![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/64036830/rectangle_large_type_2_9aa7e3f2791ecbe49bd6ab64ed0d977d.jpg?width=1200)
学習理論備忘録(38) 私はなぜ、中野信子の本を読まなかったのか?
行動の理由・仕組みを説明しようとする学問は昔からいくつもある。例えば精神分析学だ。動機づけ理論のかなり初期のものだと言える。精神分析学では攻撃性を「死の本能」などで説明している。人には破壊衝動がもともと備わっているとする、内的衝動説の代表である。
他にも、学問的厳密さの観点からはもはや悪名が高いと言っていいマズローの欲求5段階説なども、「欲求」という行動の原因となるものに触れた理論だと言える。
そもそも人類が仲間の行動原理としての「心」を憶測しあうのは、原始のクロマニヨン人の頃から変わらない。それには素朴心理学(「心の理論」という言葉もある)という名前が与えられている。
素朴心理学も学問としての動機づけの理論も、行動という現象を説明するのに、「動機」という媒介変数を立てている。
だが動機だの欲求だのというものは論じるべきではないとする立場もある。「人が攻撃するのは破壊衝動があるからだ」と言うのは、「人が攻撃するのは攻撃する原因があるからだ」というだけで、ではその原因はどうして起こるのかという問いを先送りにしたにすぎない。本能と言って終わってしまうならばそれは思考停止である。
それでも「人が攻撃するのは破壊衝動があるからだ」が受け入れられてしまうのは、人がその手の衝動を実感しているからだろう。動機にはその実感、「クオリア」がある。媒介変数は存在しない、とでも思っているかのように思える学者もいるようだが、これだけ説得力のある実感をどうやって無視できるのかが疑問である。
さて今回の学習理論備忘録は『人は、なぜ他人を許せないのか?』(中野信子、アスコム)という本の感想文である。中野信子という人がどの心理学から「人を許せない」という現象を説明するのかと思っていたら、意外にも脳科学であった。たしかに表紙にも彼女が脳科学者と紹介されている。
「学習理論」という言葉を使う文脈では、案外脳という皮膚一枚の下の話は避けることが多い。近縁の「行動分析学」のとある立場が、行動を脳の機能に還元することをあえて避けるからだ。
たしかに「脳科学」という言葉による言説が量産されている現状は手放しには喜べない。(そもそも脳科学という言葉自体、最近になって聞かれるようになった。「大脳生理学」という言葉はどこへ行ったのか?)
それでも行動主義者の一部が、脳の機能の解明に意味がないかのように聞こえる言説をするのは問題がある。「ブラックボックスの中身は論じない」ということに意固地になりすぎている気がする。ブラックボックスなら覗いてみたくなるのが科学者だろう。
このへんのことをフェアな視点から論じたのは、ヤスパースではないだろうか。脳の解明には意味がある。ただ、人がある行動をとる際脳のある部位の活動が増えたからといって、その部位がその機能に与るとは断言できぬし、関係があったとしても仕組みを解明したと言うには程遠い。ヤスパースはこの手の「先入見」に注意するよう早くから警告していた。
この手の本はこういった観点から気をつけ、論理展開を検証しながら読む必要がある。
では、いざ『人は、なぜ他人を許せないのか?』を読み進めると・・
「許せない」と正義の制裁をくだしておきながらそれを後悔する人が多い理由のエビデンスは知らない、と「はじめに」であっさりと白状されてしまう。この著者はなんと控えめなんだ!
それでも脳の仕組みが大きく関わっていることは事実であり、これまでの知見の範囲でその仕組みを知り、解決に利用できれば良い、と言うのである。
いいじゃないか。この本は役に立ちそうな予感がする。
ただ、例えば、人が人を許せず対立してしまうのは自分のコミュニティーを永らえさせる生物学的戦略である、と言う。これは脳科学というよりは進化心理学である。この手の説明が多い。
とはいえ、たとえば脳の成長を説明するのに「髄鞘化」「跳躍伝導」といったバリバリの専門用語も出てはくる。心理学を期待して読んだ人なら驚くかもしれない。ただ脳科学としてはごくごく基本の説明であり、前から分かっていた知見をていねいに、著者の見解も入れてわかりやすく解釈したという感じである。
私が知らなかったのは、眼窩前頭皮質というあらゆる人に共感するための部位が充分に発達するには人生の2/3を要する上に、すぐに老化もしやすいというなかなかショッキングな事実である。老いた人がキレて自分の「倫理」に遵って感情的にふるまうようになることがあるが、あれは前頭葉が老化したからかもしれない。
とはいえ、人が人を許せないのは自然なことだとも言える。著者の言う通り、まずはそれを認めることが大事である。
「昔は良かった」みたいなことを言い出したら、正義中毒のサインだともいう。それは老化かもしれない。
だが老化が遅い人もいる。著者は老化を遅らせる可能性があることとして、いつもと違うことをすることを挙げる。違う道を歩く、普段読まない本を読む、過酷な環境で過ごす、といったことを挙げる。
読書の秋2021のスタートは、出版社が表紙に著者の顔写真を載せて攻めた売りをするので「なんだ、ポスト信田さよ子を狙ってきたか(信田先生は現役です)。『信』の字までいっしょだわな」などと思って避けていた中野信子氏の本から始まった。これで少し、脳の老化を防げたかな?
前の記事はこちら。