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映画『異端の鳥』感想 少年の瞳に込められた世界そのものへの怒り


 この内容を、3時間という長尺で観るのは、ほぼほぼ拷問でした。映画『異端の鳥』感想です。


 第二次世界大戦中、東ヨーロッパのとある土地。ナチスのホロコーストを逃れるために疎開した少年(ペトル・コトラール)は、村の子どもたちから迫害されながらも、預かり先の老婆と身を寄せて生活していた。だが、ある日老婆が息を引き取り、それを発見した少年は驚いてランプを落とし、誤って老婆の遺体ごと家を燃やしてしまう。
 保護者と住む家を失った少年は、本当の家に帰ろうと彷徨い始める。その過程で、数多の「普通の人々」と出会う少年は、世界の醜悪さを目の当たりにする…という物語。

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 ホロコーストを生き延びたポーランドの作家、イェジー・コシンスキの小説『ペインティッド・バード』を原作にした、ヴァーツラフ・マルホウルによる監督・脚本の作品。主人公少年の成長を描くため、撮影に2年を費やして完成した映画だとか。
 ヴェネツィア国際映画祭で披露された際には、あまりの過酷な展開に途中退席者が続出するも、上映が終わる時にはスタンディングオベーションが起こり絶賛されたそうです。

 という事で、ある程度キツい思いをする映画体験になるとは覚悟して臨んだわけですけど、いやー、ちょっと予想外の角度のキツさがありました。人体破壊とかのグロさはないんですけど、精神的なグロテスクさは強烈でした。

 子どもが辛い目にあう映画といえば、自分の中では、高畑勲『火垂るの墓』是枝裕和『誰も知らない』が二大作品なんですけど、それらは理不尽さの原因が「戦争」や「貧困」などの、社会問題によるもので、そこへ怒りを向けて創られた物語なんですね。
 ただ、この『異端の鳥』という作品で描かれる理不尽な悪意は、人間全般が持っているもの、とにかく醜悪なのは人間である、というスタンスで描かれていると思います。

 何しろ、この映画撮影自体が主役演じるペトル君への虐待なんじゃないかというほど、酷い場面のオンパレードなんですよ。いじめ・暴力は当たり前、少年の目前で行われる残虐行為や性行為、果ては男性からも女性からも性的虐待を受けるなど、枚挙に暇がないんですね。

 戦争映画であれば、これらの惨たらしい仕打ちが戦時中の極限状態によるものとして、憎む対象が戦争になると思うんですけど、今作ではあまり戦争中だからというよりも、人間が持つ本質的な醜さとして描いているのが特徴ですね。
 ホロコーストの非道を描いても、それはナチスドイツだからという悪役のせいに出来てしまうわけですけど、今作ではホロコーストの外側で、しかも戦火がそれほど及んでない地域の人々の酷さを描くことで、世界の醜さは悪だけによるものではないと伝えようとしているんだと思います。しかも、そんな人々もキリスト教を信仰しているというのも、皮肉というか、醜さに拍車をかけています。
 ナチスが収容所行きの列車から逃げ出す人々を虐殺する場面もありましたが、正直それまでの普通の生活場面でも酷いシーンが多すぎて、むしろ普通の事のように思えてしまうんですよね。作中の少年のように、当たり前のこととして傍観してしまいます。

 少年は、出会う大人たちから命を救われたり、一時養ってもらったりはするんですけど、いわゆる教育をするような行為は一切してもらえないんですよね。むしろ教育に悪い行為ばかりを少年に与えています。戦時中で余裕がないから労働力として使われるのは理解できますけど、とにかく少年のその後の人生について、誰も「責任」というものを負おうとしてくれないんですね。子どもとして扱ってもらえないことが、何よりの虐待のように思えました。

 唯一、少年が感銘を受けて「学び」を受け取る大人が、ソ連軍兵士というのも痛烈な皮肉ですよね。銃の扱い方や人の殺し方を教えることが、登場する大人たちの中では一番まともに見えてしまうという。もちろん、「やはり生き延びるために武器は必要」「暴力は必要悪」なんていうメッセージでは全くないと思うんですよ。生き延びるために殺人を覚えてしまうこと自体が、少年への虐待の一つになっているということなんだと思います。

 この少年一人が背負うにはあまりにも酷い展開だし、こんな目に遭ったら、普通死ぬか気が違ってしまいますよね。ちょっと社会問題よりは、エログロのような悪趣味ものに感じてしまう部分もありましたが、この酷い出来事の一つ一つは、戦時下に限らず現代世界でも起こっていることだと思うんですよね。
 異文化のものを線引きして排除したり、弱い人間から搾取したり、自分の欲求を満足させるために子どもの心と身体を踏みにじったりというのは、現在進行形で続いている醜さだと思います。
 つまりは、現在もどこかで被害を受けている数多の子どもの象徴として、この少年が描かれているんじゃないかと感じました。

 さすがにこれほどの酷い虐待場面を、3時間近い長尺で描くのを観続けるのはキツいものがありましたが、不思議と目を背ける気にならなかったんですね。それはこの主人公が、醜悪さをひたむきに見つめ続けていたせいかもしれません。この少年の眼を通すことによって、自分を含めた人間の持っている本質的な愚かさに気付けというメッセージが込められているように思えました。
 とにかく世界そのものに対する怒りに溢れていると思います。その怒りを持って創られた映画ではないでしょうか。

 全編モノクロで、劇伴音楽もほぼなく、美しさは欠片も見せない作品でしたが、カメラワークや事象を使った画面での比喩などの芸術性はめちゃめちゃレベル高いと思います。芸術作品というものは美しさを描くだけではないということの最たる作品だと思います。

 しかし、どうしてこういう観てて気分が悪くなる映画を観に行っているんでしょうね、僕は? 酷くてキツい内容と評判になると、何か使命的なものを感じて行かねばならないという心持ちをしてしまうんですよね。それに、ほんの少し悪趣味な気持ちも混ざっていますけど。そこに人間の本質的な醜さが、僕の中にも表れているということなのかもしれません。しっかりと自覚していかなければと思います。
 良い意味で、今年のワースト映画作品になるのかもしれません。


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