おっぱい募金の方程式
おっぱい募金というものがあり、それについて批判が起こり、その批判に対して「これを批判するならすべてのチャリティー募金が批判されるべきだ」という主張がツイッター上で盛り上がったことがあった。そのとき考察したことがあるので、ここに残しておくことにする。
私としては批判的に論じることも、好意的に論じることもできたが、そのどちらかの立場に固執することにはさほど意味を見出さなかった。というか、声高な主張を見かけたら同意見であってもその人に批判的な論を展開して遊ぶし、好意を持てば意見を肯定する理由を挙げ連ねることもある。私の表向きの主張は本心とは限らない。
議論はツイッターでかなり言い尽くされていたが、数理的な考察というのはなかったのでやってみたのだ。
* * *
おっぱい募金。
たとえばあれが募金をしていなかったとしたらどうなったでしょうか?
そこで、「おっぱい募金の方程式」を立ててみようと思います。
左辺はなしたこと、右辺は結果としますと、
おっぱいイベントの企画 + 募金 = おっぱいを触る人・触られる人 + 寄付されるかなりのお金 + 批判 ーー(1)
(ここにはイベントから募金は切り離して、単純に付け加えたり、取り除いたりすることができる、という前提があります。そもそもこの前提が間違っている可能性もあります)
次に左辺に募金のない式を考えてみましょう。おそらく募金がなかった場合、今回ほどの批判はなかった可能性が高いと考えられます(これにも異論の余地はあります。テレビで公にやったことの是非が問われる可能性はなくはありません。ですが募金であるがゆえにこれだけの波紋を呼んでいるという点は否めませんので、そう考えてみます)。
おっぱいイベントの企画 = おっぱいを触る人・触られる人 ーー(2)
当たり前の結果になります。ところで募金だけだったら?
募金=寄付される少額のお金 ーー(3)
おそらくこうなるのではないでしょうか?募金額はもっと少なかったと思います。
これらの式を整理しましょう。(1)から(2)と(3)を引きます。すると、
0=(寄付されるかなりのお金ー寄付される少額のお金)+批判
ここで批判は結果であることに注意してください。「批判をする」という行為ではありません。
無からお金が生まれる錬金術のようでもありますが、この結果を解釈すると、
(1)式における、「「おっぱい募金」をすることによって生まれた「ただの募金」との金額の差額」は「批判されるような事態」というものにより、帳尻が合わされている
となります。
念のために言っておきますが、左辺を「なしたこと」、右辺を「結果」にしていますので、移行して式を変形すると、間違った論理展開の元になります。(1)の左辺は、本当の意味では足し算ではないからです。
さあ、これをどう考察していきましょうか?
結局は現象を数式で言い換えたには過ぎないのですが、これにより生まれる新しい視点はなにかあるでしょうか?
平たく言えば「後ろめたいことほど余剰の金を生む」ということかもしれません。その是非は?
功利を重視すれば、「金のためなら批判上等」とでもなるでしょうか?
立川談志流に言えば「募金におっぱいを利用したと思うからいけないんで、激安おっぱいパブが売り上げを全額寄付したと思えば美談だ」といったところでしょうか?
あるいはサンデル先生流に批判すれば「美徳に反することをお金と等価交換すべきではない」というところでしょうか?
さらに条件をいじったら?
あれが地上波なら?NHKだったら?中身が握手会なら?ボディービルダーの胸を触る企画だったら?…
問うことの意義はつきませんね。
こんなとこでしょうか。
ハア。何回「おっぱい」という単語を入力しただろう…