真冬のレモンは小さくて甘く切ない #クリスマス金曜トワイライト
こちらをリライトする企画に参加します。
地下鉄か、山手線か。山手線だ。
そのほうが2分早いと、ヤフー路線図で調べてある。ただし、うまく行けばだ。また登り階段か。とっくに息は切れているのに。クソったれ。
「仙台に帰ろうと思って。もう30ですしね」
手紙をくしゃくしゃに握りしめて、駆ける。「少し時間が欲しい」とすべて墨で書いてある手紙。東京の生活に疲れたという。疲れたのは、僕との付き合いにじゃなくて?「午前8時00分、上野発のひたち3号に乗ります」と結ばれていた。
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「ああ、待たせた。ごめんごめん。だいぶ前に同じ世界観の中で複数の企業を宣伝していくプロジェクトのアイディア、話しただろう。あれ、順調なんだよ。第1クールのCMの参加企業は打診が3社だけだけど、同業は参加できないというルールがあるので、第2クールに駆け込んで応募してくる企業が日々うなぎのぼりなんだ。これはいけるよ」
「へええ。さすがね。あ、今度フジテレビのイベントでね…」
「おい、待てよ。話はまだ終わってないんだって。すごいと思わない?数珠つなぎにクライエントを抱えられる上に、宣伝効果も…」
「あの」
「ああん?」
「その顔、キライ、です。なんギリギリを走ってきた感があって険しいので」
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JRの改札の先はまた長い登り階段だ。あと数段というところで電車が到着する。クソッ。数秒の遅れが大きな違いになる。あれに乗らなければならないのに、ホームへと一気に流れ出た通勤客が逆行してくる。かき分ける。露骨に聞こえる舌打ちを振り切って、ホームへ飛び上がった。強引に車内に飛び込むと、扉が閉まった。
コートの下で汗が止まらない。通勤客と客たちの圧力が腹と背中にのしかかる。握った手紙をもう一度開くためのスペースはない。せめて今の内に体力を回復しておこう。
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出会ったのは、品川・御殿山の住宅街にある美術館だ。モダンアート展のパーティー会場では、場慣れした紳士淑女が会話に花を咲かせていた。
その中で、ピンクのスーツを来て、ショートカットにアニエス・ベーのロゴが入った大きめのトートバックをかけている女性が、壁際のひとつの作品とタイトルに目を彷徨わせたかと思うと、そぞろな足取りでまた別の壁際の作品の前に移動した。まるで花を巡る虫のようだ。
『ココにはよく来るんですか?』
振り向いた彼女は困った顔をした。間が空いた。僕は瞳をただ見つめて待っていた。時間ならある。
『いえ。はじめてです。。』
『僕もはじめてです。。。嘘です』
すかさず返した。それで緊張感が弾けた。彼女がクスッと笑ってくれたのだ。グラスシャンパンで頬はみるみる紅くなり、笑みが雫のように溢れるようになった。僕は彼女の顔を何度も、じっと見ていた。
『書道を教えています。子供にではなく、大人になんですけれど』
『へえ。僕は広告屋ですよ』
『ああ、すごいですね。こういうところに来る人は、なんかそういう人ばかりで』
『ええ?広告屋ですよ?それに僕は出世コースにいる人間じゃないし、ちょっと遠いと思いますよ』
「そういう人とは」と付け加えると、また彼女がクスッと笑って、それを僕が見て、彼女が静かに頷いて、僕は彼女のうなじを見つめた。彼女の手を引いた。抵抗はなかった。ふらふらとついてくる彼女は、紙の凧のようであった。息は切らしていたけど。美術館を出た。微かにレモンの香りがした。頬に風が触れた。
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師走の人でごった返す上野駅のホームに出て、階段を駆け降りる。7時55分。特急が出るまであと5分。
東北本線のホームはどこだ。あった。また階段を駆けるのか。足の消耗が早い。さすがにスピードが落ちてくる。長く伸びる列車がようやく視界に入る。ホームには、見送りやこれから乗り込む客で混み合っている。僕はそれでもまだ早足で、人という人を睨みつけるようにして彼女を探した。顔が熱い。
手紙が郵便受けに入ってたのに気が付いたのは今朝だ。何日も前に入っていたのだろう。よりによって今朝気づくとは。
