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「ムズング」ですが何か?

「ムズング」。
日本では聞き慣れない言葉だ。
ムズングという言葉は現地の人が
白人、外国人(アフリカ人ではない)を表すときに使われる。私たちがいわゆる「黒人」「白人」「外国人」と使うように、この言葉自体には特に悪い意味は含まれていない。

しかし任地で生活していると、
この「ムズング」という言葉にたびたび
違和感や不快感を感じることがある。
この感情の正体はなんなのだろう。

先ほども述べたように、
この言葉自体が悪いものだと私は思っていない。
人間というものは
色々なことを分類したがるタチだし、
黒人と黒人じゃない人とではやはりパッと見での違いが大きいから区別する言葉があるのはわかるのだ。
思うに、あの黒い感情の正体は「言われ方」なんだと思う。

想像してみてほしい。
日本にはもちろん日本人が多くいて、
外国人は増えてきたとは言いつつやはり少数派だ。
外国人を見かけると少なからず緊張したり
違和感を感じたりはするだろう。
だがしかし、
例えば街中で黒人の人を見かけた時に、
「ねぇみて、あそこに黒人がいる」
「アフリカ人だ」「アフリカ人が歩いてるよ」
などとヒソヒソと話したり、
相手に聞こえるように話したりするだろうか?
あるいは、アフリカ人の話し方を真似て自分でも意味が分からず話しかけたり、
バカにしたように笑ったりするだろうか。
一部の人はするかもしれない。
が、一般常識がある人からしたら
それが如何に品がなく相手に失礼なことか想像がつくのではないだろうか。
今や世の中は多様性、国際社会の世界である。
別に外国人が日本にいようがなんらおかしいことはないし、例え国際情勢的には仲が悪くとも個人間(プライベート)な人間関係は本来それに左右されないはずである(日中韓など)。

だがウガンダで生活していると、
ことあるごとく
「ムズング」「ヘイ、チャイナ」「コリアン」「チェンチャンチョン(意味のわからない、けど多分中国語を馬鹿にして適当にそれっぽいこと言ってる)」
とふっかけられる。
そして、ムズングという言葉は外国人一帯を指すはずなのに、どういうわけか、バカにしてくるのはアジア人に対してだけのように感じるのである。

断っておくが、配属先の同僚で私を馬鹿にしてくる人はさすがにいない。
むしろ日本から遥々きてくれてありがとうとか、
自分たちのために動いて仕事をしてくれてありがとうとか言ってくれる。
私が言われるのは街中や配属先に遊びに来る一般観光客、大人もそうだが特に子供たちだ。

今まで、以下のようなケースがあった。
・親が子供に「ほら、ムズングがいるよ手ふってごらん」
・幼稚園くらいの子供たちがきたときに「ムズング、ムズング」と仕切りに呼び掛けられ手や体をベタベタ触られる
・学校の生徒(高校生くらい)「見て、ムズングよ」「チャイニーズがいる」とこちらにも聞こえる声で話される
・ヘイ、チャイナ、チャンチョン○×…(明らかにバカにしてくる感じ)
・チャイナとだけ言った後、身内同士で現地語で何かを話される。現地語だから私も何を言ってるのか、分からない。

ムズングやチャイニーズという言葉が純粋な気持ちで発された言葉なのか、
悪意やバカにしたりからかった意味を込めて使われているのかは、なんとなくわかる。

純粋にムズングに対する興味から発された言葉であれば、私は対応するようにしている。特に幼稚園児程度の年齢であれば本当にムズングがいるから「ムズング」と言っているだけなのだろう。
最近は、「私の名前はムズングじゃなくてユウキだよ」と伝えるようにしている。
あなたはBlackなの?Africanなの?違うでしょ。
あなたにはあなたの名前があるでしょ?
そういうと、結構みんなすんなりと、あ、そっかという感じになってくれる。それ以降はムズングとあまり呼ばなくなる。

しかし明確な悪意やバカにする意図があると見受けられた場合、
どうしたらいいのか私はわからない。
最初はこういうアジア系って珍しいし仕方ないよなー、と思ってたし
こっちの人が中国人と韓国人と日本人を見分けることが難しいのは分かるし
むしろムズングであることで目立てるならそれを利用して何かできるしアドバンテージにできるかなとも思っていた。
ディズニーのキャストさんになったつもりで、にこやかに対応してやろうかと思っていたのだ。
でも、最近は我慢ができないこともある。

私個人とのトラブルや揉め事があり、
その結果私個人への印象や評価が悪くなってそのような対応をされることは良いと思っている。

でも、私のようなアジア(日本)人が、
物珍しいから、面白いから、知らないから、周りの人がそうしているから---
そういう無意識的な、固定観念のような。
自分でその人がどういう人なのかちゃんと向き合って知ろうともしないのに、私がこうと決めつけてくること。
そして勝手に馬鹿にしてくること。
それが私には違和感であり不快感を感じるのだと思う。
前述したが私の名前はユウキであってムズングでもチャイナでもコリアンでもない。
Are you chinese?とか言われるならまだいいのかもしれないが、
私は常日頃英語で、時に現地語で話しているのにわざわざ中国語で馬鹿にされる意味がわからない。

都会から来た人たちを白い目でみたり、勝手にあれこれ言って噂を立てる、日本の田舎みたいな感じだろうか。
きっと元々のコミュニティが強いからこそ、国際社会から少し遅れまだ実際にそういう現場で生きていないからこそ生じるものなのだろうと思う。
きつい言葉で言ってしまえば、時代遅れ。
どんなに世界が広くいろんな人が存在し生きているのか、知らないのだろう。
知ろうともしないのかもしれない。
或いは大統領がこうと言ったらそれを疑わない、
国柄国民柄の影響か。

ある程度大人になり仕事をするような、
あるいは大学生になる年齢になれば、
外国人との関わりも出てくるからか、教養がある人たちはそういう人のことをバカにすることはあまりしなくなる。
「どこから来たの?」「何しているの?」
あるいは、純粋な、バカにしない「あなた、中国人?」というような対応に変わる。
変わるのだが….

