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26歳、恋をする

書くことを続けるために、毎日、原稿用紙7枚分の文章を書こうと決めた。題して、「2800」第4弾。
サムネの画像は、夫の日課、日めくりカレンダーにイラストを書いたものから日々拝借。

「気になる人がいる」
女友達にそう打ち明けられる瞬間が私は好き。一緒にどきどきした気持ちになって、聞きたいことが矢継ぎ早に出てきてしまって、何も言えなくなってしまう。そんなとき、「写真見せて!」とすぐに言える友達が眩しくて、頭のなかでどんな人だろうと作り上げていた相手像はあっという間にその写真のなかに収束していく。

気になる、という段階で友達に話すと、それは瞬く間に恋に変わってしまうことを私は知っていて、きっとそう打ち明けてきた友達はすでにその人に恋をしているんだろうなと思った。

私は学生の頃、自然に恋をするということがなかなかできなくて、だから「気になる」と打ち明ければ好きになる、という法則を悪用していた。男子のいいな、と思う点を見つけたら友達に、「あの人のああいうところ好きだわ」なんて話して、「みなみ、恋してんの?」なんてそそのかされて、これが恋か、そうだ絶対、なんて恋してる自分をつくりあげようとした。何度別れても、「好きな人がいる」と自然に好きな人を見つけられる友達が羨ましくて、私はいつもそういう子になりたかった。私にとって恋とは、恋をしようと思わなければ、その気持ちが恋だと思い込まなければ、いつまでも始まらないものだった。

恋なんて思い込みですよね。
大学時代、今の夫と出会ったとき、「好きな人とかいないの?」と聞かれ、私はそう答えていた。全然かわいくない、と今でも思う。あまりにも唐突な答えに、当時夫はそんな答えが返ってくると思わずびっくりして、たくさん話を聞いてくれた。それがふたりの恋の始まりだったなんて、たしかに、ドラマみたいだなと思う。

好きってなんだろうなんて哲学的なことを考えても、自分のなかで答えなんて出ないだろうから、大学生のとき、「恋ってなんだよ」なんて迷宮入りしていた自分を拾ってくれた夫に出会ったことは、私にとって大変な幸運に恵まれたのかもしれなかった。

中学時代からの付き合いである女友達たちと、当時の恋愛を振り返って、私たちは気になる人に色々散々なあだ名をつけてきたこと、友達の元カレを好きになったりしていたこと、そもそもあの少ない人数のなかでよく恋愛してたよ、なんて大変失礼なことを言いながら、ひとしきり笑った。当時は女子にありがちな「誰がいちばんに結婚するんだろうね」といった話も、自分の人生なんて全く想像できなくて、自分や友達がこの先どんな事に悩むのか、結婚とはそもそもどういう事なのか、分からないままに、分からないからこそ、笑い合えたのかもしれなかった。いったい結婚とはなんなのか、結婚した今でも答えは出ていない。好きとはなんなのかなんて、なおのことよくわからない。「分かる」ようなものではないのだと、それが分かったことなのかもしれない。

「ねえ、これ見て」
スマホから写真を見つけだし、意識を出会った13年前に引き戻す。今より眉毛も太く、海苔みたいに真っ直ぐな髪の毛をした私たちはみな険しい顔をしていて、きっとみんな今と変わらず何かと戦っていた。13年後のいま、その当時を思い出して、腹を抱えて笑っている事実を、当時の自分たちは信じられないくらいに真剣に悩み、一日一日が勝負で、靴下にはソックタッチを塗って、勇気を出して気になる男子とシーブリーズのキャップを交換し、メールの絵文字を暇さえあればダウンロードした。

同じ場所にいた私たちが、それぞれの生活に分岐して今がある。その今をときどき比べてしまって、家に帰り布団のなかで眠れなくなった。うんうん悩んで、いまの自分の情けなさ、友達のふとした何気ない発言、持っている物、そういうものにいちいち悩んでいるこの今を、「必死だなー」と笑い合える日が来るだろうか。いまの気持ちを打ち明けたら、「それ恋だよ」なんて言って、笑って、「応援するよ」と言ってくれるだろうか。もしかして私は誰よりも今、自分の生活に、生きることに、恋をしているのかもしれない。毎日悩んで、よりいいものにしたくて、報われるのか報われないのか分からなくて、つらくて、さっさと終わりにしてしまいたくて、でもこの瞬間がいちばん楽しいのも分かっていて、それでも時々逃げ出したくなる、あの気持ち。あれ、なんで私知っているんだろう、この気持ち。恋だと思っていなかったあの気持ちは、ほんとはほんとうに皆んなとおんなじように純粋な恋だったのかな。

「今がいちばん楽しいでしょー」
久々の恋バナにみんなでにっこりして、ちょっと羨ましくて、きゅんとなる。
ほんとは知っているんだ、恋をしていることが楽しいっていうこと、振り返ればあの瞬間が自分にとって一番幸せだったってことを。私、いつかこの日々を笑える日がくるのだろうか、なに真剣に悩んでたんだろうねー、笑えるよね、って言い合えるだろうか。「憂鬱」なんてあだ名つけて、友達の日々を羨ましがって、いやそんな少ない選択肢の中でうんうん悩むなよーなんて笑い飛ばして、まあ色々あったけど楽しかったよね、あの時って。

何度自分の人生に「もう諦めた」って別れを告げても、「気になっている夢があるんだ」って、今度こそは話してもいいんじゃないか、好きになったかもって、もっと生きたいって、素直に思ってもいいんじゃないかって、過去の恋愛が教えてくれてるんじゃないかと思う。

「今年27歳なんて信じられる?」
「全然。気持ちはリアルに23歳」

あっという間に笑える日が来てしまうなら、今は少しだけ、恋をしていようと思う。

「会うときに、一番かわいい自分でいたいじゃん」
「あんた今日も充分かわいいって」
「そういうことじゃないんだよー」
「じゃあみんなで服見にいくかー」
「変な服選ばないでよ」
「ばれた?」

どう転んだって、この人たちなら笑ってくれる。
「あのときめっちゃ悩んでたよねー」
そうやって笑ってくれるだろう。

今、マクドナルドでこの原稿を書いている。
中学生の頃、この友達たちと学校が特別休暇のときにマクドナルドで集まって話していたことがある。私たちは平日巡回している補導員たちに囲まれて、怒られそうになった。とっさに違う学校の名前を告げて、足早に逃げて、ゲームセンターのプリクラに駆け込んだ。ドキドキしながら出口にいくと、またさっきの補導員と目が合って、走って逃げた。思い返せば、私たちに逃げる理由なんて何もないのに、みんなで「やばい!」と思っていた。私たちの事情をちゃんと説明すれば、逃げ回る必要なんてなかったのに、説明する能力を持ち合わせていなかった私たちは逃げることを選んだのだ。平日にマクドナルドに行くと、あの時のように、少しだけドキドキしてしまう。もう補導員に囲まれる、なんてことはないから、確かにあの頃の私たちはずっと若く、今は少しだけ大人になったのかもしれない。

「人生の半分はあんた達といるから、もう怖いもんなしだわ」

そう言って、昔の写真を黒歴史と言いながら笑い合った昨日の夜が、とても楽しくて、いまは大変満足した気持ち。忘れたくないから今日も書いたよ。2859字。

1週間前に朝マックに行っていたことが分かる写真。
朝マック、すでに行きたいー

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深瀬みなみ
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