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第二回:私がいない平日

本作品は、阿賀北ノベルジャム2020の応募作品
おっかなびっくりスローライフ』のスピンオフにあたる連載短編です。

 最初に発作が起きたのは、中学一年生のときのだった。
 いま考えると、典型的な体育会系だった。夜中に煌々とかがやく体育館でバスケットボールの練習に励み、毎日ボールが跳ねる音とシューズの滑る音に刺激されて、甲高い声をとばした。最低学年に課されるのはとにかく練習、練習、練習だ。
 帰りはだいたい二十時か二十一時くらい、勉強なんてするつもりはなかった。土日に仲間内で集まって、一気に終わらせた。
 先生は授業と部活で、まるっきりやる気が違うように見えた。授業では淡々とつまらなそうにしていても、練習では躊躇なく怒鳴りちらし、私たちを鼓舞した。眠そうな目を無理やり釣り上げているのが全然怖くなくて、面白くて、笑い話のネタにしていたっけ。

 激しい練習の末に、私はエースポジションの座についた。そして先輩や、クラス違いの同級生ともようやく打ち解けてきたというタイミングで、それはやってきた。

 見たことのない眩い光が、視界の上半分をさえぎった。バランスを崩して一瞬、体育館の天井を仰ぎみた。そのまま頭が振り子のように弧を描いて……私の身体は、まるで幽体離脱したように、なすすべなくへたり込んだ。
 保健室にお世話になったのは、それが人生で最初だったかもしれない。
 それ以来私は、高校でも大学でも常に誰かからの心配に晒されながら、人の手間を借りながら生きてきた。

「調子どうですかー? まだフラフラする感じあるー?」

 声の大きな女医さんが、白衣の裾を元気に振り回しながら病室に入ってきた。部屋のところどころから、シーツがすれ、病床のマットがきしむ音がきこえてくる。当人は気にしていないけれど、部屋で休んでいる何人かを起こしてしまったようだ。

「点滴、調子よくなったら今日中にでも外すからー。すぐ退院できると思うよ」

 なんとなく体調の悪い感じは残っていたが、気のせいといえば気のせいというレベルだった。退院後は自宅療養するようにと告げられた。
 結局、翌日までめまいが再発することはなく、すぐに病院から引き上げることになった。仕事終わりの母親の車に載せられ、実家に戻る。

「そんなの当たり前じゃないの」

 そう大事にならなかったのであれば、就農研修に戻れるんじゃ? 何の気なしに言ったら、迎えの車の中で、母にぴしゃりと一蹴された。母は、いつも「何とかなるわよ」と楽観的なことが多い。
 実家の玄関を開けると、陶器のプードルが出迎えた。農園からほど近い場所にあるこの家に、郷愁はとくに感じていない。そもそも、二ヵ月しか離れていなかったし。
 感じていることとすれば、学校からしぶしぶ早退してきたときのような違和感くらいだ。
 自分の部屋に入ると、研修先の社員寮から回収されてきたリュックが本棚に立てかけてあった。着替えはきちんと畳んで置いてあったけれど、研修で使っている作業着は、その中に含まれていなかった。すぐに頭の中で訂正したけど、没収されたと少し思ってしまった。

 私はまだ、苗すら自分で作ったという自覚がない。味わってもない醍醐味だけれど、イチゴ農家がいちばんやりがいあるのは、そこじゃないかと思ってる。イチゴ狩り体験をやっても、仕方がない。やっぱり、自分の手で何かを生み出したい。
 研修生の同期も「自分で何かを作った感覚がほしい」とつぶやいていたし。

「昌~」

 部屋の向こうから母が呼ぶ。そわそわした気持ちが、ほんの少し落ち着いた気がした。
 
 部屋を出ると、熱した牛乳の香りが胃袋をつついた。
 これはうちではよく作る、チャウダーの匂いだ。入っているのはあさりに限らず、鮭だったり鶏肉だったりすることも多い。

「朝の残りだけどね」
「あ、うん。いいよ、食べたい」

 考えごとに気を取られていた私は、カタコトみたいな返事をした。

「で、ちょっとは楽になったの?」
「うん……まあ。気持ち悪さは、あんまりないかな」

 ないはず。

「ならよかった。ごはん、私がよそうから」

 母はすっかりジャケットを羽織っていて、もう仕事に出る支度ができていた。
 持ってきてくれるまでの間、私はダイニングテーブルの木目を見ていた。ぴったり静止しているので、ひとまず安心した。めまいが酷いとき、こういう模様は動いているように見えてしまうものだ。
 陶器の擦れる音と、棚を開け閉めする音が聞こえる。母が萩焼のライスボウルを持ってきた。小盛りのごはんに、チャウダーが直接かかっている。人には驚かれるけど、パンではなくご飯にかけて食べるのが好きだった。

