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何が起きても被害者意識を捨て去ることが幸せへの鍵🔑

わたしは仏在住15年になるフリージャーナリスト。
とは言え、まだまだ駆け出しの記者で2024年末、奇跡的なご縁があって『International federation of Journalists Japan freelance union』の新会員に加えていただいたばかりの新人だ。

感謝と共に今、記者証を手に出来て思うことは、いままでの紆余曲折な経験の意味。
そして、目の前の事象に振り回された被害者意識が私が私自身を不幸にしていた原因だったこと。

振り返ると10代…悲惨でした…親に反抗し、いわゆる不良少女。しばらくお寺(更生施設)に入れられたこともありました(笑)。
20代前半で結婚をしましたが、後に未亡人となります。(これは非常にデリケートで複雑なお話ですのでここでは詳しい内容を控えます)
覚えていないくらい様々な出来事があり生きづらい20代、悩み苦しみもがくほど全く思う通りにはいきませんでした。

30代で代官山に飲食店を開店、地元の方々、代官山の町づくりNPO法人の方々に可愛がっていただき、TVや雑誌の取材を受けて楽しい数年間を過ごしていたのも束の間、家賃の高騰で続けることが難しくなり閉店を決意。
お店の入り口に“ご自由にお持ちください”と書き箱に食器類を入れた翌朝、エントランスに飾っていた植木や看板まで思い出の品を持っていかれ、人間のあさましさにショックを受けたのを今でも鮮明に覚えている。

良くして下さった代官山町づくりNPO法人事務所に少しお世話になったあと、港区の法律事務所で働きはじめる。法律相談窓口の仕事は順調で、生涯最高額のお給料をいただけたおかげで事務所近くの港区にアパートを借り徒歩のストレスフリー通勤だったが、数年後事務所の事業縮小に伴いリストラに。
クライアントのお悩みを聞き過ぎたせいか、朝はふらふらで起き上がれないメニエール病の症状が出た為、病院に行くと「良い機会だから行きたい場所に行って好きなことをやりなさい」と医師から言われたのをきっかけに、渡仏。
ビザも無い状態でしたから、とりあえず90日を目処に何の計画もなく期待だけを胸に飛び立った。

しかし期待とは裏腹にヨーロッパの先進国が想像以上にサバイバルだと実感する事件が次々と起きたのです・・・

地下鉄はスリだらけ、空港行きのRER(パリ近郊公共鉄道)はドアが開いた瞬間に強盗が乗り込み乗客全員の財布とiPhoneを奪っていき、道端でぶつかって来たカップルには一瞬で財布をスラれたこともあった。
極め付けは、Covid 19のロックダウンがやっと明けた2021年末ランチを食べに行くため1時間ほど家を離れたすきに空き巣が入り、金目の物(時計、宝石、高級革製品)を全て奪われ、ドアは破壊され天窓も割れていた。
1年後アパートの大家さんは私への告知なく部屋を売却、退去を余儀なくさせられたのだった。
翌年、私をいつも気遣って助けてくれた親友と最愛の父を亡くし、仕事も無くし、絶望から立ち直れないまま不幸を背負っていた私。
当然のように私は不運だと思い込んでいた・・・

だが起きた事象の渦の中に入り込み不運だと判断したのは私自身、そんな被害者意識が苦しみを作り続けていたのだと知り、過去は変えられないけど、まだ決まっていない未来は変えられると思った私は、意識を変えた。

私は不運な被害者などではない、むしろ幸運なのではないだろうか?

俯瞰してみると、とにもかくにも元気で生きていて、好きな国に住んでいる。
ひとり精神ズタボロで外国暮らし、売れないクリエイターを細々と続けていた私を信じてチャンスを下さった恩人の仲間や先輩方々との出逢い。
良いことも沢山あるのに、ついつい悪い事(のようにみえる事象)にフォーカスしてしまうのは、人間の性(サガ)なのだろう。

人間のサガはある意味正常な反応だが、被害者意識だけは百害あって一利なし。
やっかいな被害者意識というものは行き過ぎると妄想性パーソナリティ障害とも言われほんの少しの出来事から曲解して、人から攻撃される、利用されるなどといった不信感や疑念を抱き被害者になりきる病的なパーソナリティー障害で、対人関係を築けず、それこそ人生を台無しにしてしまう。

そうならないためにも出来事に振り回されるべきではないと私は思う。
何が起きても流れに逆らわず、俯瞰して身を任せてみる。
そうしているうちに、目の前の扉がひとつ開き、また次の扉が開き、前に進めるのではないだろうか。

何もかも無駄に思えても

全てが上手く行かないように見えても

理不尽な世界に見えても

悩まなくて大丈夫。

一見悪く見える事象が起きて、そっちじゃないよと教えてくれる出来事は、必ず次なる扉の鍵🔑を持ってやってくるのだから。

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