火事場のくそ力
数年前、文章講座に通っていたことがある。
全6回の講座だ。講座1回目の終了時に、次回までに「コラムを書いてくるように」との宿題が出た。私は次の講座が開催されるまでの2週間の間、書いては消し、書いては消しを繰り返した。あげく、結局は何も書けていない状態で当日の朝を迎えた。コラムを書き上げる最後のチャンスは、教室までの道中2時間ほどのバスの中だけとなった。
バスに乗り込むと私はさっそくスマホを取り出し、夏休み最後の日に駆け込みでする宿題のごとく焦りながら臨んだ。やっとの思いで書き上げたが保存しようとしたその瞬間、スマホの電源が切れてしまった。
「え?なんで」
少しの間私は呆然とした。そして思った。
「最悪だ。もう無理だ。先生には書けなかったと言うしかないか。いや、そんなことできない。なんのために講座に通っているのかと思われてしまう。」
人からどう思われるかを多分に気にしていた私は、何としてでも書いていかねばと思った。到着地にバスが着くと私は急いでコンビニに走った。そこでレポート用紙とボールペンを買うと、コンビニを出ておもむろにレポート用紙を取り出し、道端で書き始めた。講座開始まであと15分ほどだ。
私はバスの中で書いていたテーマで書き始めた。「起承転結」の最初の「記」の部分までは同じようなニュアンスで書けたと思う。しかし問題は「承」の部分からだ。用紙に書きなぐっていく文章は、スマホで書いた時のものと同じではなかった。むしろ別の方向に進んでいる。が、それを気にしている時間も、消すすべもなく、私は次から次へと私の中から吐き出される文章がただただつながっていくようにだけ集中して書き続けた。書き終わったあと、私はやり遂げたことと思いもよらない文章の展開に喜びと驚きが隠せなかった。いつもの意識では書けない雑念のない文章だった。
無事、コラムの宿題は提出できた。先生は文章を読んでびっくりしている様子だった。人間としてまだまだ道の途中であるということが素直に表現されていて、そして人間という複雑さも描かれていてとてもいいと言ってくださった。
「他人の目を気にして」どうしても書き終えなければいけないと必死に書いた文章だったが、結果的には「他人の目を気にしない」雑念のない文章を書くに至った。
こういうのを「火事場のくそ力」というのだろう。
あれ以来、何度もあのトランス状態での文章が書きたいとチャレンジするのだが、1度も再現できたことはない。
2024/10/3(連続更新3日目)