人とは

いろいろあって今週は急に京都に来た。
懐かしい人や、久しぶりの人に会っていろいろ話した中で思ったことを書き留めておこう。

私にとってちちはイマジナリーな存在でしかなかったのではないか。
家で父の品々を見ていると、私は本当に父のことは何も知らないんだなぁと思う。
多分今は彼女が二人いること、東京にいた時はずっと長く付き合っていた人がいたということ。
母とは全く連絡を取っていないこと。

彼にとって私はどんな存在なんだろう、娘という属性で、今は誕生日くらいしかメッセージを交わさない。経済的なつながりも、心象的なつながりもほとんどない。ただ血がつながっているだけ。
続柄が近いだけで、理解しようとしなければ、その人のことなんて何も、わからないんだなぁ。心の距離と続柄は本当に関係ないのだなぁと思う。
続柄の人との関係にどうしても囚われてしまうけれど、本当にそれって必要なのかな?とも思う。ただ自分が一番理解したい、されたいと思っているのは誰なのだろうか?などは考えたりする。

人は一人では生きていけない。けど、相手のすべてを理解することもできない。
だからこそ、少しでも理解したいと思うのかもしれない。
すべてを理解したなどと思うことは傲慢でしかない。そんなことは不可能である。その上で長く接しているとその人が大切にしていることが少しだけ見えたりして、その少しに共感したら、もっと知りたいと思ってしまう。

今年知り合った若い友達はすごく器用な子。彼とのパートナー関係と自分の夢を叶えることの間で次の一手を伺っている。
10年来のお友達。とっても共感力のある人。自分の次のステップを模索している。
親族のひとり。家族が独り立ちして、あらたなつながりを求めている。
近京の職種も近い子。自分の夢の叶え方で考えあぐねている。
先輩。とっても素敵な人。与えることを惜しまない人。
人に好かれたい人。心がさみしい人。愛情を求めている人。
家族との距離感が分からなくなってしまう人。
沢山の人と関わりすぎると関わった人を大切に出来なくて困ってしまうのが私。もう少しそこをうまくできるようになりたい。
みんないろんな考えを心に秘めて生きている。

こころがわぁぁぁぁってなった時の対処法として人に話すことも有効ではあるが、こうやってだれのためでもない自分の心をしずめるための言葉を自分から外に出すことで少しでも楽になることはあるのではないかと思うそういった実験を行っていきたいのかもしれない。人の心とはということを考えたりするそんな土日。

ラジオで、人とのコミュニケーションでいちばん大切なのは相手が気持ちよく話せる事って言ってた。それめっちゃわかる気がする。自分もとりあえず誰かに話しを聞いてほしい時に、思ったように話せなかった経験もたくさんあるから。

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