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【小説】 『蜂』

【医局横のラテラルシンキングゲーム】
 三人の兄弟が蜂蜜をアレルゲンとすると思われる発作を起こし、同時に小児科外来を訪れた。小学校の給食にパンに塗る用の蜂蜜を食した兄弟が一斉に呼吸困難を起こしたのである。処置後にχ医師が、さらに兄弟を精査すると言って個室に連れて行こうとしたのが騒動となった。
 アナフィラキシーショックはときに命を落とすこともある急な事態だ。ただその対処はほぼ決まっている。奥の手にして第一選択は、アドレナリンの注射である。
 χ医師はそれだけでは終わらせなかった。「なにか信仰はありますか?」とか「リップクリームは使っていますか?」とか、意図不明な質問を重ねた末に「精密検査」の必要性を主張したのである。別室にて検査をするという指示に、看護師も疑問を呈した。
「レントゲン室で、ですか? 写真を撮るんじゃなくて?」
 父親が子供たちにつき添おうとすると医師が「それは無理です」とすかさず言った。父親はそれに不信を抱き、断る、と言ったのである。
 子供たちは小学二年生、四年生、五年生で全員男子であった。見目麗しい切れ長の目の、髪が綺麗に整えられた子たちであった。

「……というところまでが与えられた情報だ。ここからラテラルシンキングゲームとしようか」
 医局横の小さな控え室が医学生に割り当てられていた。夏休みの特別実習に遠方各地からはるばる参加していた学生たちは、午後の病棟見学までの時間を他愛もない会話に費やしていたのである。
 話題の提供をしたのは、南国から来た来螺と言った。会った初日でありまだ遠慮深い学生たちも、とにかく話題を提供してくる彼のおかげで話が弾む。ゲームに乗らぬ理由はなかった。
「じゃあなに、イエスかノーで答えられる質問をすればいいんだっけ?」
 館田という青年は、医学生には珍しく論文まで読みこなしている秀才と噂されている男であった。そこに問いがある限り、答えを解き明かそうという性分のようである。
「そういうこと」
「あー、でもいきなり当てちゃうかもしれない。だってこれ、ゲームって言ったって、事実なんでしょ?」
 館田がとりあえずの質問を発する前に、今野という長身の男が言った。一見真面目で融通がきかなそうな風貌に似合わず、実は快活なしゃべりかたをした。知的好奇心を満たす遊びを好むタイプなのかもしれない。
「その医師は個室で性的な虐待をしたとか? 実話ならあまり軽々しく言うことじゃないかもしれないけれど」
 おしいねえ、と来螺が言った。「虐待と関連はあるんだけれど」
 すると、館田が「なんだ、思ったのと違ったな」と言った。
「え? いいよ。聞いてよ。質問を重ねないと、真相には近づかないからね」
 なら、と館田は言ってメガネを持ち上げた。ちなみに全員メガネをしている。
「リップクリームは使っていなかったのかな?」
「χ先生も問診のときに真っ先に聞いた質問だね。使っていない」
「じゃあマッサージのクリームとかは?」
「ノー」来螺はニヤリとした。
 名川という、ゲームの展開の早さについていけないでいた男が、ここでやっと口を開いた。
「え? なんでそんなことを聞くの?」
 だが、質問はイエスかノーで答えられなければならないので、来螺は答えない。館田も、話を先に進めるのに夢中なようで、質問を重ねた。
「お父さんは養蜂家だった?」
「すごくいい質問だね。でも、ノーだよ」
「え? なに? どういうこと?」

 さて、ここまでで真相はおわかりだろうか?


【χ医師の言葉】
 ああ、あれねえ。まあいいか。
 家で虐待をされている可能性があるかと思ったんだよね。だから所見を取る際にも、意識して体を診たよ。でも、虐待を裏付けるほどのはっきりとしたあざは見つけられなかった。そりゃあ、切り傷ていどのものはいくらもあるけれど、小児だからね。遊んでちょっとした怪我くらいならするでしょ。決定打にはならない。
 そこで部屋を変えて聞き込み…
 …え? どうして虐待を疑ったかって?
 それなあ。まあ結論を言うと、蜂蜜アレルギーが三人とも、っていうのがねえ、あやしくてね。
 先に抑えておくけれど、アレルギーというのは経口摂取せずに皮膚や粘膜にアレルゲン物質を触れさせていると感作されやすい。この点はいいかな?
あ、通じない? そうか、じゃあそこから説明しようか。
 たとえば米国ではベビーマッサージが流行した際、天然のベビークリームが体にいいと信じる人たちが、ピーナッツ由来の油で作ったクリームを好んで使ったんだな。乳児だから、ピーナッツを経口摂取する前に、日々身体にピーナッツを塗りたくられることになった。その結果、ピーナッツアレルギーの子が激増した。そういう意味では身体に塗るものは、天然の製品のほうが危険なんだけどね。
 さて、例のケースね。
 あれ、兄弟三人ともっていうことだから、家庭に原因があると思った。遺伝よりも環境要因の可能性が高そうな気がしたんだ。子供たちは日頃から、経皮的に蜂蜜に感作されていたんじゃないかとね。
 それでまあ、いろいろ可能性はあるけれど、ひとつひとつつぶしていった。たとえばカソリックではかつて蜜蝋の蝋燭を使った。蜜蝋は神の賜物だという理由でね。でもそういうのでもなくて、結局僕が真っ先に疑った可能性が残ったんだよ。
 麻縄さ。
 高級な縄は、なめすのに蜜蝋を使うことがあるんだよ。
 わかった? そういうこと。子供たちは日常的に麻縄で縛られ続けていたんだね。麻縄の縛り跡は、時間が経てば消えてしまう。だから虐待に気づく人はいなかった。
 それがある日、三人がいっせいに蜂蜜アレルギーを起こした。
 こんなとこだね。もういいだろ?
 ……え? なんですぐにわかったかって?
 いや、まあ。その…


【医局横のラテラルシンキングゲーム】
 紅一点の長谷が尋ねた。
「もしかして、χ先生も蜂蜜アレルギーだった?」
「イエス!」


#蜜蝋

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