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創作 colorless world 第一話
これを読んでいる人の中に、何か昔言われて心にどんな形であれ残った言葉はないだろうか。
その言葉は胸の中に巣喰い、蝕み、居付き続ける。
その人のためを思っても、怪物の形を持って時々その人の心に表れる。
時に壁として、時に助けとして_。
「ハア……」
またやってしまった。
昔からふとした瞬間にため息をついてしまう。
子供の頃からため息をつくたびに「ため息をつくと幸せが逃げるよ!」なんて言われたっけ。
そんなことで一々幸せが逃げるのなら今までついたため息全部集めたら宝くじの一等でも当たるんじゃなかろうか。
「そりゃ自分の子供がいっつも辛気臭そうなカオしながら生きてんの見るのもしんどかっただろうな、とんだ親不孝なガキだよな。」
もうこの世に俺のため息を注意する人間は居ない。
そんなこと考えながらさっきまで拭いていた墓石を眺める。
また一つ、俺の口から幸せが逃げていった。
「おや、もう掃除は終わりかい?まだ上の方に汚れが残っているじゃないか。」
急に後ろから声が聞こえる。
なるほど黒い汚れが後ろの石と同化してみにくくて……じゃなくて。
「貴方誰です?」
パシャッ
振り返ると同時にシャッターを切る音が聞こえる。
フラッシュに一瞬目が眩むも、もう一度光の方を見直す。
そこに立っていたのはこの田舎の風景になんともミスマッチな女の人だった。
上にノースリーブのワイシャツ、下に黒のタイトスカート、まるで都会のOLのような見た目である。
歳上だろうか?ここの人なんだろうか?など取り止めのないことをパニックになりながら考える俺の前で女の人はカメラから出てきた写真を眺めている。
「ふうん……。高島楓(たかしまかえで)年齢18歳、身長173.6cm、体重65kg、平均的な身長体重と言えるね。」
既に軽くパニック状態の頭がさらに混乱を起こす。なんでこの人は俺の名前や正確な身長体重が分かるんだ?
「おっと、いきなりこんな事を言われて混乱するのも無理はない。私はこういう者だ。気軽にイロハと呼んでくれたまえ。」
そういって女の人に名刺を渡される。
京極彩羽(きょうごくいろは)、職業フォトグラファー……。
あぁ写真家か、だから急に写真撮ってもおかしくないよなぁ……っておい。そんなわけあるか。
「え…本当に何なんですか貴女。急に話しかけてきたと思ったら、何で名前とかわかるんですか。」
「何者かと言われればフリーの写真家、それ以上でもそれ以下でもないねぇ。名前はほら、そこに。」
指差した方を見ると置いてあった水筒に名前のシールが貼ってあった。
確かに小学校の頃から変えてない。恥ずかしい。
「こんな暑い中声かけて悪かったね。熱心に掃除してるものだからつい、ね。」
そう言うと女の人はその格好に不釣り合いな大きなリュックからペットボトルを一本取り出すとこっちに渡してきた。
ポカリだ。冷たい。
「あ、ど、どうも…」
「私は色々な場所の風景を撮っていてね。この町でも撮りたい写真があって訪れたのさ。」
「は、はぁ…」
「じゃあ引き続き頑張ってくれたまえ。それでは。」
女の人、もとい彩羽さんはそのまま近くに停めてある軽自動車に乗り込むと何処かに車を走らせてしまった。
結局なんで身長体重当てられたのかは分からない。
この時はただ彩羽さんの後ろ姿を見ることしかできなかった。
思い返しても何とも変な出会いである。
冷静に考えて彩羽さんは明らかに不審者である。
見ず知らずの俺のことを急に写真に撮って挙げ句の果てに名前身長体重までピッタリ当ててきた。普通に怖い。
そもそも京極なんて名字、この辺の人間では聞いたことがない。
何故なら俺、高島楓の出身はここだしなんなら高校卒業までここに住んでいたのだ。
大学合格を機にここを出たのでその時に引っ越して来たとかならまだあり得るが精々まだ半年である。
しかも狭い町だから誰か引っ越してくれば流石に俺の耳にも入る。
まあおそらく他所の人だろう。
ここ覚貫(かくぬき)町は明治から続く避暑地の近くに位置する小さな町である。
別荘やゴルフ場があるエリアを駅周りの観光地を中心にして反対側に位置するこの町には特に観光スポットがあるわけでは無いので滅多に人は来ない。
フリーランスの写真家らしいし、まあおおかた景色でも撮りに来たのだろう。緑だけはいっぱいあるし。
そんな事を考えながら歩いているとふと足が止まる。
あの人、屋敷のこと知らないんじゃないだろうか?
