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【短編小説】 シャルトリューズからの手紙 序章

 ――ある日、弟から「手紙」が届いた。
 いまどきメールでもSNSのメッセージでもなく、それは紙に書かれ茶色い封筒に入れられた、正真正銘の私ての手紙だった。
 封筒の下のほうには、どこかの機関か施設の名称のような刻印があって、それは手紙がそこから発送されたということを意味していたが、外国語なのではじめ私には何のことかわからなかった。
 Chartreuse……
 謎めいた、それでいてどこか流麗さを感じさせるこのアルファベットの羅列に首をかしげながら、私はその封筒を開いた。
 中の手紙を開いてみて、私ははっとして、自分の目を疑った。そこには三十年ぶりに見る、懐かしい弟の筆跡で書かれた文章があった。
 私はすぐに手紙を畳み直すと、元通り封筒にしまい、それをジャケットの裏ポケットに入れた。そしてそのまましばらく机の上に山積みになっている新聞やほかの郵便物を仕分ける作業を続けた。朝事務室に来て一番初めにする、それが私の仕事だった。
 夫である人が三十年前に自分の父親の会社を引き継いで、私と結婚したのはその翌年のことだった。私はものごころついたときからこの屋敷で育ったので、夫の妻になったとは言ってもここへ改めて嫁いできたという実感はなかった。ただ、いくつもの国へ留学を繰り返していたせいでいつもこの屋敷にいなかった夫には、返ってなかなか馴染めなかった。夫は幼少時からアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スペインに留学し、経営者としてのビジネスと帝王学をとことん叩き込まれて戻ってきた人だった。
 学校の休みやひとつの留学期間を終えて次の国へ出発するまでの短いあいだ、彼は屋敷に滞在したけれど、ほとんど私たち・・・と接点を持つことはなかった。見知らぬ国の意識や習慣を持ち帰り、私たちをまるで別人種を見るような目で眺め、尊大な態度でふるまう彼を、私たちはあまり好きになれなかった。
 それで私たちは、二人結託けったくしたようになって、広い屋敷じゅうを遊び場に、いつも二人で過ごしたものだった。いつでもよく手入れされた庭園、二階のどこまでも続く長い廊下、食料庫や女中さんたちが寝泊まりする部屋にも入り込んで、私たちは子ども時代を送った。
 だからこの屋敷には、いつでも弟の思い出がある――。朝洗面所に向かうとき、小さな姿が目の前を走り抜けていく気がすることがあるし、庭の桜の木の向こうに隠れて、じーっとこちらをのぞいている頭が見えるような気がする日もある。
 夫のことよりも、弟のことのほうがずっと比重を持って私の心を占めているのだ。
 
 郵便物の整理を終えると、私は女中の真野まのさんのところに行って薬をもらい、今日は頭痛がするから自室でお昼まで休むと言って部屋にこもった。誰も入ってこないように内側から鍵をかけ、ベッドの上に座った。そして、ジャケットの内側のポケットから手紙を取り出して、もう一度開いた。

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