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【即興小説】 『カンパニー なみのまにまに』

 どことなく煤けた曲線の机が並んでいる。波打つ形は仕事をするのには不向きに決まっているのだが、流行りのスタイルというべきか、いや流行ってなどはいないが今時の会社のありかたのひとつではあり、たまにそういう凝ったオフィス作りをするところがある。カナ丸商事のオフィスは、その典型なのだ。おそらく社員も会社見学の際にそういうのに憧れて入ってきたクチであり、それならそれでそういうスタイルを好むんだからよさそうなものだと思いきや、いやいやどうして、そんな机に不平を言うまでは三月とかからない。書類は置きづらい、PCとプリンタの配置が一列にならない、波の凹側に自分の身を置いても、凸側に置いてもすっきりしない。結局のところ人は本能的に直線を求める生き物なのだということを確信するのである。

 だがそれに文句をつける者もない。カナ丸商事の売りにもなってしまっているこのオフィスは、来客には評判がよいのだ。丸いものこれ即ちやさしいものであり、ユニークなものである。ああ、きっとこんな会社ではユニークな発想が生まれやすいのだろう、などと人は勝手に想像するのである。

 そうは言っても波には波の利点もある。つなぐことができるのである。横一列に連結すれば長い波になるし、重ねるように並べれば隙間が埋まり二つの辺だけは長めの直線に変わる。このようなフォーメーションチェンジをなにか意味のあることに利用できるかとも思われたが、ここはオフィスフロアなので机の上にはPCやら書類だかがすでに載っており、床には配線もあるから容易に机を動かせる状況ではない。会議室でならどうにかおもしろい使いかたができるのかもしれなかったが、あいにくその会議室にはありきたりの四角いテーブルしか用意されていないというなんとも中途半端なユニークさのカナ丸商事なのであった。

 

 かくして作業フロアは無駄な空間が多い上に動線も悪かった。人の配置もはちゃめちゃで、課長は上座とでもいうべき入り口よりもっとも奥の壁から入り口に向かって座っているとよいのだが、あろうことか課長はむしろ部屋の中心にいて入り口から横を向く形になっている。他の社員については、向かい合わせになっている者たちもあれば、一方が他方に背を向けるというのもあり、背中合わせや直角というパターンもあって大カオスである。しばしば目下の者が上司の机にぶつかり、上司の書類が部下の足元にこぼれ、互いに気を遣うことこの上ないのであった。

*             *             *

 若い男は自分のノートPCからふと目を上げ、そのPC越しに波打つ机を呆然と眺めた。中年の男はオフィス中の机を見て、フロアの一同を見回して、なにか言いかけて、ため息をついた。入り口付近に立つ販売員の女性はあたりを見回し満足げな笑顔で、乳酸飲料を売っていた。

*             *             *
 

 紺地くん。若さゆえにほんのり明々としている新人社員である。仕事は普通にできない。

 彼ばかりは入社以前にオフィスを見ることなく会社に入った。オリエンテーションでもひょんな偶然からオフィスルームは素通りする流れになってしまったから、波型机の存在を知ったのは出勤初日のことであった。

 部屋に入るなり「うひょ」と突飛な声をあげてみた。あたりを見回すしても今さらこの机のことに触れる人はだれもいない。曲線を当然のものとして働いていた。

 時空が歪んでいるのかもしらん。世にも奇妙ななんとやらの世界なのか。あ、もしかして新人相手のドッキリか? それにしては皆、本当に黙々と本格的な事務作業までしているようだ。彼はわざとらしく目をこすったあと、おそるおそる手近な机を撫でた。新人担当の係長が後ろから、「じゃ、さっそくPCに新人用ファイルが入っているから、今日やる必要のある仕事を見て全部やっといて」と言いながら、彼は彼でその横の机に自分のノートPCを設置した。もちろんその机の形も例外ではなく波型である。

「はあ」

「あ、君の机、そこね?」

「あ、はい」とりあえず返事だけははきはきとしてみた。

 奇しくも自分が最初に触れた机が彼のものであったようだ。そうする以外の選択肢はないから、与えられたノートPCをカバンから出す。

 彼ははたと止まった。

   どれが正解なんだ?   

