「でんでらりゅうば」 第32話
安莉はずかずかと庵のなかに入り込み、懲罰房を視察する官吏さながらに、廊下に片膝を立ててどっかと座り込むと、今は澄竜の住む座敷牢のなかを覗き込んだ。
その部屋は、廊下に面した一面がすべて木製の頑丈な格子のはめ込みになっており、まさに罪人の入れられるべき部屋であった。少しましなのは、土間の上には床板が敷かれ、その上の床いっぱいに真新しいイ草の匂いのする畳が敷かれてあることだった。今や名ばかりとはいえ星名の当主である澄竜に、村人たちがどうしてもせずにいられない配慮からであった。
一週間前にこの房に入れられた澄竜は、安莉の姿を見ると格子のほうに突進してきた。
「安莉、お前ーッ! ようもこの俺にこんな仕打ちがでくっな!」
澄竜は太い木の格子を力の限り叩いてはつかみ揺さぶっている。ガン、ガンと、聞くにも痛いようなものすごい音と振動が狭い庵に響き渡った。
「お前、恐ろしゅうないんか? この俺を、竜の孫の俺を閉じ込めるやなんざ、罰が当たっぞ!」
荒ぶる竜は、かつて公竜の着せられていたような、白い着物と羽織を着せられていた。星名のできそこないを示すその哀れな出で立ちで、猶も咆哮を上げ続ける。だが安莉は平然と冷ややかな目でそれを見つめ、眉一つ動かさず澄竜の叫ぶがままに任せている。澄竜は暴れ続けた。格子を叩き、拳で血が出るほど殴りつけ、太い木をつかんで力の限り揺さぶり続けた。
だが細身の優男である澄竜がどんなに力を絞っても、昔罪人を閉じ込めるのにも使われた堅牢な格子はびくともしなかった。安莉は澄竜が段々弱って、暴れるための力も失われ、初めは旺盛だった竜の咆哮も次第に細くなり、喉を引き絞っても何の音も出なくなっていくのをただ黙って見つめていた。
しまいには遠くの森の外れから聞こえてくる炭焼きのふいごの音のような微かなものに変わった澄竜の声は、畳の上に這いつくばって落とす涙の海に沈むかのように止んだ。そのとき、安莉は初めて口を開いた。
「何が竜の孫か。このニセ竜がッ! お前が蒔き散らかした種ででけた者どもを見てものを言いよっか。そん小さか窓ん隙間からとっと見てみい。お前の種は最低じゃ。よう育たんかった赤子たちが、そっから睨みつけよんのがわからんのか!」
――二人目の子ができたころから安莉のそばを離れていった澄竜は、少しずつ村の若い娘たちにちょっかいを出すようになっていた。〝妻〟を娶ったとはいえ、それが恋愛感情によるものではないことを村の女たちは知っていた。古森凜がそうだったように、歳を取ってもまだ壮麗な美男ぶりを維持している澄竜に、女たちは常にある種の抗いがたい魅力を感じていた。そして正直、誰もが自分の家にでんでら竜の血筋を取り入れたいと願っていたというのもあった。
竜の血族として他より抜きん出た存在であると認知されていた澄竜は、それをかさに着て、次々に女たちを誘惑していった。あれこれと浮き名を流したのち、澄竜は、片っ端から二十歳そこらの年齢になった娘たちに夜這いをかけ始めた。ただひとつの自慢の容姿と、女をたぶらかすのに長けた才能を遺憾なく発揮して、澄竜は村じゅうのほぼすべての娘を虜にしていった。
そのうち、村のあちらこちらで大きな腹を抱えた若い娘たちの姿が見られるようになった。その腹は真ん中がポコンと飛び出た円錐形が特徴で、それは竜の孫、澄竜の種でできた子である印と目されていた。
やがて、村中で一斉に赤ん坊が生まれ始めた。皆産み月が近かったのは、澄竜がひところに集中して活躍した証拠にほかならなかった。
それは春の初めの陽気に誘われて咲き始める花々の饗宴のごとき賑やかさで、ひと月のあいだに立て続けに十人の赤子が生まれることになった。ホギャア、ホギャアと威勢のいい産声を上げて、赤子たちは生まれてきた。
だが、村はすぐに恐怖に陥ることになった。祝福され、待ちかねられて生まれてきた赤子たちは、その内のひとりとして、健やかに成長することはなかったのだ。
