サマーウォーズの続きの世界で正義が暴走する
リアルな体感を持ってヴァーチャルな世界で過ごす。
そんな設定は多くの小説に登場する。たとえば『三体』でもヴァーチャルリアリティーが物語に色を添えていた。昔のSFでは遠い未来の夢物語であったものが、今では普通に受け止められるようだ。どうせもうすぐ完成するだろう。もうそれに近いものはできている、と。
ヴァーチャルな世界と言えば、細田守監督の『サマーウォーズ』がそれをテーマにしていた。『竜とそばかすの姫』は、その世界観を引き継いだ作品と言えよう。
『竜とそばかすの姫』では『サマーウォーズ』同様、電子な世界の話だけが繰り広げられるようなことはなく、冴えない高校生の現実、バリバリの田舎生活が展開する。
私は都会派志向の人間だ。だから実は、主人公の住む田舎のほうがよほど異世界である。そこにノスタルジーがある。あるいはもはやそれは逆に、エキゾチックな魅力のあるものでさえあるかもしれない。そういえばエヴァンゲリオンでも綾波レイが田んぼで仕事をしていたが、そういうことか。少し遠い世界なのだ。
さて、ヴァーチャルな世界で人々がつながることによって何かが変わるか?インターネットが広がりを見せた頃すでに、ネットが人のあり方を変えるかという議論は散々なされた。なにも変わらないだろうと言った精神科医もいたが、実際には大きく変わった。それは「正義の横行」という点でである。
中野信子氏の言い方を借りれば、「正義中毒」は人の性である。残念ながら人は人を攻撃するようにできているので、平和な世の中を安易に実現できると思っている人がいたらそれは夢見人だと言わざるをえないだろう。
「攻撃」には役割がある。ワイドショーを見て芸能人の不倫を責め立てる人に対して、よく「自分に関係がない人のなすことに口を出す意味がわからん」と言う人がいるが、私にはそう言う人の方が思考停止しているように思われる。現実が答えだ。あんなくだらない報道がこれだけもてはやされているということは、なにか大きな意味があるという証拠なのだ。
匿名化された世界の中では、人は率直に、さらには礼を欠いてものを言いやすくなった。体格や腕力に頼むことなく、人を責め立て、組み伏すことが可能になった。それも、実際に会えるのをはるかに上回る人数を対象にできる。世界中どこからでも「正義」の鉄槌を振るえるのだ。
それでも人には良心がある。「正義を掲げる」というタイプの善とはまったく別の。この小説がそうであるように、「正義中」ではなく「良心の人」が主人公たりえ、そこに魅力を感じるのもまた人である。「正義中」がよろしくないことを、どこか肌で分かっているのである。
愛はおそらく実在するのではないか。たぶん私も「正しい/正しくない」を物差しにし、正しさを達成することでドーパミンが放出される正義中だ。そんな私でも、自分に徳がなくても誰かを守ってしまうような人が好きだ。主人公ベルの歌を聴けば、美しさに震えるに違いない。
最後に人々を突き動かすのは情であり、それを動かすのはたとえば歌なのではないか。
そういえばサマーウォーズでもヴァーチャル世界を見守るクジラが出てきた。細田監督、クジラが好きなんだろうな。あのクジラたち、たしかヨーコとレノンって名前じゃなかったっけ。
Ver 1.1 2022/11/26 誤字や文章表記を直した。