それだけの業、重ねてきたのは……俺だ。ゲーム『Spec Ops: The Line』感想
25年の抱負を語ったnoteにおいて述べた「積みゲーを消化したい」という抱負を早速実現すべく、僕は就活の合間に適当にsteamのリストから一つのゲームを選んで遊び始めた。
今回のnoteではその「適当に選んで遊び始めた」ゲーム…『Spec Ops: The Line』の感想を語っていきたいと思う。
日本では2012年8月30日、約12年前(!?)にPlayStation3/Xbox360向けに発売され、その後steamでも販売された本作だが、僕は発売当時にある実況プレイヤーの実況動画を見て、物語の大筋とオチについては知ってしまっており、10年以上経った今もおぼろげだが物語に関する記憶は残っていた。
それでも僕は「いつか自分の手でこのゲームを遊びたい」と思い、過去のセール中に本作を購入していた。10年以上経つとさすがに記憶は薄れていて、新鮮にプレイできるかもしれないと思ったし、「ただ実況動画で第三者のプレイを見るのと、自分でゲームを体験するのとでは、見える景色も違うだろう」という思いがあったからだ。
本作はゲーマーの間では「他に類を見ない鬱ゲー」として有名であり、探せば、僕より遥かに優れた文才を持った人々が記した感想が山ほど出てくる。発売から年月が経っていることもあって「語り尽くされている」と言ってもいい作品だ。
だが、拙くとも自分の感想をどこかに残しておきたいと思い、今回筆を執った。
ゲームの核心についてガンガン触れていくので、ネタバレを嫌う方はブラウザバックを推奨する。
このnoteを書いた時点でノーマル→ハードの順で2週クリアして自害エンド・帰還エンドを見ており、機密情報はコンプリート済み。
◆ゲーム概要
本作の舞台は、街全体が壊滅するほどの超巨大な砂嵐に襲われたドバイ。
ドバイが砂嵐に包まれた後、アメリカでは「パットン以来の英雄」と謳われた軍人、ジョン・コンラッド大佐がドバイの調査に志願し、彼が率いる「第33歩兵大隊(33部隊)」とともにドバイに向かったものの、彼は本国の「ドバイの放棄」という命令に背き、現在までアメリカに帰還せずにいた。
コンラッドと33部隊が連絡を絶ってから半年。アメリカはドバイからある音声メッセージを受信した。
ループ再生されるこのメッセージをきっかけに、アメリカはドバイの現状を知るべく3名のデルタフォース隊員を派遣。
プレイヤーは派遣されたデルタ隊員の一人、マーティン・ウォーカー大尉を操作し、半年間も砂嵐にさらされ壊滅したドバイに仲間とともに踏み込んでいく。
ゲームシステムは、既存作で例えると『ギアーズ・オブ・ウォー』に似たサードパーソン・シューティング(TPS)。プレイヤーは遮蔽物に隠れながら、2つまで持てる銃と遮蔽物越しに相手を攻撃できる3種のグレネードを駆使して敵を倒していく。
特徴的なシステムは「部隊コマンド」と「とどめの一撃」。
「部隊コマンド」は、ウォーカーに同行しているアルフォンス・アダムス中尉とジョン・ルーゴ軍曹に命令をして援護してもらうシステム。仲間はプレイヤーがマーキングした敵を優先的に攻撃してくれるほか、プレイヤーが敵の攻撃で遮蔽から出られない(とAIが認識する)状態だと、プレイヤーが命令することでグレネードによる援護を行ってくれる。
また、アダムスとルーゴにも体力があり、攻撃を受け続けるとダウンしてしまうのだが、片方の仲間が生きている場合は、生きている仲間にダウンした仲間の救助を行わせることもできる。
「とどめの一撃」は、敵兵を倒した時に、低確率で死亡せずに死にかけた状態になるのだが(格闘攻撃でダウンさせると確実に死にかけ状態になる)、プレイヤーは死にかけの敵に近づいて「とどめを刺す」ことで、自分の武器の弾数が回復し、倒した相手によっては基本的には戦場に設置されたアイテム箱からしか手に入らないグレネードを補充できることもある。