たまに。
堪えきれなくて皮肉や暴言で返してしまったり、
手が出そうになってしまうこともある。

もちろん喧嘩をしたくてここまで遥々来たわけじゃない。日本の印象を落としたり、日本とウガンダの仲が悪くなるようなことをしてはいけないとは思っている。
ただーーー。
あまりに言われっぱなしで、バカにされて
それを放置してこの私の胸に渦巻く黒い感情をうまく処理することが
大人の対応で良いことなのだろうか?
相手が私より年下のとき。
このまま、その感性のまま、大人になんてなってほしくない。

私が村やコミュニティの中に住んでいる状況で同じことが起こった時、対応の仕方は多少変わるだろうと思う。
なぜなら2年間かけて彼らと共に生活し、仕事をし、徐々に分かり合うということができるからだ。
そういう人たちからしたらきっと私に少しずつ慣れて、馬鹿にしなくなって、「ムズング、ジャパニーズはいい奴らだ。見方が変わった!」となるんだろう。

でも私の配属先の場合、毎日新しい初対面の人が数百人、数千人、日によっては万と来ては去っていく。
そんな全員と短時間で心からわかりあうなんて無理だし、1人1人に「日本人はいいやつ」と思ってもらえる時間もない。
バカにされた時、煽られた時、その場を収めるために大人な対応をしたつもりでも、
それで怒らないのだと調子に乗った人がまた同じような、あるいはもっとひどいことを次に会ったアジア人に対してする可能性もある。
何よりあまりに何回も何十回も不快な気持ちになってしまう自分が居た堪れない。

もちろん私は私の意思でここにいる。
ある程度差別や嫌な思いをすることも想定してはいた。
でもやっぱり、私は慣れない異国での生活で日々奮闘して生きているのに、異なる文化や生活スタイルの中頑張ろうとしているのに、
それを笑われるのは理不尽じゃないか?
なんて卑屈になってしまう。
私は相手に嫌なことをされてそれを笑って流せるほど強くないし、許せるほど優しくもないし、正直疲れるのである。


分からない。

この感覚は日本にいては絶対に感じないし、
例えば日本人が多くいる韓国や中国、アメリカやオーストラリアに行ったのとではまた違うだろう。
ここに来たから、24時間365日生活しているからこそわかることがある。

と同時に、日本で今生活している海外出身、あるいはハーフだったりする方がどれだけ不自由なく生活できているだろう、と思う。
明らかなヘイト---「お前が」嫌いだ、俺は日本人が嫌いなんだ、というよりも
こういった無意識的な、悪意のない「あなたは私と違う」という態度が、対応のされ方が、ボディブローのようにじわじわと効いていく。

帰ったらこの経験を活かせるだろうか。
日本で困っている外国人の気持ちを少しでもわかってあげられるだろうか。
日本語でそれなりにコミュニケーションが取れる人は、そこに至るまでどれだけ努力したのだろう。
日本語がまともに話も聞きもできない人は、どれだけ孤独で、疎外感や生きづらさを感じているだろう。
抱きしめてあげたい。
そんな彼らに少しでも寄り添い「日本いい国だな、きて良かった」「やっぱり日本人て最高だね!」と思ってもらえるような対応をすることができるだろうか。

国際社会、国際協力、相互理解---
聞こえは良いが、本当に心からそれを目指している人なんてどれだけいるのだろう。
「困った時はお互い様」
「みんな仲間/友達」
「話せば分かり合える」
子供の時に教えられたはずのそれらは、きっと理想であって本質ではない。
こちらの意思に関わらず本当に分かり合えない人だっているし、分かり合おうとすらしてくれない人もいる。
全員が全員他人と分かり合える世界は理想ではあるけれども、そんな人達に変わってもらうのはきっとものすごく大変なことなのだ。

私をバカにしてくる人たちには…
いつか天罰がくだればいいと思う。
やっぱり性格が悪いかもしれないけれど、そんな人たちのために割いてあげたい時間も親切心もない。
でもそんな人たちでも何か困っていたり私の助けを必要としているのであれば、そこで手を差し伸べられる人間ではあれたらいいなと思う。
その時にせいぜい、私や日本人に感謝すればいいさ。

そういう人たちがいなければ私は嫌な思いをしなくて良かったのだけど、
その人たちがいたからこの感情があると知れたし、他の人の気持ちを少しだけわかってあげられるかも、知れない。

どれだけ現地に溶け込んでも、
「こうでありたい私」「理想の私」は
ブラッシュアップして
時に真似して時に反面教師にして、
どうせならより素敵な私になりたいものだ。

だから半分皮肉を込めて、半分本当に感謝して
「からかってくれてありがとう」
なんて言ってやろう。
いざという時に言い返せる言葉があるだけで、
ほんの少しだけ私は強くいられる気がする。

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