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【エッセイ】「井の中の蛙大海を知らず」は本当か

「井の中のかわず大海を知らず」

あまりにも有名なことわざである。

けれど私はこの諺を長い間誤解して覚えていた。
そういう人も、実は多いのではなかろうか? 
と思って自分を慰めるのだが……。

私はこの諺を、

「井戸の中に棲む蛙のように、狭い世界で生きている者は広い世界を知らない」

=広い世界を知らずして狭い了見の中で生き続けているヤツは取るに足らないツマラナイやつだ

と言っているのだと理解していた。

更に言うなら、

自分の慣れ親しんだ、手の届く範囲に安住して向上する努力をしないやからは下の下だ

ぐらいの認識である(ヒドイね(笑))。

ところがネットによると、諺にはこの続きがあるというではないか。

本当は

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る
というらしいのだ。

井戸住の蛙は広い海を知らないが、井戸の中から見える空の蒼さを知っている。

広い世界を知らずとも、長くその場にいるからこそ見えてくる、開けてくる世界もあるということを言っているらしい。

「井の中の蛙大海を知らず」は〝見識が狭い〟というネガティブな意味合いを持つが、

「されど空の蒼さを知る」は〝自分の居る世界の深いところや細かいところを熟知している〟というポジティブな意味合いを持つという。


どうして急にこの諺が気になったかというと、自分もまた井戸住の蛙のように、狭い世界に住む身だということを感じる瞬間があったからである。
自ら好んで飛び込んだわけではないが、色々なことを経る内に、気がつけば小さな個人レベルの井戸に安住するようになっていた。
先ほど言った、〝取るに足らないツマラナイヤツ〟であり、〝手の届く範囲に安住して向上する努力をしないやから〟そのものだ。

確かに、安住出来るほどこの井戸は快適で住み心地が良い。ストレスも無いわけではないが、我慢出来ないというほどでもない。

この続きの部分、「されど空の蒼さを知る」を知った時、私はハッとした。

小さな井戸の丸く切り取られた枠内に限定された空に、私は蒼さを見たことがあっただろうか。とりあえず脅威の無い井戸の側壁にぴったりと身を寄せて潜み、安寧の泥で身を包みながら、時折ゲコゲコと喉を鳴らしてみていただけではないだろうか。

空に障壁は無い。空は大海はもちろん、まだ見たことのない遠くの街とも繋がっている。
そう考えることは凄くて尊い。

そして空の〝蒼〟は、日々刻々と変化する。その色を観察し、心に響かせ、願わくばその響きを文章に移し替えて記録する。そんなことが出来ればいいなあ、と思う。

さらに。
井戸の底には、まだ見ぬ水源が湧いている。蛙はそこにも着眼しなければならない。その水源は、地中深くを走る水脈とじかに繋がっているわけだ。蛙は時折その水源に身を浸し、潜り、水脈の先の行けるところまで探索してみることもある。
そこに尽きることない豊かな養分があることを知るために。

そしていつか蛙は、全ての水源が行きつく大海を知る。



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