◆「君は救世主ではない」
先述したとおり本作は「他に類を見ない鬱ゲー」として有名であり、「鬱」と言われる作品の先達に無理やり例えるなら『ミスト』に近い。いうなれば本作は「遊べる『ミスト』」である。
知らない人向けに1行で説明すると、ミストは「良かれと思ってした行いが最悪を招き続ける」映画であり、本作も鬱の傾向は似ている。
ここからは、本作の感想を語るうえで欠かせないので、あらすじ以降の本作のストーリーについて書いていく。繰り返しになるがネタバレを嫌う方はブラウザバックを推奨する。
ドバイにたどり着いた3人は、武装したドバイ市民に襲われる。民兵を退けた3人だったが、休む間もなく彼らは33部隊の隊員からの救援要請を受信し、またも民兵と戦うことに。
「ドバイの現状をアメリカに報告する」という当初の任務からの逸脱を知りながらも、ウォーカーは33部隊との接触を試みる。
民兵の拠点に進んだ3人が知ったのは、現在のドバイでは33部隊と、彼らに反発し民兵化したドバイ市民が敵対関係にあり、しかも民兵はCIAが支援していて、33部隊はCIAを排除しようとしているということ。
CIAの介入に疑問を抱きつつ彼らは進むが、ようやく会えた33部隊はデルタを「CIAの仲間」と誤認。ウォーカーたちは潔白を主張するも33部隊員は聞き入れず、米兵同士が殺し合う事態に発展してしまう。
さらに3人は、33部隊がドバイに強権的な恐怖政治を敷いている現場を目撃。加えて33部隊の一員と思しき謎のDJがドバイ全域に流す放送によってCIAのエージェントが33部隊に拷問されていることを知り、ウォーカーは「暴走した33部隊と交渉の余地はない」と判断。ドバイの状況を把握し、彼らの助力を得て33部隊の暴走を止めるためにドバイに派遣されたCIAエージェントの部隊「グレイフォックス部隊」と接触することに目的を切り替える。
しかし、3人を助けようと接触してきたCIAエージェント・グールドは殺され、33部隊はデルタをCIAの仲間だと完全にみなして、抹殺すべく苛烈な攻撃を仕掛けてくる。当初の任務を完全に逸脱した上に、同胞であるはずのアメリカ人と殺し合っている(ここではサラッと書いているが、ここにたどり着くまでにウォーカーが殺傷した米兵の数は10人や20人どころの話ではない)最悪の状況にルーゴが反発し、部隊のチームワークに亀裂が入る中、それでもウォーカーは進み続ける。
3人は進路上に布陣する33部隊と遭遇。これを蹴散らすべく33部隊の迫撃砲を鹵獲し、装填されていた白リン弾で33部隊を壊滅させる。
しかし、一通り敵陣を壊滅させた後に3人は最悪の事実を知ってしまう。
進路上にいた33部隊は庇護下にあるドバイ市民を戦いから逃がそうとしていて、しかも迫撃砲で打ち上げたカメラの粗い白黒の映像でしか戦場を把握できなかった3人は33部隊と避難中の市民を区別できず、白リン弾は避難中の民兵ではない市民を皆殺しにしていたのだ。
本来救うべき市民を殺してしまった事実にウォーカーは心を病んでしまい、33部隊を指揮するコンラッドに責任転嫁。「コンラッドにこの事態を招いた責任を取らせる」と主張し始める。
ウォーカーたちは相変わらず襲ってくる33部隊を蹴散らしながら、グレイフォックス部隊最後の生き残り・リグズと手を組み、33部隊が抱える、外部からの補給が絶たれたドバイにおける生命線である大量の水を奪取する作戦に参加する。
死闘の末にウォーカーたちは水を奪取するものの、33部隊の決死の追撃により水を積んだトラックは全滅してしまう。そこで、死にかけたリグズが真実を明かす。
