好きなものを語る
ツイッターで「 # ふぁぼの数だけ好きなものを語っていけ見た人は道連れ 」というハッシュタグをつけてフォロイーさんがツイートしていた。好きなものを語るって素敵だな、と思い、いいねついでに自分も流してみようと試みたところ、なんと9つもいいねをいただいてしまった。
本当にありがとうございます!
好きなもの…うーん…と最初は悩んだのだけれど、何も「物」じゃなくたっていいんだな、と不意に気付いた。
なので今回は心にするりと浮かんできた「好きなもの」について、心の赴くまま書き綴った。
わたしの好きなものの、ほんの一部。
すずめやさんのノートも、わたしの好きなもの
①手紙
書くのももらうのも好きだ。
書いているとき、わたしはその人と会った過去のことを思い、その人が何をしているのか考え、今わたしがどんな場所にいてどんな気持ちで書いているのか、現在のことを言葉で認識し、「またいつかお会いできますように」とか「もうすぐ春ですね」とか、未来のことを想像する。
手紙は時間を孕んでいる。
書いて投函して届くまでに数日のブランクがあるところも、もどかしいけれど楽しいと思う。
手紙を書いたわたしの「現在」は、相手に届く頃には「過去」になっている。他人の何てことない過去が、現在に流れ込むのは面白い。わたしは手紙が届いたとき、後ろから呼ばれたような気持ちになる。
大好きな作家さんが「書くことは少しだけ自分をこぼすことだ」と仰っていた。全くその通りだと思う。わたしはわたしを言葉に乗せて、少しずつこぼしている。それを受け取ってくれる人がいるのは、幸せなことだ。
②お酒
初めてお酒をおいしいと思ったのは、長野に住んで暫くしてからのことだった。
先輩二人との食事の席で「せっかくだし一杯だけ」と思って頼んだ日本酒と、その時でた料理とのマリアージュにびっくりした記憶がある。日本酒は確か「大信州」だった。
それからお酒が大好きになった。行きつけの蕎麦屋で一人日本酒と肴いくつか、〆に蕎麦、何ていうことを何度もやった。(馬刺と辛口の日本酒は、よくあいます)
ビールも呑めるようになったし、最近はワインも美味しいと感じる。一人で呑むお酒も、仲のいい誰かと呑むお酒も好き。
でも、お酒単体ではあんまり呑まない。あれらは食事とともに楽しむものだと思う。いいお酒があれば食べ物はぐっと美味しくなるし、美味しい食事はお酒の味を何倍にも膨らませてくれる。
だからわたしにとってお酒を呑む時は美味しいものを食べるときで、それは幸福と密接に繋がっている。
③誰かとする食事
親しい人と、少人数でする食事が好きだ。変に気兼ねしなくていいし、会話のテンポも分かっているから気が楽で、純粋に楽しい。
同じお店に、同じものを食べに、一人で入った時と友だちと入った時とで味に違いがあったときはびっくりした。別に美味しくなかったとかではなく、何か味気ないなと、曖昧なものを感じた程度だ。それでも明確に違った。
もそもそ一人で食べながら、向かいの席に友だちがいた時のことを思い出して、納得した。
もうひとつ。昨年岐阜に行ったとき、わたしはツイッターを通じて知り合ったお友だちに非常にお世話になったのだが、車で観光地をめぐっている途中、駐車場でその人が水筒に入れた紅茶を振る舞ってくれた。一口飲んで、あんまり美味しいからびっくりした。普通の紅茶に、カルディで売られている氷砂糖を入れたのだと教えてもらった。
帰って早速真似したら、全然味が違って、この時もまたびっくりした。
今も時々紅茶をいれるけれど、岐阜で飲んだあの味にはならない。綺麗だった紅葉の赤を思い出して、少し寂しくなる。
親しい人との時間と雰囲気とが合わさらないと求めるものにはならない。こういう時、わたしは自分のことをこの上もない贅沢者だなと思う。
④家で聞く雨の音
ベッドに横になりながら、真夜中に聴く雨の音は、豊かだと思う。温かな毛布にくるまってうとうとと、濡れるアスファルトに落ちる外灯の明かりだとか、走る車の音、梅の枝をしたたる雨粒など、想像しながら眠ることは贅沢だ。山が近いので、雨が降るとさあさあと木の葉を打つ音がよく響く。聴くと落ち着くし、気持ちがいい。
