【らべあろ企画参加】二回戦~啄木忌~
自分では思い浮かびもしないような季語を詠む、しかも皆が同じ季語を詠み、その御句を鑑賞する。
そんな面白い企画にド素人が挑戦させていただけるだけでも、うれしいし楽しいのですけれど。
有難いことに、私の拙句に投票してくださった方が、おそらく複数人いらっしゃった様子。本当に嬉しい。本当に。ありがとうございます。
というわけで、二回戦に進出させていただきました:)
だがしかーし!
二回戦のお題の季語がなんと「啄木忌」。
いや、難しいにも程がありません?笑
とりあえずまず「啄木忌」「石川啄木」でググりますよね←
そしてどうにかこうにか詠みました。拙句をば。
密やかな拳啄木忌の雨天
ひそやかなこぶしたくぼくきのうてん
毎度温かく迎え入れてくださり、ありがとうございます。
どうぞよろしくお願いいたします:)
さて。ここからは余談。
語りすぎるのは野暮なのでしょうけれども。
石川啄木の歌集『一握の砂』より
代表歌の一つ
こちらの御歌からインスピレーションを頂き詠みました。
周りを見まわすと、誰も彼もが立派に見える。
時々、どうしようもなく、そんな感情に襲われることがある。
結果を残している人だけに留まらず、新しいことを始めている人、自分のやりたいことをやっている人——
日々そこに存在する、私にとって存在感のある、行動力のある人たち皆が、立派に見えて仕方なくて。
自分はこんなものでは終わらない。自負があるからこその葛藤や挫折。そういったものが石川啄木にもあったのかもしれない。若くして亡くなり苦労も少なくなかったのでしょうけれども。
でも貴方の歌は今もなお愛されつづけているじゃない。
そんなふうに、本当に何もかもが眩しく見えてしまうような。
空も心もあいにくの雨模様で。
まだ晴れない、まだ私は何も持っていない。一握すらも——
人知れず静かに握りしめた拳に宿る思いは、悔しさであり、まだ終わらない、ここから這い上がるのだという、自分自身とたたかう決意でもある。
そんなことを思って詠んだ拙句でした。
4月に入っても思うように動けていない私自身、
雨唄の「雨」もほんのちょっぴり掛けていたりする。
こじつけと言われれば、こじつけですけどね。
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