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【長編小説】 春雷 2
――春先の朝は、爽やかには起きられない。それは湿気をまとった淫靡な夢を含んでおり、寝床で眠る者に何度も何度もまとわりついて、その柔らかな懐に抱い込もうとしてくる。その真綿のように不安げで、かつ抗い難く厄介な魅力を持つ何かが胸のなかに広がっていくような感覚は、真咲の体をぐったりと重くさせ、朝露に濡れたようにしっとりした褥に囚われるのを感じるのだった。
「またあの季節がやってきた」
真咲は掛け布団を握りしめながら、ひとりごちた。
毎年、決まった時期に訪れる遠来の客のように、それは南の方角から重い暖気を孕んだ風を伴ってやってきた。つい前の晩までは、固く乾燥して、さわやかではあるがどこかよそよそしかった空気が、温もりと柔らかさを帯びている。たったひと晩を境に、それはまるで人間の吐息のように肌身を包み愛撫するような、やけに親密なものに変化していた。発酵質のものたちが喜び勇んで沸々と生命の営みを加速させつつあるその朝、真咲はまた新しい季節が始まったことを認め、溜息をついた。
その季節の訪れを拒むように固く両目を閉じた真咲は、さっきまで見ていた夢のなかに再び潜り込もうとした。遠い異国の街。とうの昔に去ったはずなのに、いまだに真咲を呼び戻そうとするかのように、たびたび夢に出てくる大河に面した北方の街。
けれど、今朝はうまくいかなかった。よく真咲は半覚半睡の状態で、目覚める直前まで見ていた夢を明確に思い出し、それを反芻することがある。それどころか、調子がよければ、何の抵抗もなくスムーズに夢の世界へ逆戻りすることもできる。それは味気なく辛すぎる現実から逃避するために彼女が磨き上げてきた、一種のプロフェッショナル的な技だった。でも今朝は、誘いくる春の大気の気配に邪魔されて、どうしても夢の世界へ逃げ帰ることができない。
ついさっきまで、真咲はかつてあとにしたあの異国の街にいて、パレードを見ていたはずだった。それだけははっきりと覚えていた。けれど、何のパレードだったのか、どんな人たちが列を作り練り歩いていたのか、どうしても思い出せない。ただ賑やかに、目の前を通り過ぎていく人の群れ、その熱気と興奮の余韻だけが残っていた。けれどそれも、忍びやかに射し込んでくる覚醒という否応ない生理的な機能によって、徐々に薄められていくのだった。
ああ――。どんな夢だったんだろう。
目を閉じたまま夢の残した糸の端を探っているうちに、真咲はいつしかまた眠りに落ちていた。しかしかろうじてもう一度繋がることのできたパレードのシーンはいままさに佳境を迎えており、それはどこか知らない土地の〝部族〟の示威集会のようなものに変化していた。そしてそれは、どんなに望んでも、どんなに懇願したとしても、決して真咲の手には届かない、地理的にも文化的にも、そして民族的な面からも、遙か遠い距離に隔てられた異質な人々のものなのであった。
見知らぬ〝部族〟の興行は、色とりどりの魅力的な衣装や旗、趣向を凝らした輿の装飾や紙吹雪などをひらめかせながら、「決して交わることも受け入れることもない」という態度を表明しつつ、半ばからかうようにして真咲の目の前を通り過ぎていった。
午後、海を見ていた。
猿本海岸は、真咲の家から車で四、五分のところにある。真咲も咲子も、ひとりで銀行に行くとか浦のなかでこと足りる買い物に出る日などには、用事を終えたあとよくこの海岸に来て海を一望できる駐車場に車を停める。
三月の最後の日。少し肌寒いが、辛いほどではなかった。真咲は車のエンジンを止めると、バッグからスマホを取り出して電源を切った。
春の嵐かというくらい、強い風が吹いていた。横殴りの細かい雨がさあっ、さあっと音を立てて車の側面を打っていく。
正面に見える海は荒れていた。家の裏の湾は大海に背を向ける格好に入り込んだ狭い船着場だが、ここは砂浜のある広い海岸線で、太平洋に向かって開けている。外海からの潮の流れや打ち寄せる波があるせいか、今日のような日は海面の色まで湾のそれとは違う、美しいエメラルドグリーンを呈している。
