映画『聖なる犯罪者』感想 善悪ではかれない人間の本質
主人公の瞳がインパクト大。物語もなかなかの傑作でした。映画『聖なる犯罪者』感想です。
少年院からの仮釈放を控えた青年ダニエル(バルトシュ・ビィエレニア)。院での生活で出会った神父の教えにより、彼の心はキリスト教に魅せられていた。自身も神父への道を望むが、前科者にその任は許されないと窘められる。出所後は、田舎の製材所での仕事をあてがわれていたが、乗り気のしないダニエルは、街の教会へと足を向ける。そこで出会った少女マルタ(エリーザ・リチュムブル)に、自分は司祭だと冗談を言うと、新任の司祭と勘違いをされてしまう。
本来の司祭は、アルコール中毒の治療に入ったため、代役としてダニエルは司祭の役目を負うはめになるが、今まで聞いてきた神父の話、それに自分の考えを加えたダニエルの言葉は、街の人々に受け入れられていく。そんな中、ダニエルは1年前に起こった交通事故が、街の人々に深い傷を負わせていることに気づく…という物語。
ヤン・コマサ監督による、ポーランドとフランスで製作された映画作品。『パラサイト』と並んでアカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされるなど、各国の映画賞でも評価は高いそうです。詳細はわかりませんが、何でも実際にあった事件をベースに創られた物語のようです。
当然、キリスト教をテーマにする作品なわけですけど、今まで観てきた映画でもキリスト教を描く時、どうしてもその教えと真逆に位置するはずの、暴力・憎悪・差別感情といったものも描かれていたように思えます。それはとても皮肉な事だと思っていて、いかにキリストの教えが、現代に至っても人間達に届いていないかという事の証明になっていると、自分なんかは斜めの視点を持ってしまっているんですけど、今作もそういう類いの作品だったように感じました。
主人公ダニエルは、前科があるのはもちろん、違法薬物・姦淫など、あらゆる戒律を破っている人間として描かれています。キリスト教とは対極に位置する人物のように見えるんですけど、しっかりと心には信仰心が根付いているというキャラクターなんですよね。
それと対比されるのが街のいわゆる普通の人々なんですけど、表面上は戒律を守っているこの「普通の人々」も、裏では羽目を外していたり、心の中では憎しみを抱えていたりと、実はダニエルと何ら変わりのない人間であるということが描かれています。
それらの人々に、ダニエルの言葉が救いを与えるという、ある種の皮肉でありつつ、エンタメ的な痛快劇にもなっていると感じました。
善悪の境目を描くというような、映画通が好む人間ドラマ的な雰囲気のある今作ですが、実はちゃんとエンタメ的な要素を盛り込んでいると思うんですよね。
ダニエルの正体がいつ露見するかという緊迫感もある中で、さらには街の人々に影を落としている交通事故がどういう事件だったのかというサスペンス要素もしっかりあるので、物語を追うだけでもしっかりと引き込んでくれています。
このダニエルを演じたバルトシュ・ビィエレニアさん、物凄く印象的な眼をしていますよね。クラブで、クスリをキメてバッキバキの眼で踊るシーンが、序盤でのファーストインパクトであり、しかもラストシーンに繋がるという仕掛けも見事でした。
勧善懲悪のような善悪がはっきりとした物語であれば、このダニエルの瞳の描かれ方はきっぱりと悪人なんですよね。名作『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソンのような、犯罪者だけど本質的な根っこの部分は善人というキャラにも近いものがあるんですけど、今作のダニエルの方がこの暴力的な瞳があるので、本質的な部分そのもので善悪入り混じっている複雑な人間性に思えました。
以下は、ネタバレ気味の感想
そのダニエルが、これほどまでに街の人々の心を救おうと躍起になるのは、ただシンプルに司祭服を纏ったからという風に思えました。司祭としての外側が内面を作り変えたというか、あの服を着ている時だけ、ダニエルにキリストが降臨していたように感じたんですよね。
だから、終盤で服を脱ぎ捨ててタトゥーだらけの身体を曝すシーンは、ダニエルが神の使いから本来の人間に戻る儀式だったのかと思います。
その後、街に住むとある人物たちの間で、ほんの微かに和解を匂わせる場面がありますが、その和解をもたらすための降臨だったのかもしれません。あれほど人の醜さが繰り広げられて、得るものがそれだけというのも、痛烈な皮肉にも感じられますが。
ただ、この物語はそこで結末とせず、きっちりと再び暴力に墜ちた人間ダニエルを描くんですよね。「祈りを続けなければ、いともたやすく信仰は失われる」という劇中の教えを体現させているんだと思います。監督は、再びバッキバキの眼となったダニエルの姿を、良いものとして描いてはいないと思いますが、僕にはこの姿が、キリスト教の教えに対する反論のようにも感じられるんですよね。「そんなに四六時中祈ってられるかよ」というような想いに見えました。
そういう意味でいうと、この作品は、ダニエルの信仰心が生まれて消えていく物語ではなく、ダニエルが再び野性的で動物としての人間性を取り戻す物語だったように思えるんですよね。個人的な解釈ですけど。