 前はどちらであろう。あたりを見回しても、おのおのそれぞれの方向を向いて座っている。東西南北いずれの向きもある。いや、向きを考察するのに東西南北だけがポイントとは限らない。外側に向くか、中心に向くかで考えたほうがよいかもしれない。だがそれもバラバラだ。

 恐るおそる机の端の直線部分の前に椅子を置いてみる。手前が直線になるだけ少しは作業がしやすいかもしらん、そういう発想ができる俺ってもしかしたらできる新人? などと思ってPCを置く。それが起動するまでの間PC越しに机を眺めてしまったのがいけなかった。

 波打っている。

 机のなみなみした感じをもっとも味わえる位置についてしまい、ああまだ俺は素人だったのだと悔やむ紺地くん二十五歳であった。

 

 

 波打っている。波打っている。波。波。波……

 


*             *             * 

 波型に曲がった机が並ぶカナ丸商事のワンフロア。来客には評判がよいが、働いている社員には不評だ。波と波はつながり合い、秩序と無秩序を作る。人もまたしかり。

 紺地くんはノートPC越しに目に入る自分の机の曲線に酔い、中年男性はそんな紺地くんをチラと見てオフィス全体を見てなにか言いかけて、ため息をつき、入り口付近に立つ女性販売員は、そんな二人をも見ながら乳酸飲料を売っていた。

*             *             *
 

 葉薙鑑三。朝は凛々しく、夕暮れには甘いフェイスになる。課長やってます。

 今日もオフィスを見回す。相変わらず波、波、波である。

 


 今さら、この机やめない? とは言えない。彼が係長になった年に部長のツルの一声で使われることになった机だ。もしかしたらさらにその上の専務の、これまたもっと上の社長の意向があったのかもしれないが、そんなことは知る由もない。表向きは当時の部長案であった。

 今、課長となった葉薙は、まだまだ微妙な自分の立ち位置について思案し、やっぱりこれいかんよ、いかんではないかという立場であることに気づいてしまった。かつての部長はとある理由でもう帰ってこられないところに行ってしまった。さらにその上の方々の意向でこの机が導入されたのだとしても殿上人たちはこのフロアにも滅多に訪れないから現場で社員が四苦八苦していることなどつゆしらず、それに、かつての気まぐれのことなどすっかり忘れているに決まっている。ことによっては不意にここを訪ねた際、「なんだこの机は。葉薙くん、君はふざけているのか。けしからん!」とさえ言いかねず、それに対してあわあわして「ほんとけしからんですねえ。いやなに、これは三崎坂部長が」なんてかつての部長をいっしょにこきおろそうにも

「その名前を出すか! 貴様も処分場に送るぞ。処すぞ」

 などと言われてしまうかもしれないのである。くわばらくわばら。

 ならばやっぱり、この机の撤去である。さて、だれに相談したものかしらん。


 

「とまあ、こんなちょうしでねえ」

「あれまあ。おバカな話だことねえ」

 お上品に言うのは、喫茶『bar』のママである。ママと呼ばれたくて店を持ったが、夜の酒飲みを相手にはしたくなく、妥協案として店名を『bar』として客にママと呼ばせることにしたというのである。賢い。まちがっても「マスター」と呼んではいかんらしく、うっかり口にすると、一説には「地獄の釜が開く」らしい。くわばらくらばら。

「ネットにでも投稿したら? 炎上して何かかが動くかもしれなくてよ?」

 いやいやいやと葉薙は両手を振った。「責任を取らされるのは俺なんだから、スムーズに撤去する必要があるわけよ」

「じゃあスムーズにでもなんでも、さっさと撤去しちゃえばよくない?」 

 葉薙はふたたび、いやいやいやといやを三回やった。あ、もしかしたらママに否定ばかりするイヤな男? とふと思い、「ああ、でもスムーズにって、いいかもね」と言って、今度は優柔不断な男と思われないかと心配になってきた。

「予算があるからねえ。やっぱり。つまりそれをどうにかスムーズにだねえ」

 言い訳がましい男と思われないために言葉を選んでいるうちに、何を言っているかわからんくなる。ようしここらで挽回するために、決断力のある男であることをアピールだ。

「よし、決めた。撤去だ。新しい机を購入する!」

 あれ? ママの言った通りだな。俺ってオリジナリティーのない男? と思いつつも、波型机の撤廃に乾杯をする葉薙鑑三課長四十五歳であった。

 


 

 くわばらくわばら……

 

 


*             *             * 

 紺地くんは机の曲線にとまどいつつ文句も言えぬままうっかり目にした自分の机の形に酔って自尊心を低下させる。その波の延長上にいる葉薙課長はそんな紺地くんをチラと見てオフィス全体を見てなにか言いかけてやっぱりため息をつく。入り口付近に立つ女性販売員は、そんな二人も含めてあたりを見ながら乳酸飲料を売っていた。

 
*             *             *
 

 ソノミさん。苗字ではありません。カナ丸商事に商売をしに訪れる乳酸飲料販売員。このオフィスが好き。


 

