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あらゆる確実性は真理に基礎付けられているのか(1)用語の定義
こんにちは、あえにみぬです。
普段はVRChatの哲学カフェぽこ堂という素晴らしいpublicイベントで毎晩気が済むまで話をし、気絶をする生活を送っています。
皆様、気になったことはありませんか?
「あらゆる確実性は真理に基礎付けられているのか。」
きっと眠れない夜もあったことでしょう
今回の記事シリーズでは、
ある日、VRChatに常設している哲学カフェの金字塔「ぽこ堂」のサイコロトークシステム(通称サボテン)に出題されたこの超難解な問いをめぐる我々の闘争を、大まかな流れをもとに体験していただきます。
本シリーズをご覧いただくにあたっての注意点
本記事は論文のような形式ではなく、あくまで我々がこの命題について考えていくという状況を解説したものであるため、十分な考証も検証も勉強も恐らく足りていないことに留意してください。
加えて、あくまで簡単にするために、現時点では間違ってると合意が取れた内容から入っていく事もあります。
しかし、これが結構考え抜いたものとなっています。
学問のフロンティアを押し広げるようなものではないでしょうが、私の世界をただ推論のみで押し広げることができた感動的な実績がありますのでそっちをモチベーションにお話ししていこうかと思います。
それでは本編です。
本編
我々は何を問われているのか
まず、この命題、あまりに抽象的な内容です。
「あらゆる確実性は真理に基礎付けられているのか。」
まず議論をする前に定義をしなければならない言葉が二つあります。
確実性 と 真理です。
順に定義をしていきます。
確実とは何だろう。
普通に考えていれば、まぁ確実そのもの言えるでしょう
確率が1つまりは100%ということです。
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例えば、コイントスをしたときに。表もしくは裏が出る確率。
P(表)∨P(裏) = 1 (なおこのコイントスは表もしくは裏以外の形態をとらないものとする)
これは紛れもない確実でしょう、というか論理的真理です。
だってそうなんだもん
これこそ確実です
確実”性”ってなんやねん
よく性ってノリで付けますが、この性って何なんでしょう。
小一時間議論しましたが、ついている意味は分からなかったのでノリでついてるのかと思いました、今もそう思ってます。
流石に嘘です。(最初ノリでついてると思ってたのは内緒)
例えばこれは「人間の善性」みたいな対応関係です。
分解すると人間は主語、善性は、善が存在するという性質
つまり○○性とは、
特定の範囲内で、特定の状態が存在するという構造なのでしょう。
今回問われる確実性という単語は
「あらゆる(事象の)確実性」
あらゆる事象とかいうクソでか主語どころか全集合主語を使っている問題児ですが。基本構造は変わりません。
分解すると、あらゆる確実性は主語、確実性は、確実が存在するという構造。
つまり、あらゆる事象のうち、確実が存在するという構造を指しているのかと思われます。
主語が全集合になってしまっているので、前半を消してもほどんど意味が変わらないという非常にレアな言葉ですね。
ですので以降の章からは
確実が存在する=確実性が存在する
確実が存在しない=確実性が存在しない
のニュアンスでとらえてもらっても問題はないでしょう。
なんやねんって感じですね。
これにて、用語「確実」の定義は終わりです、続いて真理の定義に参ります。
真理とは何か
この議論で避けては通れないのが「真理」の定義、
哲学にあまり興味のない人ですら「真理とは」なんて真っ先に出てくるほどの哲学っぽさの代名詞であるこの単語ですが。これの定義をするのには時間がかかりました。
(本章はカロリー高めです。備えよ。)
wikiによると
真理(しんり、希: ἀλήθεια、羅: veritas、英: truth、仏: vérité、独: Wahrheit)は、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。真実とも。
いやまさにそうだと思いますが。
wikiでは英語のtruthの意味合いが色濃く出ていて、少しミスマッチです。
というのも命題は以下の通り
「あらゆる確実性は真理に基礎付けられているのか。」
とありますから、
真理は何かを基礎付けるものである。というような使われ方をしていることが読み取れます。よってどちらかというと今回の命題に使う真理はもっと法則的な意味合いが強いです。
