近況報告濃いめ第38回:「普通」で「没個性的」なのは「とんでもなく素晴らしい」事
もう軽く10年以上、下手したら20年以上は「個性を活かそう」なんていうバカげた話が流行っているが「普通」や「没個性的」というのは実は「とんでもなくすごいエリート」なんだぞ?
まず「普通の人」というのは「定格化・共通規格化」されているから替えが効くんだ。だから『とんでもなく凄い事』に大抵の普通の会社で普通に仕事ができるんだ。
「そんな程度が『とんでもなく凄い事』なのか?」と思われますがこれはもう本当に『とんでもなく凄い事』で、これが出来ないがために生き地獄を味わっている人間だっているんだ。
実際私は産まれつき(多分父親の血だろう)「定格化・共通規格化」がどうしても出来ない人間で、会社ではゲロ吐きながら(比喩でもなんでもなくガチで本当に吐いてる)死なないためになんとかパートで食らいついているくらいには不適合を起こしている。
これが普通の人間だったら何の問題も無く普通に仕事ができるはずだ。
なので会社を興す人間というのは「そうでもしないと社会に適応できないから仕方なくやっている」という人も多いと思う。
世の中ってのは「普通」で「没個性的」なサラリーマンが支えているもんで、個性的な人間ってのはその恩恵の下で生きているに過ぎないのだ。
電線を全国各地に張って国内なら大抵の場所に電気が来るのも、水道を整備して蛇口をひねるだけで水が出るのも、全部「普通」で「没個性的」なサラリーマンのおかげなんだよ?
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