 ああ、と嘆息する。この波打った景色がたまらないのだ。

 初めてこの職場を目にするものは、そのメルヘンな光景を好ましく思い、「いい会社だな、カナ丸商事」と思うことであろう。だがこのソノミという呼びかただけで漢字も知られていない販売員はそんな風に思ってこの光景にうっとりしているわけではない。

 このフロアが混沌としていることを見切っている。その上でその社員の困り具合をここにやってきては都度観察し去っていくのだ。

 ふふふふふ。苦しんでいる、苦しんでいる。

 販売員が来ると、みなは笑顔になる。よそ行きの顔を示す人がほとんどだ。ときどき余裕がない者や元来愛想の悪い者もいてぶっきらぼうになりかけることもあるが、お客様があれば社員は会社の顔。笑顔を繕って会社の良い雰囲気をアピールするのが基本である。

 だがそんな中で、小さな事件は起こっている。蟻日さん推定四十歳推定男性は、ボールペンを転がし、それが波の凸から凹み部分にさしかかったところで落ちてしまう。ああ、と思ってかがんで拾おうとしたところで机が動いてしまい、普段の修正で端の方に置く書類の束が揺れる。

 その隣の矢川さん推定三十代前半推定女性は、恐ろしいまでの反射神経でその書類が崩れるのを防止する。お見事としか言いようがないのだがどっこいこれが曲者で、角度にして数度傾いた蟻日さん推定四十歳推定男の机が、逆方向に押されてズレの角度が相殺されればよかったものの、今日は同方向にズレてズレが十数度になってしまった。

 机のズレは長方形であれば容易に気づかれたのであろう。だが波型である。もともと曲線でまっすぐでないものにズレが生じたところで気づかれにくい。丸みはあくまで丸みであって、軸の見失われた机はズレたままでいた。

 ズレに強い机、ということであればそれはそれで利点であったがそうは問屋がおろさぬ。ここに、都中さん推定四十代半ば推定男が登場する。彼ばかりはなんともこの波型机のズレに敏感なのだ。

 ズレに敏感といっても壁からの絶対的配置に敏感なわけではないようで、観察される限り、彼は他の机との相対的配置が気になるタイプであるらしい。これが厄介なもので、つまり全机が平行、直角の関係にないと気がすまんということになる。だから都中さん推定四十代半ばはちょっと手を伸ばせばどうにかなる範囲だと、ちょっと手を伸ばして他人の机をちょっと直すのである。そうは言っても他人の机だから露骨にはいじれない。机の主の作業が途切れた隙やいない隙にそっとやるか、それが無理ならたまたまぶつかったふりをして配置を修正するのである。

 これがそうそううまくいくわけはないわけで、蟻日さん推定四十歳推定男性の書類が再び落ちかけることにつながり、矢川さん推定三十代前半推定女性のスーパー反射神経が作動する上にちょっとあんたなにやってくれちゃってんのという視線の圧をかけ、そこに机を戻したくてたまらない都中さん推定四十代半ば推定男のほんとどうにかしたくて困ってしまっている眼差しとがぶつかりあい、机の形よろしく時空までもがはげしく歪むのである。その頃には立ち上がった矢川さん推定三十代前半推定女性の机の位置までズレて、三体問題と化した机はひとつをいかようにいじったところで「互いに直交」の位置関係は不可の配置となってしまっているのである南無三。ああ課長が弱々しい笑顔で醍醐を買いに来たどうでもいい。

 とにかくこれは本日目の当たりにしたほんの一瞬の出来事であって、たまに訪れるソノミでさえ遭遇できた出来事であるのだから、事件はこのオフィスにおいては常に起こっているものだと類推される。

 まるで万華鏡のようで飽きないと、彼女は思うのであった。

 

「今日の売り上げ」

「二万三百十円」

「二万越え? まじかい。あたしは八千円ちょいだよ」

「あんただって、三時間そこそこで稼ぐにしては売り上げいいほうじゃん」

「うん、そう思う。そういう自負はあるんだよ。だけどあんたはそれを軽々と抜くじゃん。ちょっと担当変えてよ」

「場所は関係ないよ。お客さんとの関係を一から作り直すのがめんどうになるだけだよ」

 栗本とソノミは芝生の上で青空を見上げていた。こうしていっしょに自社のものではないけれど味は良い不健康ドリンクを飲みながら半日の労働をねぎらうのが二人のストレス解消法だ。

