南アフリカへ渡った明治生まれの曽祖父、消えゆく物語
今、一冊の本にまとめるために文章を書いている。
南アフリカとの関わりの中で、曽祖父についての記述があるのだが、その件についてわたしが持っている情報は非常に限られている。
わたしの母方の曽祖父は明治生まれ。銀行員から繊維関係の貿易業を手掛けるなどビジネスマンで、戦時中は家族(ティーンエイジャーだったわたしの祖母と幼い兄弟たち)とともに中国にいた。
終戦の混乱の中、中国から引き上げてきた武勇伝は、祖母からよく聴かされていた。
その祖母は終戦のとき19歳。幼い兄弟たちを守る立場だったのだと思う。
祖母の話によると、わたしの曽祖父(祖母の父)は1930年代におそらく大阪商船のアフリカ航路で南アフリカはケープタウンに渡っている。羊毛の輸入のためだと考えられる。
曽祖父と一家の古い家族写真があるのだが、そこに写っている曽祖父の姿しかわたしは知らない。
まだ若いわたしの祖母は、手作りの紫のワンピースに、曽祖父が南アフリカから持ち帰ったと考えられるンデベレビーズと見られる幾何学模様のカラフルなベルトをしているのだ。(もちろん白黒写真なので「カラフル」は祖母の記憶)
わたしがこの話を知ったのは、大学生でアフリカに出会い、アフリカ研究の世界に入り、南アフリカへ旅をした何年も後のことだ。
もちろん1950年代に亡くなったこの曽祖父には会ったことがないが、昔からずっと気になっている。
明治生まれだけれど、どこで習ったのか英語ができて、商船大学を卒業して曽祖母とは恋愛結婚だったという曽祖父。
わたしと南アフリカを繋ぐひとつの「ご縁」だ。
娘であるわたしの祖母は95歳で、おそらく昔の話もおぼつかない。
それでもたとえ断片的であったとしても、昔の話をわたしは聴いておきたいと願っている。
わたしの母に聴いてみても、何せ曽祖父は母がまだ小学生の頃に亡くなっているのだから、母の記憶も少ない。
何らかの形で書き留めたり記録に残したりしない限り、物語は失われる。
そのことがわたしは寂しくてならない。
だから、たとえほんの少しだけだとしても、かけらを集めて形として文に編み込んでいきたいと願う。
会ったことはない曽祖父だけれど、わたしは時々、ひいじいちゃん、わたしもアフリカに行ってるよ!と心の中で語りかけている。
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