不合理でなければ愛を表現出来ない

水卜麻美さんという女子アナウンサーの方が結婚したらしい。
10年くらいテレビをまともに見ていない僕ですら「美味しそうに物を食べる人」みたいなイメージがあるので、多分色んな人に人気なんだろう。

たまたまレギュラー番組の『ZIP!』に結婚相手の方と出演していたのを見かけたのだが、番組の中で水卜麻美さんの好きなところとして「短いとも長いとも言えない手の長さ」を挙げていた。同じ質問を何度もされた上で出てきた小ボケの一つだとは思うんだけど、結局愛ってこういうことなんだとも思う。

愛を表現するためには不合理でなければならない。
というのも合理的な箇所を列挙した場合、それは代替可能な要素になるからだ。「可愛い」や「綺麗」などは女性への誉め言葉としては最上級のものかもしれないが、男性の視点としては合理的な要素だ。つまり逆を言えば「可愛い」人だったり、「綺麗」な人であれば「わたし」でなくても好きなのか?という問いが生まれることになる。
だから花嫁を選ぶ理由が「2000Gと神秘の鎧を貰えるから」とか「イオナズンを使えるから」なんて持ってのほかだ。後者の答えが真実ならば、フローラはアークデーモンに代替可能だということになる。

それに比べて「短いとも長いとも言えない手の長さ」は誉める要素としては不合理だが、だからこそ代替不可能な要素だ。
何故なら「中途半端な手の長さ」には合理的な魅力はないからだ。だからこそ「本来「不合理」な要素ですら愛せるくらいあなたのことが好き」というメッセージをそこに含むことになる。

とはいえ、不合理な要素だけを列挙していては「本当にこいつは私のことが好きなのか?」という問いが逆に生まれることになる。
結局のところ、対戦ゲームも現実も表択と裏択のバランスが肝要だ。
ぼくはこの塩梅が苦手なので、ゲームも現実も上手くいかない。

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