目が覚めると1998年の自分がいた
早朝、日が昇る前に目が覚めた。
夜が薄くなって青白い空気が部屋を満たし、外の世界では地球を包んだ分厚い雲が静かに雨を降らせていた。
ベッドに横になったまま、同じ部屋の空間に1998年の自分の姿を見た気がした。
正確には、大学4年生だった当時暮らしていたアパートの部屋で眠る自分の姿と、2021年の自分が眠るベッドが時空を超えて繋がったような感覚があったのだ。
1998年当時、大学近くのアパートに暮らしていた。
部屋にはナチュラル・ホワイトやアイボリーのベッドリネンを揃え、カーテンも同じく優しい白だった。
遮光カーテンというのは好きではなかった。
朝、外が明るいのに部屋が暗いというのがとても嫌なのだ。だから、目いっぱい光が入る白いカーテンが良かったのだ。
そうすると、明け方の部屋はとても青白くて光がうつくしい。
今でもこれは変わっていなくて、わたしはベッドリネンをナチュラル・ホワイトで揃え、部屋のカーテンは光を明るく通す。
外は優しい雨。分厚い雨雲。
今日と同じような空気感の日が、あの頃にもあったのかもしれない。
大学生だったわたしは、熱い想いを持て余していた。
どこに向けていいのかわからず、ワープロで文章をたくさん書き続けていたし、小説も書いていた。
文芸部にも入って同人誌を作っていたし、ボランティアサークルも入った。
高校生の頃から福祉に関心があり、大学3年生の終わりに旅行会社の企画するスタディツアーでスウェーデンとデンマークも行った。
とにかく、時間を惜しんであれもこれも活動をしたし旅行もした。
直感で魅かれたアフリカ研究のゼミに入り、ぼんやりと南アフリカに関心があった。
興味関心ごとへの熱意が強すぎて、逆に大学での勉強はちょっと不真面目。でも、福祉の勉強をしたくてちょうどこの年、ゼミの勉強そっちのけで福祉施設を見に行った。それなのに、旅先の長崎の古本屋で運命的に出会ったのがアフリカ文学の本だ。
やがて、南アフリカの作家ベッシー・ヘッドとの出会いに行き着く。
初めて読んだベッシー・ヘッドの文章は正確にどれだったかもう思い出せないのだけれど、その瞬間に「これは、わたしが書いた文章か?」と思ったことをはっきり覚えている。
それが1997年だ。
その後わたしは、卒業論文にベッシー・ヘッドのことを書くと決めた。
ただし、いわゆるテキスト研究としての文学研究には興味がなく、社会科学的側面からの作家論について書いてみたかった。
そして、しばらくして「わたしはボツワナへ行く」とゼミの先生に熱く宣言した。
作家ベッシー・ヘッドとの出会いはわたしの人生を変えた。
彼女が書く言葉の中に、いつも強烈な力を感じた。遠い国のことなのに直接自分の心に語りかけるストレートな魔法みたいなエネルギーに満ち溢れているのだ。
大学4年生の1998年には、ボツワナと南アフリカに2ヶ月ほど行くことが実現した。
その後、ITベンチャーに勤めたあと2000年に英国エディンバラ大学アフリカ研究センターの修士課程に入り、さらに作家ベッシー・ヘッドについての論文を書いた。これも文学研究ではない。
その頃から、ベッシー・ヘッドの素晴らしさを日本にもっと伝えたくて、自分自身の言葉で翻訳をしたいと願い始めていた。
そして、20年余りが過ぎた今、わたしはこうしてインターネットで発信をしているし、翻訳の出版に向けて毎日仕事の合間に作業をしている。読み返すたびに違う感触をもたらすベッシーの言葉たちは限りなく魅力的だ。いつだってフレッシュに感動する。
ベッシー・ヘッドに関しては、やるべきことがいくらでもあるので、これはまさに自分にとってのライフワークだ。
そんな現在に至るまでの最初の大切な一歩を、大学生の自分は踏み出してくれたんだなと。
今、この文章を書いていて気づいたけれど、ボツワナに行ったのはちょうど9月の今頃だ。
1998年のあの頃だ。
ベッドから起き上がって、1998年の自分を見つめた。
きっと、アフリカに行く直前の自分だ。
身体を右下にして布団にくるまり、白い部屋でぐっすり眠っている21歳の自分。
このアフリカへの旅がわたしを大きく変えたのは間違いないし、その後、ずっとアフリカとつながる道を歩んでいる。
辛いこと苦しいことたくさんあったけれど、今が最高に楽しくてたまらないし自分の人生に本当に感謝している。
それも、この時の自分が作ってくれた道でもあるんだよな。
よく頑張ったよね、と言いながら21歳の自分を抱きしめてあげたい気持ちになった。
彼女は、起きることもなくアパートのベッドでぐっすり眠っていた。
きっと、これからアフリカへ行くのだろう。
ベッシー・ヘッドに会いに。
ありがとうね。
心の中で思いながら、そんなあの子と時空を超えて繋がったままでいたくて、青白い明け方の空気の中、同じ姿勢で布団にくるまり二度寝した。