――後に村人の言うには、無事に生まれてきたのはほんの一握りで、やはり血が濃いというのはこういうことを言うのか、実に十人中八人が、何らかの異常を持って生まれてきたというのだ。ひとりは重篤で、体中に皮膚のない、見るからに痛々しい奇怪な姿で生まれてきた。またひとりは生まれてから一度も声を上げず、かと言って死んで生まれてきたわけでもなく、母親の腹から出てからずっと眼球をぐるぐる回し、口をぱくぱくさせるばかりであった挙句、五日目に死んでしまった。
「でんでら竜っちゃ、こげなもんか」
娘たちの相手が誰だか知らなかったわけではなかった父親たちは、口々にそう言い始めた。村人が一気に十人も増えるという僥倖に歓喜して、娘が妊娠していたあいだは澄竜の肩を叩きながら涙ぐんで礼を言いつつ通り過ぎていった者もいただけに、この事態は村中に不穏な噂を呼んだ。
「やっぱあいつん血はたちが悪かったたい」
「やけん、俺が言うたろうが」
「安莉さんのんはいい子ばっかりじゃったとが」
「よそん人やけん、やっぱり畑がよかったっちゅうだけのこったい」
父親たちは、皆に聞かせるかのように、ことさらに大きな声で噂した。
不幸な赤子が生まれるたびに、澄竜の村での立場は危うくなっていった。皮膚のない赤子は勿論生まれてすぐに命を落としたし、ほかにも何歳になっても喋れなかったり、手足の骨が異常に弱くて、歩こうとするだけですぐ骨折するという子どももいた。異常を持たずに生まれてきた子たちも、やたらと体が弱く七歳の誕生日を迎えることなく亡くなった。なにせ、その年に澄竜の種で生まれた子どもで、まともに成長できた子どもは皆無だったのだ。
「とんだ竜もあったもんじゃ」
「ありゃあ、偽物じゃ。ニセ竜じゃ」
「こんなことなら、公竜んほうがなんぼかましやったっじゃなかっか」
村人たちは憤慨していた。そして、古森凜のご神託が、その怒りに火を注いだ。
お縫婆が亡くなると、その跡を継ぐかのように、今度は古森凜にシャーマン的な能力が開花し、ご神託が下りるようになった。澄竜と安莉の婚礼の席で口を縫い合わされて以来ずっと沈黙を守ってきた凛は、澄竜の悪い噂が村中に知れ渡ったある日、匕首を手に突然家から飛び出ると、村人たちの面前で縫われていた口を切り開き始めた。
完全にトランス状態に陥っているらしい凛の行動を、そこに居合わせた村人たちは怯えながらただ見守っていた。縫い残された真ん中の小さな穴に匕首を差し入れると、長い年月を経て完全に癒着していた上下の唇の肉を、凛はためらいもなく右と左にぐさぐさと切り裂いていった。
大きな傷となって開いた口からは大量の血が滴って、顎の下、首から胸にかけて真っ赤に染まった。
「ご神託が下りた!!」
と凜は引き絞るような声で叫んだ。その目は完全に狂人の色を呈していたが、それはシャーマンとしてはむしろ正常な状態なのだということを、村の誰もが知っていた。
凛はその凄まじい姿で村の家々を訪ね回り、澄竜はニセ竜だと触れて回った。
「星名は竜の血筋なんかやあらせん! お縫婆はな、このことが口から出て止まらんやったと! やあけ自分で口縫い潰してしもうたったい! 自分の下ろした言葉が間違いやったって、決して知られるわけにはいかんやったと。やけん、やけん澄竜はニセ竜やっちゃ!」
興奮した声で、目をらんらんと光らせながら凜は叫んだ。百年の昔に、お縫婆が身を犠牲にして封印したでんでら竜の秘密を、凜は暴露した。
ところが、代々星名を竜の孫だと言い伝えられてきた村の人々に、その真実は浸透しなかった。下り始めたばかりの凜の神託はまだ実績を持たず村人の信用を得るまでに至っていなかったし、竜を畏れ、星名の家は竜に乗り移られた一族だと信じてきた古くからの因習は根深かった。だが、そうであっても、澄竜がニセ竜であるということだけは、意外なほどすんなり受け入れられた。
「結果がものを言いよるたいね」
「ほんなこつ、公竜んほうが本物の竜やったたいね。まったく、下手こいたたい」
村人たちは言った。
村議会が開かれ、協議の末、満場一致で今後一切澄竜を自由に出歩かせないようにすることが決まった。そして監禁場所には大森様の裏手の、この庵がうってつけであったのだった。