本来何もなければここら辺も別荘などで溢れかえっていたであろうこの町の開発が昔から一向に進んだことがないのはとある一つの屋敷が原因である。
この町の中央に大きく鎮座している屋敷、この町の人はオヤシロと呼ぶのだがここに人は住んでいない。
代わりに”神“が住んでいる。
馬鹿みたいな話だと自分でも思う。でも本当に居るのである。
何故そんなことわかるのかって?
見てしまったからである。あの忌々しい神の姿を……。
はやる気持ちを抑えながら屋敷の方へ進んでいく。
今自分が言っても彩羽さんは居ない可能性の方が高いが、万が一行ってしまったら大変なことになる。
わざわざこの町に来てるぐらいだから何も知らなかったら行ってしまう可能性は十分にある。
正直この屋敷も2度と来たくなかったが今はそんな事を言っている場合ではない。
彩羽さんが屋敷に行っているかどうかさえ確認すればいいし、最悪屋敷に入らなければ平気である。
「あの時注意しとけばなぁ……」
そんな後悔もむなしく半ば祈るような気持ちで屋敷に向かった。
立ち入り禁止の看板の前にさっき見た軽自動車が、屋敷の近くにそっくりそのまま停まっている。
非常にまずい。
見るとまだ車の下の草が踏まれたばかりである。
停めてまだ5分も経っていないだろう。
急いで門の前にいくとちょうど門の中に入ってく彩羽さんが見えた。
「ちょっ、ちょっと待って!」
叫んでも聴こえる様子はなく、彩羽さんはそのまま
屋敷の門をくぐってしまった。
閉まってしまった門を見て逆に脳が冷静に働く。
もう入ってしまったらしょうがない。
今から町に助けを求めに行ったところで彩羽さんを助けるのには間に合わないかもしれない。
それならば神に遭遇した事のある俺が行って彩羽さんを引っ張り出すしかない。
その方がリスクが少ないはずだ。
迷う暇もない。今入ったばかりならまだ間に合う。
震える足をなんとか踏ん張って門をまたくぐるのだった。
屋敷の門をくぐると厳かな所謂日本家屋という感じの建物が目に入る。
あの日、俺が入った日から何も変わっていない。
彩羽さんが入ってから3分が経過した。
まだそんなに遠くには行ってないだろう。
恐る恐る正面玄関を開ける。
開けると夏場なのにひんやりしていて、またほんのり木の香りがする。
床を踏むと木の軋む音がする。
5感の全てがあの日この屋敷で起きた事を思い出させる。
思わず足が竦む。
だがまだ間に合う。彩羽さんがアレに遭遇しなければまだ逃げられる。
見える部屋の襖を片っ端から開けようとしたその時、少し離れた部屋から何か大きな物が落ちる音が聞こえた。
おそらくあの部屋だろう。
音の鳴った部屋の障子を蹴破る。
中を見るとそこには神と対峙している、鬼気迫る表情をした彩羽さんの姿があった。
あの時と何も変わらないドス黒いオーラを纏った異形、神がうねうねとスライムのように形を変えてそこにいた。
彩羽さんの手にはさっき俺を撮ったのとは違う、もっと大きくて高そうなカメラを抱えている。
「ようやくまた会えたな」
そう言ってカメラを向ける彩羽さんの後ろからまた別の神が近づくのが見える。
このままだと危ない。
考えるより先に気がついたら彩羽さんと神の間に体が割って入っていた。
神は俺の体に入ってこようとするが、"あの時"のように体に入ることはなく弾くことができた。
やはり、予想通りだ。
