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"いい展示"って、なんだろう

いい展示ってなんだろう、と最近よく考える。
自分の協力隊としての職種は環境教育だが、派遣先は野生動物保護教育センターだ。そこで野生動物の紹介(例えば絶滅危惧種とか)×環境保全をテーマに、来園する地元の学生や家族連れ、外国人観光客に向けた様々な展示物を作成してほしいと伺っている。

派遣が近づくにあたり、展示の勉強をするために全国行ける限りの動物園や水族館を回り、動物や魚の勉強もしながら展示物にも目を向けた。小さい頃からもともと展示物は読み込むタイプだった。勉強好きだったのもあるし、得た知識が身につくのが好きだったのかもしれない。大人になって改めて展示と向き合った時、受け手側ではなく与える側として、今までにない視点にいくつか気づくことができた。

自分が作る展示のイメージとしてはおそらくこんな感じ?


一番大きかった気づきは、「展示物を見る人なんてほとんどいない」ということだった。
私は基本的に全ての展示物を見るので、動物園に行くときは回るのに丸1日かかることもざらである。ただ、平均動物園・水族館滞在時間を見たり人に話を聞いてみる限り、みんな数時間しか動物園や水族館にいないのである。私からすると信じられない短さなのだが、なぜかというとまぁ、みんな展示物をほとんど見ないからだろう。
動物園水族館はデートや家族団欒の場。
悪いことじゃない。ただ、作り手側に立った時少しの物足りなさもある。
自分が展示物を見ている後ろで、何十人もの人がただただ通り過ぎていく。
そこにはとても面白い情報が、大切な情報が書かれているというのに。
もしかしたらそれが明日の誰かの生活やビジネスのヒントになるかもしれないのに。

こんなに凝っておもしろい展示物が見向きもされないなんて、と私は悔しくもなり、寂しくもあり、「この生き物ってなんでこうなんだろうね〜」とか話しているカップルや家族を見ると、(いやいやそこに書いてありますがな…)なんてちょっと不貞腐た気持ちにもなることもしばしばだった。

個人的に面白いなと思った展示。
人の行動により利益を受ける生き物、不利益を受ける生き物。
変に偏った意見じゃないのが良いなと思った


とはいえ、果たしてそれは受け取り手側だけの責任なのだろうか?
受け手側に興味を持ってもらえるような、食いついてもらえるような展示物を作ることができていない、という点でそれはクリエイター側の責任でもあるのではないだろうか。

協力隊活動でもよく言われることだが、大切なのは「何を伝えたか」ではなく『何がどう伝わったか』。伝えるだけで、つまり展示物を作るだけで良しとするのはただの自己満足なのかもしれない。展示物は「見られ」て、「誰かに何かを与える」ことで初めて意味を成す。

子供が興味を持てば親も興味を持つ。カップルのどちらかが興味を持てばもう一人も興味を持つ。学生の一人が興味を持てば友達たちが興味を持つ。
全員ではなくてもいい、でも確実に人を引き寄せるような展示物。
そして引き寄せるだけではなくてその人たちに何かしらの体験・経験・知識を植え付ける展示物。
それこそが私の目指す、「いい展示物」なのかもしれないと思う。
興味を抱く閾値が少し低くて済むような。「おもしろい」が、「もっと知りたい」に化学変化するような。
もっと動物や環境のことを身近に感じてもらえるような。

じゃあ具体的にそれってどういう展示物なの、と聞かれたら答えるのはすごく難しい。今まで自分自身が見て体験したことと他の人たちの様子を見ていて思うに、以下のような特徴を持つ展示物が良いのではと考えている。


ゾウの1日の食事量と排泄量が一目でわかる
完全に本物、とはいかないがゾウの質感を体験できる


①まず色なり大きさなり、目を引くものがある。(そもそも視界に入らなければ意味がない)
②簡単な単語で少ない文章、かつインパクトがある内容(子供は長い文章や難しい単語なんて理解できない)
③読むだけでなく、五感を刺激する(聴く、香る、触れる)、1人ではなく2人でできるなど
④何かや自分と繋がるものがある(繋がりを見つけられた時、それは短期記憶でなく長期記憶になる)

ただこれは、国民性や性別、年齢によっても変化するものかもしれない。日本とウガンダでは感受性も異なるかもしれないし、自分が伝えたいことと周りの人のニーズを照らし合わせてただただトライ&エラーをするのみなのか、とも思う。
帰国するとき、自分が納得でき、かつそれが多くの人に注目してもらえて、センター内に長くずっと残るようなものが作れたら、それってすごく幸せなんじゃないかと今は思う。
自分自身も勉強しながらウガンダのこと、環境のこと、帰国後のこと…
少しずつ少しずつ考えていきたい。



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