「豊かさ」への期待と幻滅 青森県のメンタリティー、重なる未来



6月2日の朝日新聞に掲載された、クロアチアのフェミニスト作家スラヴェンカ・ドラクリッチ氏へのインタビュー「西側への期待と幻滅 東欧のメンタリティー、重なるウクライナの未来」を読んでの、私の随想です。学術的な根拠は特にありません。


このインタビューでは、物質的な豊かさを誇る西側への憧れと、ベルリンの壁崩壊でそれを手に入れたかに見えた後の東欧の失望について語られています。

https://digital.asahi.com/articles/ASR5Z3CLGR5VUCVL014.html?pn=12&unlock=1#continuehere


それでも国は貧しかった。西側の物は全て美しく、輝いて見えた。

 「おいしいチョコレートやしゃれた靴。異世界の物でした。コカ・コーラのボトルを大事に残している人もいましたよ」


(…)

西側は豊かさの象徴だった。自分たちも豊かになりたい。憧れの気持ちは東欧の人々の間で確実に積もっていった。

ただその憧れは、民主主義や人権の尊重といった政治的な価値に向けられたわけではなかった。

 あくまで物質的な豊かさだった。

 「西欧の標準的な生活と人権を選べと言われたら、多くの人は迷いなく標準的な生活を選んだでしょう。



https://digital.asahi.com/articles/ASR5Z3CLGR5VUCVL014.html?pn=12&unlock=1#continuehere

コメントプラスでマライ・メントラインさんが述べていたように、東ドイツにも同じ問題があります。私がドイツ語を学んでいた頃は、ちょうどベルリンの壁崩壊、20年の節目でした。当時、ドイツでは「東」の意味の「Ost」と「ノスタルジー」を掛け合わせた「オスタルギー」という言葉が頻繁に語られ、東ドイツの流れを汲む左派等も勢力を伸ばしていました。

ロシアでも同じ頃、ソ連時代を懐古する風潮が起こっていたと聞いています。

そして、「豊かさへの憧れ」と、「それを目指しての失望」で思い出したのが、私の郷里の青森県のことです。

青森県も、高度成長で眩いばかりの物質的豊かさを誇った東京に対し、似たような憧れを持ったのです。
そして、それを手に入れるために、「むつ小川原開発」のような事業を考えだしました。そして、それは原子力という化け物に化けました。

原子力を受け入れる代わりに新幹線も建設され、現代美術館も東西に建設されました。そして、大衆意識にも影響を及ぼしていきます。

再び記事からの引用です

 もう一つは大衆意識だ。

 「共産党体制を経て、上からの指示をただ待つことに慣れてしまった面があると思います」
一人ひとりが自分たちの頭で考え、行動する。民主主義において大切な自立した市民意識は生まれにくい。

 「良識ある市民は少なく、大多数の大衆が、自分たちの代わりに何でも決めてくれる強いリーダーを望む傾向にあるのです」

 これは東欧だけではなく、プーチン大統領を選び続けるロシア国民に対しても当てはまるかもしれない。

人々の間に、「上から降ってくる原発マネーを待てば良い」といった感覚ができていきました。

何かをやるにもみんな原発頼み。あるいは、国会議員の口利き頼み。自主性がありません。

確かに、現代美術館も東西双方にできて、新幹線もできたし、高速道路もたくさんできました。青森県は「発展」したのかもしれません。

でも考えてみましょう。



でも、土手町(津軽藩の藩都である弘前市の中心商店街)の商店街はどうなったのでしょう?

みんなが農業や漁業で暮らしていた昭和30年代の方が、土手街には活気があったのではないでしょうか?

私は9年前、東京に移住しましたけれど、4年ほど前に1度だけ帰省しています。その時見た弘前駅前の様子は、信じられない姿でした。休日の駅前となれば、学生や親子連れで賑わっていたのに、それが全くないのです。私が、小学生の頃は、地元デパートのレストランとかもそこそこ賑わっていたのに、全く人がいません。

東京に戻ろうとする時、青森空港の展望デッキ(飛行機の方が安かったので飛行機で行ったんですが。。。)で、こんな歌を歌っていました。

頭の中にあったのは、歌のマイリ・ローソンとフォルテピアノのオルガ・トヴェルスカヤのこちらの録音。


Tis sad to think the days are gone, (…)
The village seems asleep,or dead,(…)
それは悲しいこと あの日々が去ってしまったことを考えるのは
村は眠って 死んでいるみたい

(ハイドン:12のイギリス歌曲集より「田園の歌」)


人口は大きく減ったし、数少ない人々は、郊外の中央資本のショッピングセンターに出かけます。

舶来品の文化についてもちょっと考えてみましょう。


新幹線で東京から3時間で新青森。弘前も近くなりました。現代美術館もあります。

でも、かつて夜行列車で12時間かけて東京と結ばれていた時代こそ、東京から様々な文化人たちがやってきていました。
ソ連の大巨匠ヴァイオリニスト、レオニード・コーガンも、きっと寝台特急に乗って、弘前に演奏旅行に来ています。

今は海外からそんな客人は来ません。代わりにやってきたのは、原発のゴミでした。

まさに「物質的豊かさへの期待と幻滅」ではないのでしょうか。

青森県の人たちは、これから恐ろしい幻滅を経験するのだと私は思います。

かつて東欧諸国がたどった道を、もしこれからウクライナが辿るのであれば、青森県がたどる道を、日本全国がたどるのかもしれません。ソ連がたどった道を日本がたどるのかもしれません。


この文章を書く直前に、知人のブログにこんなコメントをしたんです。
「高濃度のアルコールをフルーツ風味の香料で割った600ミリリットルの『ストロングゼロ』などの大容量アルコール飲料。それを手に持って、昼間から飲み、歩く人々が、スーパーのテラスや電車の中にいる」と。

その姿を見て思い浮かべたのは、アルコール中毒患者が急増して平均寿命がぐっと縮まった、ソ連崩壊後の旧ソ連諸国の姿です。


先週末行われた知事選でも、原発の話はほとんど争点になりませんでした。もしも私は今も弘前で活動していたとすれば、「魔女狩り」ほどにはならならなくても、邪魔者として扱われたかもしれません。


 「私たちはなかなか過去から学べません。ウクライナの人々も私たちと同じ失望を経験することにはなると思います。でもそれは普通のことでもあります」

 「民主主義に簡単なコースはありません。その過程は緩慢で痛みの伴う、多くの間違いに満ちたものとなります。そのことを理解することが大事です」


これからの日本が「失望」に向かうのだろうと言う感触を、先般のGX関連法案や、今日の入管法などで強く感じます。

そうなのかもしれません。でも失望の世の中になったら、どうやって生きていけばいいんでしょう。

集団としては生き残るはずですが、どこかで置いていかれる人が出てくるはずです。

ウクライナの人にも、日本の人にも、『「失望」の世界で生きるのはもうたくさんだ』と思っている人は多いんじゃないかと思います。そんな声が、少しでも理解される世界になってほしい、そんなことを思いました。希望は持てないけど、持ちたくないといえば、嘘ですよね。


ソ連歌謡の名曲「ナジェージダ(希望)」にはこんな一節が。アンナ・ゲルマンの歌で聴きましょう。

「『希望』
それは私の地上の羅針盤。」



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