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大正に作られたという『あさがおホテル』という洋館のホテルの庭に朝顔が並んでいるのを見るはずであったが、来れるようになるまでにとっくに枯れてしまっていた。幸い伊豆は寒さも緩い。ただでさえ静かそうなところな上に、僕たち以外に客はなかった。白いレースのすき間から刺した陽が、シーツの複雑なしわに影を落としていた。
彼女は小さく丸くなっている。唇からうなじへと鼻先を這わせると、レモンの香りがした。
『ズルいぃ』
よじれたカラダは上に上へと逃げようとしている。今はどんなにはしゃいだっていい。
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ヒトの流れが交じり合っていた。ベルが響き出した。背後の雑踏に、張り詰めた空気を察した。振り返る。身に大きすぎるバックを肩にかけている姿があった。
「郁美っ」
振り返った沢山の視線が刺さる。構わない。人をかき分ける。
「行くなよ」
ドアの淵にたたずむ彼女に手を伸ばした。彼女は手を、、
振った。
瞳には涙が浮かぶ。何も言わない。
僕を見ている。僕は瞳をただ見つめて…
いや、待つ時間はなかった。彼女がつうーっと動かした手の行方を、僕は吸い込まれるように見た。ポケットから出された黄色い封筒に、僕は手を伸ばす。
ベルがやんだ。扉がしまる。頬に光りが流れていた。閉じたドアのガラス越しに唇が小さく動いて、
「ごめんね」
確かに聞こえた。
ホームに沿って風が抜けていく。人の潮が引いた。長椅子に崩れ落ちると、封を開いた。
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『この手紙を読んでくれているなら、あなたに会えた時でしょう。身勝手なわたしを許してください。
本当はわたしは負けそうな自分が怖いのです。距離や時間が離れたとき、あなたが消えてしまいそうで。それが怖いのです。
ずーっと会いたかった。だけど言えなかった。あなたが仕事で活躍していけばいくほど遠くなった。
でもね。あなたに出会えてよかった。
ずっとあなたを感じていたいのです。あなたの頬や、あなたの唇に触れていたいのです。確かに一緒の時間をすごした日々を、心と体に焼き付けておきたいのです。
あなたが好きです。大好きです。』
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「今から仕事ですか?大丈夫です?」
彼女に会ってからでも出社できるような時間を、選んでくれたのかもしれない。「赤坂まで急いでください」と上野駅から拾ったタクシーで、運転手に話しかけられた。一人で考え込みたくて、わざと返事を短くする。
「ええ。まあ」
「飲み過ぎましたかあ」
「まあ」
窓のほうに顔をそむけかけ、ふと思った。
「あの、僕、今険しい顔をしていますかね」
「え?」
手紙の墨は、滲んで見えた。
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追記
「なぜその作品をリライトに選んだのか?」
すみません。池松さんとしては作品を選んだポイント、どこが気に入ったとか、これを書き直してみたかったとかいったことを知りたいのでしょうが、私はこれが1番目の作品だから書きました。
「どこにフォーカスしてリライトしたのか?」
池松さんのオリジナルのほうは心の中のつぶやきが多く、とても映像的な作品ではあるのですが、音読によってそのイメージが浮かび上がるような作品だと思いました。ラジオのCMとかドラマにありそうな。
そこで私は、同じ映像的でも、黙読によってそのイメージを喚起しようと思いました。心の中で思ったことは省き、それを外からでも「見える」行動にして読者に察してもらおうと思ったのです。セリフ・場所・シチュエーションに具体性を増しました。
あと、主人公は常に走っていると思いました。彼女の手を引いて走る。仕事で奔走する。彼女に会いに走る。ついでに言うと「師走」です(笑)
そうすると、元来「静」の彼女は、息切れしてしまったのかな、と。その息切れを、最後に彼に感じてもらうことにしました。
表現を変えるのは好きですが、内容や素材については必要に迫られなければ極力オリジナルを活かしたいと思いました。最後の手紙はいじっていません。表彰されるのはおそらく大胆な変更をする人だと思いますが、それは狙いません。池松さんの作品に深く沈んでいけるリライト企画は好きなので、また参加できただけで嬉しいです。