リグズが帯びた命令、それは「アメリカ軍人が他国であるドバイを実質占領し、市民に危害を加えていた」という事実が、ドバイの砂嵐が晴れて全世界に知れ渡る前に闇に葬ること。市民を扇動したのは33部隊と潰し合わせて、真実を知る双方の勢力を全滅させるためで、彼は「ドバイの水の殆どが失われたことで、ドバイは全滅し目的は達成される」と語った。
ここに、ドバイの滅亡は確定的となる。
ウォーカーはDJの持つ放送機器を奪って生き残りのドバイ市民に脱出を呼びかけるも、ここでも33部隊の抵抗に遭う。追い詰められた3人は33部隊のヘリを奪って脱出を試み、未だにデルタの抹殺に固執する33部隊に怒りを叩きつけるが、空中戦のさなかにヘリは墜落、3人は離れ離れになってしまう。
生死を彷徨う中で、ウォーカーはあたり一面が燃え盛る、地獄のようなビジョンを見る。
天上から神のごとく語りかけるコンラッドと、今まで殺してきた33部隊の兵士たちが、今までウォーカーが目を背けてきた罪を糾弾する。
ルーゴを救うべき難民たちに殺され、戦いの中でアダムスを失いながらも、ウォーカーはコンラッドの居場所と目されるドバイ最大の建造物、ブルジュ・オーロラにたどり着く。
しかし、そこでウォーカーが見たのは、今となってはウォーカー自身しか知らないはずの避難民が白リン弾に焼かれた光景を描いた絵と、自殺したコンラッドの死体だった。
茫然自失のウォーカーに、死んだはずのコンラッドが語りかけ、全ての真実を明かす。
コンラッドはゲーム開始以前にドバイからの脱出を試みたがそれに失敗、自身の決断が多くのドバイ市民や同胞の命を奪った事実に耐えられず自殺していた。
これまで通信機を通じてウォーカーに語りかけたり、ビジョンを見せたりしていたコンラッドは、ウォーカーが「命を救うためにドバイにやってきたのに、自分たちは状況を悪化させるばかり」という事実に耐えきれず、白リン弾による虐殺をきっかけに生み出した、ウォーカーが「こうであってくれ」と望んだ、解離性同一性障害によって生まれたものだった。
病んだウォーカーは「ドバイで心を病んだコンラッドが全ての元凶であり、彼を討たねば、あるいは救わなければならない」というストーリーを作り上げ、コンラッドにすべての責任を転嫁することで心を守ろうとしていたのだ。
残酷な真実を知ったウォーカーに、幻影のコンラッドは拳銃を突きつけ選択を迫る。
「鬱」と評される作品は無数にある。
映画なら、先にも例示した『ミスト』や『ファニーゲーム』、ゲームなら『さよならを教えて』『serial experiments lain』『ドラッグオンドラグーン』、アニメなら『無限のリヴァイアス』や『今、そこにいる僕』などを代表例として挙げることができるだろう。
本作がそれらと違う点は、サードパーソンシューティングであることだ。上記したような鬱作品では、大抵の場合画面の前の観客/視聴者/プレイヤーは「傍観者」にすぎない。だが本作はシューティングゲームなので、プレイヤーは自らコントローラーなどの操作デバイスでマーティン・ウォーカー大尉を操作し、物語の主体である「当事者」にならなければいけない。襲い来る33部隊と民兵を蹴散らしているうちに、プレイヤーとウォーカーの心情は強くシンクロしていく。
実際、プレイ中の僕の感情はウォーカーが抱いているであろうそれに近かった。
いい例が、中盤でウォーカーたちが白リン弾を使うことを決断するシーンだ。ここでプレイヤーに白リン弾を使わせるよう誘導するストーリーの作りは非常にうまく、直前にプレイヤーは33部隊側が使った白リン弾を見ており、かつ今まで33部隊とバチバチに銃火を交えていて、さらに拷問を受けていたCIAのエージェントたちのことを知っているため、「話を聞かない独裁者の手先め、グールドまで殺しやがって!お前らの超兵器で懲らしめてやる!自業自得だ!」という心境に自然とさせられる。
それ故に、最終盤における幻影のコンラッドの告発は全く他人事には聞こえず、画面を越えてプレイヤーの心を刺す。