「うわっ!?」
間に入った弾みで彩羽さんはそこに呻いて倒れ込む。
弾みでカメラが落ち、シャッターが押される。
カシャッ
一瞬普通のカメラとは思えないほどの激しいフラッシュの後、静寂が訪れる。
見るとあれだけうねうねと形を変えて動いていた神が一定の形を保って、まるで黒曜石のように固まっている。
一瞬驚くが、視界の端にさっき弾いた神の姿が見える。
ボサっとしている場合ではない。
「彩羽さん、起きれます!?」
「君が何故ここに居るのかよく分からないが…。足を軽く捻ってしまって…ひゃっ⁉︎」
彩羽さんが言い終わるかどうか分からないうちに気づいたら彩羽さんとカメラを担いで出口に向かっていた。
一瞬振り返ると、神がこちらに向かって這ってくる。
「何だねこれは!降ろしたまえ!」
上で彩羽さんが何か言っているが気にしている余裕がない。
急いで出口に向かっているとふと、視界の端に人のようなシルエットが見えた。
こんな所に人が今人が入ってる訳がない。
シルエットを気にする余裕もなく、そのまま襖を蹴破る。
無我夢中で走って、気づけば門の前に戻っていた。
何とか脱出できたという実感が湧くと急に力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。
「助かったぁ……」
一瞬安堵したのも束の間、重要なことを思い出す。
「なんでここ入ってるんですか!」
「こちらの質問が先だ!」
隣を見ると彩羽さんが混乱したような顔をしてこちらに詰めてきた。
「いろいろ聞きたいことが多すぎて頭が混乱するが、まず君は何故アレを手で弾けた!?」
真っ先に気にするところソコなんだ…と思いつつ違和感を覚える。
「彩羽さん、貴女アレが何か知ってるんですか?」
彩羽さんが一瞬口籠る。
「アレは…私の敵だ。この私が人生を賭けてでも排除せねばならない、この世に存在してはいけないモノだ。」
彩羽さんは屋敷の中で見た時のような、凄い形相をしていた。
まさか…この人も…。
「じゃなくて!重要なのは君が何故弾けたかということだよ!話を逸らさずに言いたまえ!」
非常に困った。本当の事は言えない。どうしたものか。
「それは…なんかたまたまで…」
じっと彩羽さんに疑いの目を向けられる。
「まぁもうその話はいい。」
そう言うと彩羽さんは両手をこちらに突き出してきた。
「…何してるんですか?」
「君が私を押し倒して怪我をしたんだからな。おぶって運びたまえ。抱っこでもいい。」
ムッとした顔で手をブンブン振ってこちらを見つめてくる。
何なんだこの人…。
見た目とのギャップが凄すぎてクラクラしてしまう。
今何か聞く気力は完全に消えてしまった。
このままだと本格的に駄々こね始めるかもしれない。
仕方なく彩羽さんの手を取って背中に背負い込む。
「おおありがとう。そのまま車までよろしく頼むよ。」
何処まで図々しいんだろうか…。
この人と関わってしまった事に軽く後悔の気持ちが芽生えてきた。
でもこれも結局彼女を中心に巻き起こる覚貫町史上最大の事件の始まりに過ぎなかったのである。
この時はまだ俺は、知る由もない。
「ところで君、車の免許は持っているかい?」
「え、まだ持ってないですけど…」
「困ったねぇ、私はこの足で運転出来ない。どうしたものかな…」
…本当にもうここに置いていこうかな。
また一つ、幸せが逃げていく。