「でんでらりゅうば」 第25話
村の人間たちがさも気軽に話す世間話の端々に、このような恐ろしい物語は見え隠れするのだった。相手が外国人の学生とあって油断したのだろう、村人たちは相手を喜ばせようと、村の深い秘密までもを曝露してしまった。村には口にするのも憚られるような歴史が数多くあったが、それらの持つ神話的な響きは彼らの言葉尻に滲み渡り、大森様が、でんでら竜が、と登場する固有名詞には、サンズにとって強力な魔術性が内包されていた。
アメリカの大学で日本文学を研究したサンズは、彼らによって語られるこの恐るべき昔話の全体像の持つ魅力に、強烈に惹きつけられる自分を見出していった。そしてそのため、祖母の消息を秘密裡に調査しようとの当初の思惑とは裏腹に、一個の研究者としての純粋な好奇心がむくむくと湧き出してしまったのだった。
気の毒な祖母が、現在でも閉じ込められている山中の村に入り込んでいる自分。何とも皮肉で残酷な現実が、徐々に彼のなかの方向性を変え、彼の心づもりを変えていった。
そし何より決定的だったのは、自分のなかに流れる血についてのことだった。静の孫であるということは、星名の血族、すなわち竜の孫であるということである。自分のなかに竜の血が流れているという発見は、サンズの心を震わせた。そしてそれは彼に、この戸丸村に対する恐れと共に自分もその共同体の一員であるという、密やかな連帯感を生じさせたのだった。
実をいうと、サンズは一度だけ、祖母である静に会いに行ったことがあった。昼間でも薄暗い大きな日本家屋の奥の座敷に寝かされている祖母は、父親から聞いていた話のなかの美しい姿とは、似ても似つかなかった。昔折られたという両足は萎えきって、厠にもひとりでは立てず、家のなかで世話をする者の手を借りて用を足していた。その両目は盲目で、白く濁った瞳はもうどんな光も捉えることはできなかった。
ただ祖母は、頭のなかは一点たりとも濁ってはいなかった。サンズが思い切って自分の出自を告白したとき、静はがばっと起き上がり、大声を出して泣いた。そして盲いた目で、孫の姿を捉えようとして闇雲に手を伸ばした。その手を、アメリカからはるばるやって来た孫の大きな手が握ったとき、静婆は大粒の涙を流した。
「……生きとったんよなあ……。よくも、まあ、……」
喜びに満ちた声で、静婆は生き別れになった、愛していた夫とただひとりの息子に対する想いをサンズに打ち明けた。そのお返しに、サンズはアメリカに帰ってからの静婆の夫と息子の消息を、こと細かに話して聞かせた。
静婆は感激に打ち震えて、そして言った。
「あんたもこん村で暮らさんね」
サンズは、できれば是非ともそうしたかった。けれどこれまで散々村人たちに自分は留学生であり、日本の古い歴史を勉強している者だと偽って村の口外できぬほどの秘密をさえ聞いて回った身であった。今更静婆の、それも村が離縁させようと画策した男の孫であるということが知れたら厄介なことになるのも事実だった。
村に強烈に惹かれ、祖母の側に暮らしたいと願いながらも、サンズは引き下がるしかなかった。だがせめて村の近くに居を構えたいと、ちょうど旧道の南側に売りに出ていた別荘を買い、そこに仕事の合間を縫って通い始めたのだった。
彼のなかには、常に村に対する屈折した感情が渦巻いていた。祖母をこんな体にして、何十年も幽閉するかのように留めている村。祖父と父の一生を狂わせた、残虐非道な村。だが、その歴史と竜の血によって、自分を抗い難い力で惹きつけて止まない村。
――そして今、彼にはまたひとりの女性が村の餌食になろうとしていることがわかっていた。彼は逡巡した。彼女にもっと決定的な危険を知らせ、あの場で二度と村へ戻らぬよう、自分が保護して連れ出してやってもよかったのではないか。あのとき自分には、やろうと思えばいくらでもそれができたのだから。
でも、彼にはそれがどうしてもできなかった。もうこの土地に通って二十年にもなる。サンズはこの村に愛着があった。外国人の、よそ者の、けれどこの村にどうしようもなく絡め取られている自分が、あの女性をどうするべきだったのか。
サンズは憮然としたような、そして同時に祈るような面持ちで、村へ下りてゆく小道のほうを見やった。出てこい。それができないなら、連絡をしてこい。今会えたなら、助けてやる。そんな、賭けのようなことを考えていた。
だがいつまで待っても、その小道を上って旧道へ出てくる足音も携帯の着信音も聞こえなかった。
ふっ、と、もう一度小さな溜め息をついたサンズは、おもむろに左手の掌を開いた。そして、右の手で拳を作ってその上に乗せ、指であの独特な形を作りながら、流暢な日本語で歌い始めた。
〽でんでらりゅうば でてくるばってん
でんでられんけん でーてこんけん
こんこられんけん こられられんけん
こーん こん
下の村で、幼いころ祖母が父にいつも歌ってくれたという歌だった。父はその手遊び歌をよく覚えていて、ことあるごとにサンズに歌ってみせた。なぜかサンズはその歌と手の動きが大好きで、いつも歌って、歌ってと父にせがんでいたものだった。
今ではその歌の意味も指で作る形の意味も、すべて理解している彼だった。そして、あの村に永遠に封じ込められている祖母のことも、今度新たに加わったあの女性の行く末も、サンズは熟知しているのだった。
旧道へ続く小道の出口を封印するかのように低い歌声が響き、さらにそれを覆い隠すかのように、激しい雪が降り始めた。