コンラッドの言い分はどこまでも正しい。
ウォーカーたちは単なる偵察隊に過ぎず、最初に民兵と交戦した時に、引き返してドバイの異常をアメリカに伝えるだけでよかったのだ。
それをウォーカーが/プレイヤーが「ここで帰ったらゲームにならない」と足を進めてしまったせいで、ドバイは地獄となってしまった。
ドバイの地に、悪はいなかった。
コンラッドは「アフガン紛争での失態を取り返したかった」という私欲もあったし、そのやり方が半年間で過激化していったことは事実だ。しかしその原点には高潔な利他の心があったし、当初はドバイをスクープして一儲けしたかっただけのゴシップジャーナリストであった「DJ」ことロバート・ダーデンも、そんなコンラッドに感化されて正義の心に目覚めた。
33部隊も、コンラッドが単なる「失態を取り返すだけの功績が欲しかっただけの俗物」であったなら、彼の遺志を継いでドバイを統治することはなかっただろう。
ドバイの市民も同じくやり方は過激だったが、彼らの「生きたい」という心を「悪」と言う事はできない。
強いて言えばドバイの人間を全滅させようとしたCIAは悪かもしれないが、彼らも一兵卒に過ぎない。必死に本国の命令を遂行しようとしただけだ。
全てはコンラッドの言うとおりだ。
自分/ウォーカーの過ちを知りながらも、「ゲームを通して日常を離れたい」「敵をやっつけて気持ちよくなりたい」「終盤まで進めたのだからオチを知りたい」という身勝手な理由を動機に行われた僕の戦いが、崩壊したドバイで懸命に生きようとしていた市民と33部隊を鏖殺し、無事にアメリカに帰れたはずのルーゴとアダムスの命を奪い、その思いを踏みにじった。
同時に、僕はウォーカーがそうしたように、その身勝手さを「話を聞かない33部隊が悪い」「煽ってくるDJが悪い」「暴走する33部隊を制御しないコンラッドが悪い」と、誰かに責任転嫁した。
丁寧に舗装された地獄への道の果てに待つ、まるでゲームの登場人物に己の身勝手さを指摘されたような結末には、ただただ重い罪悪感があった。
コンラッドの幻影が最後に残した皮肉は、ウォーカーの心のみならず、僕の心にも未だにトゲのように刺さっている。
画面の前のプレイヤーを神様ではなく当事者に変え、残酷な真実をウォーカーを通してプレイヤーにも突きつけることで真に迫る虚無と罪悪感を喚起させるゲーム体験は、本作でしか味わえない。その一点だけで本作をオンリーワンで最悪の傑作と断言できる。
ちなみに、各所でモチーフとして頻出する「逆さ・ボロボロのアメリカ国旗」を加味して、本作を「『Call of Duty』『BATTLEFIELD』シリーズなどの『最後はアメリカが勝つ』メジャーFPS・TPSへの痛烈な皮肉」と評する声もあるらしいが、僕はそうしたFPSゲーを通過してこなかったので、そのあたりの文脈は読めなかった。
◆心が削られる!(難易度的な意味でも)
ストーリーを存分に語ったので、ここからはゲーム部分の話。
ゲーム的には、正直な所「格闘要素やアクティブリロードなどの独自要素をさっ引いた『ギアーズ』」と言った感じで、「敵を撃ってやっつける」というTPSとしての面白さは担保されているものの、「気持ちいい!」と思える箇所はあまりない(これは前述したストーリーのせいでもあるのだが)。
「とどめの一撃」システムも有効に機能しているとは言い難い。能動的にとどめを決めたければ危険を犯して格闘を仕掛けるしかなく、しかもとどめを決めている間は無防備なので、終盤になるほど/難易度が上がるほど、とどめを刺したくても刺せない場面のほうが増える。なので、「とどめの一撃」システムは「敵を一通り倒した後に、死にかけの敵がいたら『とどめ』で弾を補給できてラッキー」程度の存在感しかない。
ゲームの単調さよりも気になったのがゲームを通して高めの難易度。