「秘訣を教えなよ」

「立っていること」

「まさかそれだけ? ないね。そんなことはありえないね」

「立っていればそのうち買ってもらえるでしょ」

「客足がずっとあればいいけれど、途絶えたらずっと立っていても不自然になるじゃん」

「そうかな」

「そうだよ。それに、退屈でしょ」

「退屈は今はどうでもいいじゃない」

「そうだった。売り上げね。でも待つのはリスクあるでしょ。動いたほうがお客さん取れるって。なのに動かなくていいって。やっぱり場所に恵まれてる」

 ソノミは笑った。「強いて言えば、立っていて面白いオフィスには恵まれているけれど。退屈はしないかな。そういう会社って、けっこうあるよ」

「なにそれ。あ、わかった。オフィスラブのごたごたでしょ。この人とこの人がやっているとか、三角関係とか不倫関係とか、あんた見えちゃう人なんでしょ。死神の目、持っている人なんでしょ。それで『わかってんのよ』ってな目でじっと見つめていると、イケない部長とかが購入してくれたりして……」

 この想像力があれば、オフィス巡りをするのは充分楽しめるんじゃないかな。

「うーん、三角関係じゃないけれど、強いて言えば、ほら。あれ。三角関数かな」

 そう言いながら実はこの栗本こそが不倫しているんだよなあと気づいてしまう魔眼の持ち主ソノミ乳酸飲料販売員年齢非公開であった。

 

 

 サイン、コサイン、マイナスサイン……

 

*             *             *
  

 紺地くんは机の端の曲線をつい目で追ってしまってそのくりかえされるパターンに圧倒されつつもなにも言えず、葉薙課長はオフィス全体を見てため息をつき、販売員ソノミは三角関数ってあったなあなどと思いながら笑顔で見物をしていた。

  紺地くんはすがるような目で周囲を見回した。係長はもう席を外していた。やむなくもういちどPCに向かう。すぐに視線がそのさきの机の曲線にとらわれる。

 ふと目が上を向いた。

 葉薙課長が、紺地くんを見ていた。

 ふと葉薙課長が入り口を見ると、つられて紺地くんもそちらを見た。

 ソノミと二人の目があった。

 つかつかと、課長がソノミのほうに歩いて行った。紺地くんは仕事の手も止め、吸い込まれるように課長の挙動を追った。

「醍醐ゴーゴーひとつ」

「はい、九十二円です」

 課長がぴったりの額を出すと、慣れた手つきで販売車のケースから商品が渡された。

「なんか、買っちゃうんだよね」

「毎度ありがとうございます」

 勇気づけられたのはそれを傍観していた紺地くんのようである。やっと話しかける相手を見つけたと思ったか、ふらふらと立ち上がってゆらゆらとソノミのほうに吸い込まれるように近寄る。きっと商品のラインナップなんかは知らないのであろうが、「醍醐ゴーゴー」と商品の名前をつぶやく。新人なんだし商品名だけでなく、「ひとつください」とかつけたほうが感じは良いだろうになどとだれかに思われたかどうかは知らないが、ここに来て数分とたっていないにもかかわらず彼は魂を抜かれたような表情とよろけた姿勢になっておって、オフィス全体の妖気に毒されているのはだれの目にも明らかであった。

 葉薙課長がキンキラの小さな蓋をちょびと空け、プラスチック容器のわずかばかりの中身をくいとやった。紺地くんもまねしてくいとやった。

 課長と紺地くんが同時にため息をつくと目があって、ソノミがその姿を好奇の笑顔で眺めていた。

「よし」

 課長は半ば無意味に若者の肩を叩きかけたが今時のコンプライアンスだかハラスメントだかを意識したのだろう。その手を中途で止め、それもまたおかしいと思ったか、今度は上にあげ、結果的に手が波打った。

 若者はなにを思ったのかもうだれにもわからないが、とにかくその動きをまねしてしまった。

 ソノミが吹き出した。

 紺地はゆっくり赤面したが、おかげで青い顔に赤みが戻った。すると課長は意気揚々と自分の席に戻っていった。

 息を吸う。

「そういうわけで……」

 どういうわけだ。うわずった声を聞き、一同の目がまっすぐに葉薙課長に向かった。

「こ、この机は撤廃する」

 驚くほどの静寂が室内を襲った。だれも、動かなかった。

 と思うと次の瞬間には大歓声が沸いた。紺地くんまでもが「長いこと苦労しましたあ」と泣いていた。

 一同を一度鎮めから再び葉薙が口を開いた。

「総務課からは用度品の予算がつくまではすべての机を変えることはできないと言われている。だが大丈夫だ。会議室の机とちょびちょびと交換すればいい。机を変えたい人から随時取り替えてきなさい。あ、いっぺんにやっちゃだめだよ。さりげなく交換してきて。さりげなくだよ!」

 大きな変革を恐れつつも目の前の不満には抗う男、葉薙鑑三課長四十五歳に拍手が送られる中、そっとソノミが退席するのを、紺地が見送った。

 

〈了〉

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