春の雨も好き。
幸田文の小説に、病気で臥している料理人の夫が外の雨の音を揚げ物の音と勘違いするシーンがあって、聴くと確かにさわさわと丁寧に調理されている時の揚げ物の音がした。以来、春の雨は聴いているとお腹がすいてくる。
⑤本
本という存在が好きだし、読むことも好き。ベッドの近くに何冊かおいて、つまみ食いするみたいにして読む(こんな読み方をするから、わたしは長編小説があまり得意じゃない)
小説もエッセイも詩も短歌も俳句も、現実とはまた違う世界にあっという間に連れていってくれる。美しい言葉は目にも心にも気持ちがいい。束の間仕事のことを忘れて言葉で描かれる世界に飛び込むことはある種の快感で、だから本を読むことは最も手軽に出来る旅行だと思う。
⑥歴史に触れること
小学生の頃から歴史が好きだった。きっかけは社会の資料集に乗っていた十二単の写真だったことを、今でもはっきり思い出せる。こんなに美しい衣服を見たことがなかったわたしは、平安時代の豊かな文化に非常に憧れを持ち、そのまま歴史の深みにずぶずぶにはまっていった。
国語が元々大好きだったので、古文も楽しかった。今とは異なる言葉たちの柔らかな響きが好きだった。
好きになればなるほど触れたくなった。
旅行にいけば必ず寺社仏閣に詣でたし、お城にも興味があった。博物館の展示はどれもこれもわくわくして、解説を熟読するあまり二時間以上出てこないことも普通だった。
大学生になってサークル活動で触れてから、能をはじめ伝統芸能が身近になった。日常生活にはない所作や声の出し方言葉遣いは美しかった。
知れば知るほど底がないことに気付き、あれもこれもと手をのばして触れたくなる。
多分この深みからは、一生抜け出せない気がする。
⑦真昼の空いた電車に乗ること
大学は都内に通っていたので、朝の通学電車がそれはそれは苦痛だった。体が浮くほどの混み具合、香水や整髪料の臭い、あからさまに不機嫌な人の顔。「しんどい」の凝縮。
だから午後の授業が休講になって、サークルもバイトもない日、まっすぐ家に帰るために乗り込んだ各駅停車の長閑さには感動した。
東京を離れれば離れるほど人が少なくなっていく。すかすかの座席に、日溜まりが落ちている。窓の外は家に帰るのが惜しいほど綺麗に晴れていて、車内は誰一人急いでなどいなくて、静かで、みんな自由な感じがした。今振り返ると、あの空間には温かい孤独が満ちていたんだと思う。カップルや家族もいるにはいるけど少なくて、大概の人が一人でいた。
今はもう電車に乗ること自体が少なくなってしまった。またあの空間に行きたくて、電車に乗ろうかなと思う日が、時々ある。
⑧眠ること
眠ることが本当に好きだ。ベッドの中で本を読んだりスマホをいじったりして、うとうとしてきて、そのまま寝入ってしまう。あの瞬間の蕩けた感じが好き。
気持ちよく起きれると気分がいいし、まだ寝てたい布団恋しいと思う朝も(辛いけれど)それはそれで、いい。
何の予定もない休日に、布団のなかでぐずぐずと微睡んだり起きたりを繰り返す自堕落な睡眠が、実は最高の贅沢だと思っている。
⑨四季
四季のある国に生まれて良かった。と、たびたび、心の底から思う。春夏秋冬変わりゆく景色と気温、自然の移ろいは本当に美しい。
近頃は温暖化で日本の四季も徐々に狂いが見られて、胸がはらはらしている。
今、自宅の庭の梅は満開で、桃の花や菜の花も今を盛りと綺麗な姿を見せてくれているが、昔は二月のうちにここまで咲いてしまうことは少なかった。
暦の上では春とはいえ、二月はむしろ冬本番で、空気が鋭利で、梅の咲くのが待ち遠しいくらいの季節だった。(ようやく綻んだつぼみを見つけたときの嬉しさときたら!)
数日前車を運転していたとき、すがれた水仙を見て悲しくなった。冬が死んだな、とその時まざまざと思った。
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