本作では、こちらはずっとウォーカー+仲間の二人で戦っているのに対し敵はドンドコ数の暴力&地の利を盾にガンガン攻めてくるので、まともに戦えば勝ち目はない。こっちが遮蔽物から身を乗り出して一人を倒す間に、向こうはその何倍もの弾を撃ち込んでくる。
このため、基本的に戦いは「仲間にヘイトが向いている間に、スコープ付きの武器でチマチマ倒す」などの誉を捨てた戦法に終止しがちだ。
しかも敵はそれなりに頭が良く、多人数でこちらを包囲して確実に仕留めようとしてくるし、こちらと同じようにグレネードも投げてくる。なので中盤以降は「敵のグレネードを避けようとして遮蔽物から出たところに集中砲火を浴びて死亡」「一方向に気を取られていたら回り込んだ敵に撃たれて死亡」という死因を100回は拝むことになる。
高難易度に拍車をかけるのが、中盤以降に登場する「装甲兵」と「コンラッドの精鋭兵」。前者は素早く動かない代わりに非常に耐久力が高く、ヘッドショットも無効で、しかもこちらを数発で殺せる軽機関銃を携えていて、隙を作るには近くにグレネードを投げ込んでよろけさせるしかない。
後者は装甲兵ほどではないものの一般兵より耐久力が高く、ヘッドショットや近距離で撃ったショットガンも数発耐えてくる上に瞬間火力の高い銃「P90」を標準装備している。
装甲兵は幸いなことにあまり数は出てこないが、後半に高頻度で出てくる精鋭兵には何度も歯噛みさせられた。
味方もエイムはいいのだがどんどん前に出ていってしまう悪癖があり、頼り切りにしているといつの間にか前線でダウンしていて、危険を犯して復帰させないといけない。
「ちゃんとテストプレイした?」と毒づきたくなる高難易度のステージが定期的に出てくるのもストレスポイントで、一時的に仲間と引き離される上に、それまで持っていた武器を失った状態で、相手の包囲をさばきながら敵から武器を奪って仲間の救助を待たなければならないチャプター6の冒頭はかわいい方。
後半~終盤戦は、壊れてしまう為長くは使えない遮蔽物をだましだまし使いながら、高所からの狙撃兵+遠距離からRPGを撃ってくる兵を確実に排除しつつ敵の大群を処理しなければならないチャプター9、ルーゴが不在なためアダムスが倒れたら危険を犯してプレイヤーが復帰に向かわねばならない上に精鋭兵がドンドコ出てくるチャプター12、序盤は仲間が不在でヘイトが全部プレイヤーに向く上、ルーゴが永久離脱してしまうチャプター13など、終盤であることを加味してもキツい戦いが続く。
その果てに待つ最終チャプターの最終盤はとんでもない内容で、
というもの。文章にすると数行で済むが、このゲームの高難易度の集大成と言っていい難しさであり、僕は2周目を怖いもの見たさで難易度HARDにしたのだが、正直心が折れるかと思った。
参考までにHARDでのクリア動画を用意した。このステージの難しさを理解する補助線になれば幸いである。
◆総評
「ゲーム性の凡庸さ」「若干調整不足気味の高難度」という欠点はあるものの、丁寧に作られた地獄のようなストーリーがもたらす、自責の念を喚起させられる読後感は、欠点を持って余りあるオンリーワンの体験だった。
生存バイアスになってしまうが、HARDをクリアした今となっては高難度はむしろ「ラストにもたらされる衝撃をより高めるスパイス」と思える自分もいる。
発売当時は「ボリューム不足」と言われたりもしたらしいが、基本的に多忙な令和の現代人的にはサクッとやれば一週間もかからずやり込めるボリュームは利点にも思える。
現在steamでは楽曲のライセンス切れで配信停止されてしまっていて手軽に遊ぶことは出来ないのだが、実況動画で済ませず、色んな人に実際にコントローラーを握って遊んでほしいと思える一作であった。
ああ、できれば頭まっさらな状態でドバイの地を踏みたかったなあ。