真理とは
何かを基礎づけるもの(定義や法則)のうち、確実な根拠によって本当であると認められたものという方向で考えた方がいいでしょう。
(ちなみに、僕らが存在しているこの物理世界の真理を指しているわけではなく、一般的なすべての真理(前述したコイントスの定義なども含む)を指しているので混同なきようお願いします。)
よって定義は完了と言いたいところなのですが。
解釈は多様なもので、上記の定義では不明瞭な部分から派生したのか二つの派閥が出来上がりました。
(今思い返してみるとその不明瞭な部分とはおそらく
(定義や法則)この部分です。)
以降しばらくは、
我々の議論における2つの派閥についてみていきましょう。
2つの真理
あんまりもったいぶるものでもないので、とりあえずみましょう。
限定的な世界の一部、
その範囲内においてのみ確実といえる真理(帰納的な真理)世界のすべて
唯一にして絶対の定義(演繹的な真理)
の2つです、
順に説明していきましょう。
帰納的な真理
これは現実世界が物理法則と呼ぶものに近いです。
僕らの物理世界を理解する試みはすべてここの真理を拡張しようとする行いです。
と言われてもなんだと思うので読み進めてください。
例えば、地球における重力加速度は9.80665m/s^2とかだったりするが、
これは地球という星においては、巨大隕石の衝突でも起きない限り変わりようがない。
ならばこの地球という限定的な範囲内では真理として呼んで良いはずだ。
というスタンスです。
先ほど挙げた不明瞭な定義
何かを基礎づけるもの(定義や法則)のうち、確実な根拠によって本当であると認められたもの
における「確実な根拠」というものを。
世界に対する観察によって明らかにできる(仮にできないにしてもそれしかできないのだから観察に頼らざるを得ない)ということを前提にしています。
しかし、ここにおける「確実な根拠」というものはあくまで帰納的にそうである可能性が限りなく1に近いということでしかないため、いくらでも揺らぐ可能性があります。揺らぐ可能性である未知の要因に覆されないために、範囲の指定というものをします。
範囲の指定:地球という限定的な範囲内
真理:地球における重力加速度は9.8
根拠:巨大隕石の衝突でも起きない限り変わりようがない
この図いいですね。
さて、根拠を帰納的な根拠に頼っていることは問題です。
例えば、「全ての人間は死ぬ」という仮説があった場合、これを証明するには、すべての人間の死を見届ける必要があります。これは最後の一人が死ぬまで今日までたまたま全員死んで来ただけという可能性を捨てきれないためです。
我々の寿命(ひいては宇宙の寿命も恐らく)は無限ではないため、本質的に真の確率1たる物理現象を見極めることは不可能でしょう。
しかし、そうは言っても。
我々の生きる物理世界の真理を探るには帰納的な根拠に頼るしかありません。
我々は帰納的な真理以外を知る術はないのです。(物理世界の真理においては)
もちろん、その範囲を徐々に拡張、統合していくことで、いずれ万物の真理に肉薄する可能性があります。
希望をもって生きていきましょう。
なかなかアツい真理ですね。
ですが、
今回のシリーズでは基本的にこちらの解釈は使用しません。
なぜなら、僕が次章の演繹的真理派の一人であるのが一つ。
そして大きいのは
なんと一緒に考えてくださったメンバーの一人であるtamtamさんという方がこの真理を元にした内容を既にnoteにまとめているためです。
ぜひご覧ください、
↓読みましょう。
演繹的な真理
これは現実世界が定義と呼ぶものに近いでしょうか。
数学や哲学はこっち側だと思います。多分。
と言われてもなんだと思うので読み進めてください。
この物理世界の真理で例えるなら、仮に超越的な存在が世界をゲームのように創造したとして、彼の書いたソースコードにあたるものを真理と呼びたいです。
なんとも締まりがないですが。これでいいんです。
先ほどの章に深く共感してくださった読者ならこう論破したくなるでしょう。
我々は帰納的な真理以外を知る術はない。
つまり、この派閥の目指すソースコードなんて知り得ないわけで全然机上論じゃないかと。
まさにおっしゃる通りで。
さっきの範囲指定の図に当てはめてみるとこうなります。
範囲の指定:なし、全ての事象
真理:莉剰ェャ鞫ゥ險カ闊ャ闍・豕「鄒?惧螟壼ソ?オ 隕ウ閾ェ蝨ィ闖ゥ阮ゥ陦…
根拠:だってそう書いてあるんだもん。
確実であるという根拠が帰納的でなく、限定的な範囲の指定もありません。
知り得ないということを除いては最強の法則といえるでしょう。
素晴らしい!
