僕らの時代
これからを生きる僕らが生きる時代とはどういう時代か?
日本は核融合発電によりエネルギー輸入国から技術を通じてエネルギーを輸出する国へと変わるかも。AIの進化は間違いなく地球上すべての人の生活を変えるだろう。地球規模で進行する少子高齢化…。これらの変化の中で、僕らの「仕事」というものがどう変わるのかを考えてみる。
AIとAGIの登場がもたらすもの
AIの進化は目覚ましく、今やAGI(人工汎用知能)という目標に近づきつつある。AGIとは、AIの知性が人類全体の知性を2~3倍も上回る存在だ。もしAGIが実現すれば、私たちの生活や仕事の在り方はどうなるだろうか。
例えば、かつてはAIと人間が対等に競い合っていた将棋の世界も、今ではAIが圧倒的に強くなり、将棋の絶対的な強さを競う戦いから「人間界ナンバーワン決定戦」という相対的な強さを競う戦いへと意味合いが変わった。将棋という娯楽の世界ではそれほど大きな変化ではないかもしれないが、これがすべての産業で起きたらどうなるだろうか?
仕事の「客観的価値」と「主観的価値」
仕事には「客観的価値」と「主観的価値」があると考える。
客観的価値:社会にとっての付加価値を生み出す仕事。農業や工業など、人々の生活を支えるために必要な生産活動が含まれる。これらの活動は、社会全体にとって最も合理的な手段で行われることが求められる。
主観的価値:仕事を通じて得られるやりがいや自己の存在意義など。これは一見すると自己満足的な要素が強いものだが、個人にとっては重要な意味を持つ。
産業革命以前、人々の仕事は主に客観的価値を提供するものだったが、同時に村や地域のつながりから主観的価値(自己の存在価値ともいえる?)を得ていた。しかし、産業革命後の都市化や工場労働の普及により、そうしたつながりが薄れ、主観的な価値を仕事から得ようとする傾向が強待ったといえよう。
AGI時代の到来と「暇」との向き合い
やがてAGIが実現すると、客観的な価値を生み出す仕事はAIに任せることが最も合理的になるだろう。機械化が進んだときと同様に、私たちは高まった生産性を享受する一方で、これまで自分たちが担っていた仕事をAIに「奪われる」と感じるかもしれない。
これは単に労働からの解放を意味するだけではない。これまで私たちにやりがいや意義を感じさせてくれた「主観的な価値」も、同時に失われる可能性がある。この時、人類は歴史上初めて、何もすることがない「暇」と本気で向き合うことを強いられるかもしれない。
「暇」をどう捉えるか?
これまで「休みがほしい」「暇がほしい」と言っていた労働者の皆さん、もしそれが現実になったら、何をしますか?お金も時間もある状況で、私たちは何を目指し、どんな日々を送るんだろうか?
これまで無駄だと思っていた「暇」というものが、今度はむしろ押し付けられるような時代が訪れるかもしれない。この新しい時代に、私たちは何を見出すのだろうか。僕らの時代とはまさにこの「暇」の価値に向き合う時代なのかもしれない。