね」
「半端な額を抜くと、指数関数に従う預金額とずれることになります。それはありません」
「なんだ。副頭取くん、ちょっと杞憂に過ぎたね。あんな優秀な子が、バカなことをするわけがなかったな」
「頭取、ここは慎重に行きましょう。プライムくんは当行にとって希望の星ではありますが、果てしない能力を持つ人材というのは諸刃の剣でもあります。私は、彼の給料が安すぎないかと心配しておるのです。話をしておいたほうがいいでしょう。あ、来たようですよ」
「失礼します。プライムです」
「入りたまえ。やあやあ、プライムくん、呼び出して悪かった。かけたまえ」
「時間がもったいないので、立ち話でもよろしいですか?」
「ああ、はいはい立ち話ね」
「君が当行に来てから一ヶ月だ。働いてみてどうかね」
「マテマティカ銀行には、まだまだ無駄がありますね。僕はそれを改善したいと思います」
「おおー」
「ご存知の通り、アナログコンピューターの導入によって多くの業界が混乱をきたしました。今後、アナログコンピューターを使いこなす企業が、他を淘汰するでしょう。アナログコンピューターの優れたプログラマーは数えるほどしかいませんので、ごく少数の企業が世界を制覇することになります。激変の波はこれだけでは済まないはずです。第二波、第三波もすぐに訪れるでしょう」
「う、本当かね。君」
「アナログショックか!いや、それは困った」
「いえいえ。我々は勝ち組です。アナログショックなどという言葉を使うのは、時流に乗れなかった者、あるいは乗ってこけた者が使う言葉です。アナログコンピューターの登場はむしろビッグチャンスであり、アナログ革命と呼ぶのが正しいのです」
「おお、そうだ。うちは銀行の中ではアナログコンピューターをいちばん早く取り入れたんだよ。ハハハ」
「はいはい。利息が無限大に上がるんじゃないか、なんてまっ先にアナログショックを受けていましたけれどね。まああれは、私のほうが先によけいな心配したので、頭取を笑うことはできませんけれど」
「では、僕からお願いがあります。僕はマテマティカ銀行のシステムをいじるために残業しますので、今後は業務効率が改善された分の時間を僕にください。この時間は、マテマティカ銀行の顧客の預金が動くときに費やされる時間を当て、その時間分の利息をお金に変換します。ちなみに浮いた金額の使い途ですが、よその銀行等の安全資産に変えてまたお金を降すという実験を繰り返したいと思います。他の金融機関の、手続きとお金の支払いの時間差を測定しようと思っています」
「うちが損をしないなら、なんでもよいが」
「おお、損はありません。ありがとうございます」
「ちょっと待った待った。だめですよ、頭取。勝手に決めちゃ。え? 君、どういうことかもう少し詳しく説明してください」
青年プライムはプレゼンを始めた。
――今日私がお二方にお願いしたいのは、システムの高速化の最優先、他行のシステムのスピードの調査、およびそのための資金の調達です。
まずシステムの高速化の最優先が必須であることをお伝えいたしましょう。
今後預金を管理するシステムが遅い銀行は、潰れます。どのように潰れるかというと、「詐欺だ!」「黄龍だ!」と罵られて潰れます。その理由をお教えします。
アナログコンピューターの登場した当時のことを覚えておいででしょうか。お客様は、金利を一年単位で儲けることに不満を持ちました。それで、1月単位、1日単位、1秒単位、ついにはコンマ1秒の単位どころか、どんなに短い時間であっても、それに応じた利息を求めるようになったのです。無限に正確に計算できるからです。たとえば12時ちょうどにお金を引き出したのと、12時00分00秒001にお金を卸したのでは、0・001秒分の時間の利息分が変わります。だからお金を卸しにお越しになるお客様の中には、窓口で、1秒でも遅く手続きをしようと、無駄に時間を費やす人までいます。
僕はそこで思いました。今はまだだれも指摘していませんが、引き出しのための手続きをした瞬間と、お金が手元に渡る瞬間までには、現時点ではタイムラグがあるのです。窓口であれば行員がお客様から通帳を預かり、事務処理をしてお金を手渡すまでの時間、お金は引き出される前の金額で利息計算されていないのです。すでに支払い分を差し引いた後の預金額でもって利息計算をされています。
これはオンライン取引でも同様です。時間はぐっと短くなりますが、ボタンを押してから画面が表示されるまで、わずかに時間がかかっています。
いずれだれかが必ずこのことに気づきます。この誤差に不満を持つお客様が現れるでしょう。
その苦情が出る前に、システムを改善してタイムラグを限りなく短くすることが重要です。
次に、他行の動きを把握する必要について述べます。システムの改善が必要だと気づいた時には競争は必至です。お客様は、細かいお金にうるさくなっています。ほんのわずかの時間でも、より短く無駄なく対応できる銀行こそが信用を得るのです。現状の処理速度を知っておくことで、目標とすべき効率化の目処が立つでしょう。
最後に、これらを行うためには資金が必要です。ですが、極秘に行う必要もあります。そこで僕にいただきたいのは、システム改善により効率化された分の時間により浮いたお金です。お客様が手元で金額を確認するぎりぎりの瞬間まで利息は計算できるようにする。ですがお客様にはこれまでどおりの待ち時間をもって利息を確定します。この差額をいただきたいのです。実際に苦情が出たとき、もしくは、他行に先んじて最高速のシステムが完成したと判断できた時点で、タイムラグなしの取り引きに移行します。
銀行に損はありません。使うのは、もし誤差がなければお客様に払うはずであったお金であり、でも、実際には払われないものですから。それをしばらく続けることを、この場で認めていただきたいのです。そのお金を私が、各銀行、ファンドの安全資産に預金、投資をして、システムのスピード調査に当てます。
あと、資金の1%を残業手当として、私にください。ささやかなボーナスだと思っていただければ結構ですーー
副頭取は心配していたが、頭取は結局オーケーを出した。かくしてプライム君は、時間的端数とも言える元手を手に入れ、マテマティカ銀行の改革を起こすべき振舞うのだが、その先には、過酷な競争が待っていた。
〈了〉
数理小説はこちらもどうぞ。
本シリーズの前作はこちら。
Ver 1.1 2022/5/4
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