しかし、真理が知り得ないなら何の意味もありません。
なんでこんなものが、帰納的真理と肩を並べているのでしょうか。
重要なのは、真な法則に基づき現象が説明されるのは、何も、物理世界だけではないということです。
もし、真理が解読可能な形で存在している世界があるとすればどうでしょう?
そのような世界が想像できますか?
少しだけ考えてみてください。
なんと実はこの記事に既に出ています。
確実の章で出した、コイントスの例です。
P(表)∨P(裏) = 1 (なおこのコイントスは表もしくは裏以外の形態をとらないものとする)
この黒字の部分が演繹的真理です。
この定義があって初めて
P(表)∨P(裏)が、その世界で起こる全事象となって。
確率が1となっているのです。
この部分が無ければ、P(表)∨P(裏) = 1 というのは必ずしも成り立たなくなります。コイントスの世界は演繹的真理によって定義されているのです。
範囲の指定:なし、全ての事象
真理:コイントスは表もしくは裏以外の形態をとらないものとする
根拠:だってそう書いてあるんだもん。
なんだか、急になじみが出てきましたね。
定義することは真理を定めることに等しいです。
本シリーズで基本的に前置きなく真理と言った場合はこちらの演繹的な真理を指すことになります。
よろしくお願いします。
復習問題:真理の壁
さて、確実と真理の二つの定義が終わったところで、復習がてらちょっとしたワークです!
1.コイントスの世界の住人の気持ちになって答えてみましょう。
「もう2万年コイントスをやり続けた。なぜか、一回も縦に直立したり、投げている間に紛失したりしない。なぜだ。」
2. コイントスの世界を定義したこの世界の住人の気持ちになって答えてみましょう。
「もう2万年コイントスをやり続けた。なぜか、一回も縦に直立したり、投げている間に紛失したりしない。なぜだ。」
次回までの宿題です、はい…できるだけ期限が短くなるようにガンバリマス….
改めて問題を読もう
「あらゆる確実性は真理に基礎付けられているのか」
どうですか、ちょっと見え方が違うのではないでしょうか。
じゃぁ本当にすべての確実性は真理によって記述されているのでしょうか?
あれ?
一見確実性のある現象のみならず、
演繹的真理を元にすればこの世の全てが確実なのでは?
だって、そもそもコイントスの定義をしなければその先の確実の話は出来ない
じゃぁ、真理の無い確実なんてものは無いのでは?
と思った賢いそこのあなた!
本当にそうなのでしょうか…
次回は、
「確実が存在する真理の無い世界の作り方」
について語っていきます。
お楽しみにーーー!!
おまけ
現在どこまで進んでいるのか。
現在執筆中のこの問題ですが、実は執筆時点で全然まだ解決していません、現状はどこまで進んでいるのでしょうか。
端的に言えば、
「「あらゆる確実性が真理に基礎づけられている可能性がめちゃくちゃ高そう、であり、むしろ確率的にそれが論じれそう」というのが実は全然でたらめだったかもしれないけど、それはそれとして、真に真理が無い世界の想像が困難すぎる。」
そうです。カオスな感じになってます。
果たして納得いく結論が出る日は来るのだろうか…
長々とありがとうございました。