 野菜の出汁とコンソメ、牛乳の混ざった蒸気。がっつり食事をする気分ではなかったけれど、食欲を後押ししてくれた。
 具は、食感がほぼわからないほど細かく刻まれているが、春キャベツと赤玉ねぎの風味はしっかり鼻を通ってくる。そしてアサリは、泥臭さを感じない。胃が、ほっとする。
 母親は急ごしらえでも、ささやかな作り込みを忘れない。いつも隠れた努力をしては、気づかれないように振る舞うのだ。

「母さん」
「んー?」
「やっぱり、忙しい? その……お父さんがいないと」
 母一人に任せているのを申し訳なく思うつもりが、これじゃ、お父さんを責めているようにも聞こえる。ただ事実として、それ以外の言葉が思いつかない。まあ、いいよね。

「退院するくらいまでなら余裕よ。私が忙しいの、いつもだしね」

 ひょうひょうとした返事が帰ってきた。一人で溜め込んでいるのか、華麗にさばききっているのか、判断がつかない。

「そんなことよりあんた、前の仕事に戻る気は?」

 ああ、どう答えようか。母は疑問に感じたことを、臆せずストレートに訊いてくるのだ。

「今はないよ。何年かに一回なら、そこまで深刻じゃないでしょ」
「ふうーん、そうねえー……」

 否定はしないけど納得もしない母は、横目で時計を見た。

「はーだる、どっこいしょ。行ってくるね」「うん、行ってらっしゃい」

 私の器をさっと回収して、母は仕事のスイッチに切り替えた。午前中の間だけ休みをとらせてもらい、午後から夜にかけて一気に仕事を片付けてくるのだそうだ。

 足先に、扉が閉まる振動を感じた。

 昼食を終えた私は、朝から微妙に残っていた眠気にさそわれた。だらだら寝て、十六時ごろにカラスの鳴き声で目覚めた。起き上がって、どこに行くわけでもなく着替え、リビングのソファに腰を降ろした。
 部屋は静まり返っている。

[仕事だる定期]
[気圧ちょっと低いなー😅  皆は頭痛とか大丈夫?]
[おはようございます。今日の朝はパンケーキでした、が……久しぶりに彼氏にやらせたら焦がしよった( ゚Д゚)]

 SNSを開けば、誰もが平日を生きている。もちろん私は、こんな時間帯に何も投稿したくはない。
 SNSでつながっているのはほとんどが面識のある友達だから、今の状況を書くことで心配させたくはない。嘘を書く気もさらさらない。

 個人宛の通知が来ていないかどうかだけチェックして、SNSのアプリをさっと閉じた。

 そして、ソファの背もたれによりかかって五分弱、空白の時間を過ごした。自宅療養という理由もあるけれど、ふらっと散歩に行くのも危なっかしくてかなわない。私が昨日倒れたのは、むきだしの土の上だからまだ良かったけれど、アスファルトの上で立ちくらみを起こすのはごめんだった。想像しただけでも痛い。

 起伏の少ない日常系のドラマをぼーっと見ていれば、このまま一日が終わるかな……と思っていた矢先、インターホンが鳴った。
 最低限でも、身支度をしておいてよかった。宅急便だろうと思って扉を開けてみると、そこには権藤さんがいた。就農研修で、コーチとしてお世話になった方だ。

「お疲れさまです、すみませんお見舞いなんて」

 予想していなかったので、私は少しテンパっている。

「近くに用事があったんでな。これ良かったら」

 プラケースの乾いた音がしたと思うと、権藤さんは越後姫を数パック手渡してくれた。

「わわわ、どうもありがとうございます、わざわざ……」
「まあ、近いから大した手間じゃない。親御さんはお仕事か」
「ええ、基本遅いので」
「うん、そうか。まあ、よろしく言っておいてくれ。落ち着いたら、また顔を合わせような」

 権藤さんの喋り方には、独特の間がある。まるで足元を確認しながら、岩肌を少しずつ登るように言葉を重ねる。

「ありがとうございます。発作も、そんなに……頻繁ではないと思うので。またよろしくお願いします」
「身体の問題は、俺にとっても身近だ。お父さんも大事にしてな。俺たちはまったく気にしないから」
「ありがとうございました」

 うん、それじゃ、と言って、権藤さんは白いバンの中に戻っていった。

 もらった苺を、水気を切ってダイニングテーブルに並べてみる。当たり前だけれど、濃い赤色が目立つ。手に取ってみると、スーパーで並んでいるものを見るよりもずっと大きく感じる。
 とても一口では食べきれそうになくて、先端から三分の一くらいをかじった。じわっと甘味が来て、酸っぱさが追いかけてきた。すぐに、残りもほおばった。奥歯で種をつぶすとちょっぴり香ばしい。
 包装紙には顔も名前も書いていなかったけれど、私は権藤さんのこだわりに感心した。苺はよくルビーとかの宝石にたとえられるけれど、まさに努力の結晶だ。

 私も、そんな生産者になれれば。

◆ ◆ ◆

研修先で起きているお話は、下記の書籍からご覧になれます。


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