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こりゃうわさする

「子供はお金の話をするんじゃありません」と言われて育ってきたので、買ってもらった自転車の値段についてさえ、友達と語ることは控えていた。

でもお金には関心があった。金を掘り出して一攫千金を狙おうと友達と地面を掘った(アホだな)。すると金ではなく、石炭のようなものが出てきて「地面を掘れば金は出なくても石炭が出るなら、石炭を売って儲けられるのではないか」と真剣に考えた(アホだな)。ビジネスチャンスは常に考えていたのである。


「子供はお金の話をしない」の呪縛は、今もあるのかもしれない。この本を読んでいて、児童たちがズッコケ三人組の会社『HOYHOY商事株式会社』の株式に投資するときもハラハラしてしまうのである。

「えーっ?小学生が不労所得?しかもここまでのハイリターンを得るの?これってちょっとヤバめの儲け話じゃない?」と。


でもちょっと待ってくれ。江戸時代以降、日本というのは商人の国であったはずだ。商売というものを通して、人としてのあり方を磨いてきた先人たちがこの国を作ってくれた。そんな尊いはずの商売とお金であるが、児童文学でお金は扱われてこなかった。


いや文学に限らず、具体的な金額が出てくる書物を読む機会は少ない。かの『金持ち父さん貧乏父さん』でさえ、「金持ちになるにはお金の勉強が必要」ということまでは書いてあっても、そのお金の勉強で学ぶことそのものは書かれていない。


ところがこの『うわさのズッコケ株式会社』にはそれが書いてある。起業し経営する過程が細かく書いてあるし、数字が書いてある。


いやー、ここまでやるか。『ソフィーの世界』を一目見たときも、「ああ、哲学のことをうまいこと反映した物語を描くんだな」くらいに思っていたが、読んでみるとガチで各哲学者の思想がそのまま語られていたのには驚いた。

この本はあの衝撃の経営版だ。なんせ登場人物の一人、ハカセは小学生ながら株式会社の仕組みと貸借対照表を完全に理解している。細かな売り上げや仕入れ値、株の配当といった数字をリアルに計算して示してくれるのだ。


なんなんだこれは。かの算数の授業に出てきたタカシくんではないか。タカシくんとは、本来抽象的である数字を、現実の生々しい数字に置き換えるために登場させられる架空の人物だ。あるときは池を一定速度で歩き、あるときはおつかいに行ってりんごとみかんを買わされるのである。


だがタカシくんとて、まだまだ不自然な存在であった。弟をおいて先に出発してしまったり、いや、それならまだありうるだろう。兄弟は一緒に家を出るとは限らない。だがタカシくんが歩くのはなぜか直線で、しかもペースが最初から最後まで変わらない。寄り道もしなければ信号待ちさえしないのである。んなことあるか!


でもこの本はそれを超えてさらにリアルだ。釣りをしている客に飲み物や食べ物を売るってのがたしかに儲かりそうだ。でもイワシが獲れなくなると、ピタリと客足が減る。つけ買いをする客がいて売掛金まで計上される。在庫が多いと経営指標は悪くなる、なんてことも、この本を使って授業すれば分かりやすく学べるだろう。


「なにか工夫しました。さらに困難がありました。さらなる工夫でそれも乗り越えました」という展開は物語の基本ではある。だがそれは工夫というものを質的に描くだけで終わることがほとんどだ。

だけどこの本は違う。ごまかしなくすべての数字が、ハカセのおかげで語られるのだ。量的なのだ。経営者であれば、日頃の苦労がそのまま描かれているから、他人事ではなく読んでしまって胃が痛くなるほどではなかろうか。


うっっわあ、これこそ娘に読むことを勧めたい本だ。だってお金はリアルなものだから。なんでもできそうだという万能感や、どうせできないという不全感を漠然と抱くのではなく、「こうすればこれだけこうなる」という具体的な手触りをくれるのは、お金で示される数字だから。


掛け算や足し算や割り算や引き算を覚えるなら商売だ。そこまで算数を学ぶのに本気にさせ、また加速させるものもないだろう。ついでにコミュニケーション力とか、とかとかとか。。


あ、対数計算を覚えたければ麻雀をやりなさい、などと蛇足を言ってみたり。私はどんぶり勘定で生きていける、島田さんが好き。



#読書の秋2020

#うわさのズッコケ株式会社


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