――いつからだろう、雷や突風、嵐の性質を持つものを恐れなくなったのは。それどころか、むしろ歓迎してそれと一体になろうと望むような自分がいる。
なぜだろう。わからないけれど、わけもなく心が鼓舞されるようにかき乱れる。これまでの沈降し切っていた気分を裏切るような、この焦燥感にも似た感覚に、真咲は戸惑っていた。
考えごとの整理がつかない。
はあ、と、溜息をつく。
どうして自分自身と向き合って、心のなかで渦を巻く、何とも言い表しようのない気持ちの正体を突き止めることがこんなにも難しいのだろう。自分のなかに厳然とした矛盾が根を張っているような気がした。それは厚顔無恥な人物のように、無遠慮に真咲の精神の真ん中にどっかと腰を据え、「何があってもここから動かないよ」と言いながら、まるでこの先の真咲の有りようを支配しようとしているかのようだった。
海をかき回す大風の音は、ちっとも怖くない。
だけど。
ときどき、自分をものすごく無力な人間だと感じる。
真咲は、強風によってもたらされるのとは違う混乱に当惑しながら、遠く太平洋の彼方を見やった。
――夕方、愛猫を抱いて店の裏に出る。
姉妹が幼かったころは船着き場の反対側にある通りに店が連なっていた。真咲と咲子の両親が営む薬屋の向かいには煙草屋兼洋服屋があったし、通り沿いには小間物屋、酒屋、魚屋、床屋、雑貨屋、玩具屋、歯医者、履物屋、菓子屋が軒を連ね、生活に必要なものは何でも手に入れられる商店街はいつも賑わっていた。けれど長い時を経て店が一軒減り、また一軒減りとしていくうちに、いまでは人通りもまばらとなり、車が主な移動手段となった現在の浦人たちの生活道路は船着き場側の車道となっている。それでも昔からの習慣が抜けず、この家の者たちは船着き場側を〝裏〟と呼び続けている。
咲子はいつものように玄関前の車寄せの脇にしゃがみこみ、膝の上に座る猫の体を覆うようにして胸にぴったりと抱き寄せてから、夕焼けに染まる湾にじっと視線を注いだ。犇き合う漁船の向こうに見える緑の山々の上には、いまちょうど太陽が沈もうとしているところだ。
視界の左端に、年老いた漁師が現れた。漁師は船の調子を見に来たのか、乗って来た自転車を億劫そうな動作で船着き場に植えられているソテツの木の前に停めると、もやい綱をちょっと確かめてから、硬く重そうな躯をひらりと翻して船に乗り込んだ。舷側に〝快晴丸〟と黒いペンキで書かれてある。
咲子は猫と一緒に、ただ動くものへの興味から、じっとその様子を見ていた。漁師のほうもまた、それに気づくこともなく、淡々と自分の作業を進めていった。もの慣れた動作で小さな操舵室に入り込むと、ブルルルンと音を立ててエンジンをかけた。エンジンの音に問題がないと確認したのか、しばらくするとその音を響かせたまま外に出て、今度は船尾のほうに行って幾重にも巻いて置かれてある太いロープを点検し始めた。
油が浸みこんで重たくなったロープを持ち上げたとき、漁師の体が少しかしいで足がふらつき、前につんのめりそうになった。自分の不甲斐なさに腹を立てたように険しい顔をして、踏みとどまった姿勢でいっとき身動きしなかったが、やがてその不機嫌な顔のまま体を起こして黙々と作業を進めていった。
どこかに威厳すら漂うその姿を、咲子はある種の畏敬のような念を持って、ずっと見つめていた。
いったい何年漁に出ているのだろう。まったく知らないおいさんだったが、相当のベテランには違いない。
商家に生まれ育った咲子は、地元の漁師たちとは縁が薄い。家の真裏には数十隻の漁船が犇めいているというのに、そのなかのひとりとも咲子は顔見知りですらない。このおいさんは、海に出てどんなことをして戻ってくるのだろう。咲子はその一部始終をいま見ているように、自分のなかに描いてみたいと思った。〝板子一枚下〟は何とやら、大海原の、空と海のちょうどあいだに身を置いて、体ひとつで魚を獲って、無事にこの湾まで帰ってくるというのは、いったいどんな冒険だろうと咲子は想像する。漁師たちは皆確実に、咲子が興味を持つが決して体験することのできない世界を知っている。無論漁師たちはそんなことに改めて関心を持つこともないのだろうが、彼らが小さな湾を出ていくところまでを見るばかりの咲子にとっては、それは神秘めいた別世界にほかならなかった。
潮の匂い、海風の勢い、肌は勿論身の奥まで焼くような夏の強烈な陽光、時化の恐ろしさと厄介さ、真冬の夜中二時、厳寒の時間帯に漁に出ていくときのやるせなさ、そして陸地を離れた〝沖〟にある、自分の体と魂を人智を越えた神の采配に委ねる世界……。
「おいちゃん、漁に出るってどんな?」と声をかけて聞いてみたい気もするが、母親の渋面が浮かんですぐにその幻想を引っ込めてしまう。咲子の母親は地元の人間だが、母親の言葉を借りれば〝娘の子〟がガラの悪い漁師連中と接するのはいいことではなかった。〝娘の子〟というのは文字どおりの意味ではなく、〝娘〟であり〝子ども〟であることを表す、浦においてまだ幼若で未熟な女性を意味する記号のようなものである。咲子はもはやそんな呼ばれ方をする年齢であるはずもないが、時が止まったようなこの浦で、母にとって真咲や咲子はいつまで経っても〝娘の子〟であるらしかった。
海の男たちは気が荒い。気が荒い、というのは、〝洗練されていない〟と言い換えることもできる。さらに、それ以外の男たちに比べて野性的である、とも。ヤスリをかけていない生木のような性質を持つ者がほとんどで、理屈よりは本能が勝っているようなタイプが多い。一本気、と言えば聞こえがいいが、人間によっては粗野とか野卑といった言葉があてはまる場合もある。欲求があれば情動にまかせて口よりも手が先に出る。女に手を出し、いずれ手を上げることもある、というわけだ。
勿論、生木のような性質は悪いところばかりではなく、そういう人間味むき出しの性質は逆に言うと純朴で嘘がなく、それが女の心を捉えることもある。手を出されて幸せになった女も少なくはない。
そういった傾向は、浦全体にあった。けれど浦全体がそういった傾向をわきまえている以上、些細な事象が大事件にまで発展するということは滅多にないのだった。
大漁のときや祝い事の席で、漁師たちは、酒を飲んで大声で騒ぐこともある。酒と漁師は切っても切り離せないものであるが、そういう態度を、浦の女子しは好まなかった。酒癖が悪い男や、いつも飲んでいるような男しは、〝酔いとう〟と呼ばれて忌避された。漁師連中にしても、薬屋という商売柄、漁業とは異質のカテゴリーに属する咲子の家を、自分たちとは違う部類の存在と見なしているのか、彼らのほうから積極的に話しかけられたり、深い交流を持とうとされることはなかった。
「仲間になんか、入れてもらわんでけっこう」
切り捨てるようにそう言う母の声が、聞こえてきそうな気もされて、咲子は漁師たちに話しかけてみたいという欲求を抑えるのだった。けれど、朝な夕な漁に出ては帰ってくる重油エンジンの音で湾内の空気を攪拌し、この湾自体を支配する、というよりはこの湾の持つ独特の雰囲気を作り出している生来気のいいはずの男たちは、間違いなくこの湾の風景を形づくるに必要な存在なのであった。冬の寒い日の朝方など、湾内に置いたドラム缶で火を焚きながら談笑している老漁師たちの楽し気な声が響き渡ると、彼らの和やかなコミュニティに入れたら、どんなに楽しいだろうなあ、と咲子は思うのだった。
けれどそれは勿論叶わぬ夢。漁師たちはほとんど親戚や幼馴染みや近所同士で、互いに幾世代にも渡って馴れ合っている。しかもそこは伝統的実質的に男だけの世界だ。咲子のような者を受け容れる性質のものであるわけがない。
いやむしろ、そのような世界に興味を持つ咲子の考えのほうが、不埒なのかもしれないのだった。この浦では漁師の世界など、わざわざ関心を持って眺めるようなものではなかったのだから。それは大昔から連綿と続いてきた生業であり、同時に、聳え立つ山々や海の潮の満ち引きのように、泰然としてそこに存在する自然の一部のようなものなのだ。